ハロウィン・デビューはかぼちゃの中で(3)
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◆ オタッキー君登場! ◆


 入り口付近が急に騒がしくなった。たくさんの人の足音や声が聞こえてくる。西欧人特有の、しぶくて豊かな声が響いた。聞きなれた流暢《りゅうちょう》な日本語だ。
「みなさんこんにちは、お久しぶり」
「ドッペルさんだっ!」
 お姉は飛んでいった。半年前から注文していた、世界にひとつきりの人形がきたのだ。いつもはなんとなくとろくさいくせに、このときだけは別人だった。
「こんにちは、ドッペルさん!」
 叫んでお姉はスーツケースを運びこんでいるドッペルさんに飛びついた。
「おぉマキちゃん、十七才のハロウィンおめでとう」
 ドッペルさんはそう言って、お姉の背中をポンポン叩いた。お姉がいそいそとドッペルさんの荷物を持ちあげ、運び入れようとしている。ドッペルさんは手をあげて止めようとした。
「ちょっと待ってくださいね。今お話ししますからね」
 なんだろう? はしゃぎすぎたお姉は気づいていないみたいだけれど、笑顔がちょっと困っている。
「実はそのカバンに、あなたのぬいぐるみは入ってないです」
「入ってなくてもいいの、運んじゃうんだからぁ」
 ドッペルさんは首をすくめてフームとうなった。
「マキちゃん、おひろめ人形、もう少し待って下さい」
「え、ど、どうして?」
 お姉は目に見えて動揺した。
「航空会社の手違いで、インドネシアにでも飛んでっちゃったの?」
 そのうろたえぶりを見て、ドッペルさんは少しあわてたようだ。オーバーアクション気味に、
「心配ない、心配ない」
 と言葉を継いだ。
「ホテルの間違いで、車に積んでもらえなかったんです。電話したらちゃんとフロントが預かっていて、わたしからの連絡を待っていました。すぐに取りに行きたかったんですけれども、どうしても今やらなければならない用事があります。あしたのお昼まで待っててください」
 お姉はがっかりしながらも安心したようだ。
「良かった、インドネシアじゃなくて」
 赤いドレスのビスクドールがトコトコ歩いてきてスカートをつまみ、腰を折って一礼した。ドッペルさんは目をみはった。
「誰の人形? 素晴らしいです。オーリック工房の?」
 オーリックというのはカミーユの一族だ。人形制作部門のことを特に工房といっている。カミーユがニヤニヤしながら出てきて、あちらの言葉であいさつした。ドッペルさんはフランス語ができるから、会話はスムーズだ。おあずけを食ったお姉が、
「あのビスクドールって、カミーユのおひろめ人形なのかなあ」
 と言った。
「工房のあとつぎだもの。十七才のしるしは当然パパからでしょう?」
「さすがオーリックだよねぇ。ビスクドールは専門外のわたしたちでも、放っているオーラが違うって分かるもの。これで使い手がカミーユでさえなければねえ」
 お姉ったら、なんだかんだ言ってきれいな人形をうらやんでいるな。
 突然バコンとぶしつけな音をたてて、見なれない人が入ってきた。みんなは驚いてそちらを見た。
 大学生だろうか。小さくしぼんだ体で息を切らしている。かろうじて洗濯しているけれど、アイロンかかってないわね、というような服装だ。「自分は他人に見られる存在だ」とか、「評価される存在だ」とか、「人間の群れのなかで、社会性動物としての役割を果たすことを期待されている」だとか、そういうことにはてんで無頓着なんですよー、という雰囲気がプンプンしている。これはオタクだな。人形にたとえると貧相な棒きれマリオネット。子供人形劇の主役には絶対使われないタイプだわ、なんてことを考えてしまうのは人形使いの性《さが》だったりする。
 大学生風の人は、へたんと笑って、
「こんにちは、人形使いのみなさあん!」
 と言った。
「ボク、大滝っていいまぁす。オタッキーとか呼ばないでくださ・い・ねっ。なーんてな!」
 わたしたちが固まっていると、オタッキー君はハッハッハ! と声をあげた。ドッペルさんがあわてて足元のビスクドールを抱きあげた。いきなり人形をさらって逃げる奴がいるからだ。案の定、深紅のドレスの人形を見ると、オタッキー君の目の色が変わった。のど仏がゴクンと動く。次の瞬間、彼はいきなり手を伸ばした。しかし相手が悪い! ビスクドールは金属扇を振りあげると、伸びてきた手をピシッと鋭く打ちつけた。
「痛えっ!」
 人形は小手を返すと扇で口元を隠し、高笑いしてせりふをキメた。
「なんとかかんとか、どうとかこうとか!」
 そんな汚い手でわたくしに触れるなぞ笑止千万! とかなんとか言ったのだろう。カミーユの人形だもんね。
 オタッキー君はひるまなかった。人形に触るのはあきらめたようだけれど、無気味な人なつこさを振りまきながらドッペルさんにすりよっている。
「あなたひょっとして、人形職人のドッペルゲンガーさんですか? ボク、大滝っていいます。あなた世界的に有名なんでしょう? ボクのために、ひとつ人形を作ってもらえませんかね? お金はもちろん持ってますよぉ。
 あっ、ボクね、趣味で絵なんか描いちゃうんですぅ。できあがり予想図を描いてきたので、見てもらえませんか。はっきり言って、すっごく可愛いコだったりして。見ても惚れちゃいけませんよぉ、なーんて言うのは冗談だったりするんですけど・ねっ!」
 わたしはお姉の耳元に口をよせて囁いた。
「今年のはまた強烈だね、お姉ちゃん」
 お姉もしきりにうなずいている。
「いつもはもう少し普通っぽい人が来るんだけどなあ」
 オタッキー君はピクリと反応したかと思うと、わたしたちを指さして叫んだ。
「アアァーッ、そこのお二人さん、そんな失礼っぽいひそひそ話しちゃダメじゃないですかぁ。人間はコミュニケーションが大事なんですよぉ?」
 お姉はとろんとした調子で
「あなたに言われる筋合いないかなあ、なんて思うんですけどぉ」
 と切り返した。笑った顔のなかで、目だけが怒っている。
 会場設置係のお姉さんがぼそりと呟いた。
「仲間を見つけたと思って喜んでいるわね、あなた」
 何年か続けて手伝ってくれているせいか、状況の飲みこみが早い。
「ギクウッ、そんなことないですよお!」
「あなた大学生? 人形劇団のみなさんはプロです。趣味でやっているのではありませんよ。仕事の邪魔をしないようにね」
 世の中には、わたしたちのことを“人形にしか愛情を感じられない無気味な魔法使い”と勘違いしている人がいる。ホラー業界がやたらとそういうモチーフを描くようになって、人形使いは迷惑しているのだ。さらに困るのは、そういう種類の“人間”が現存することだった。ドッペル一座が出店の常連になってからこっち、彼らは予告なしに飛びこんでくる。自分のお気に入りの人形をもちこんで、
「この子に命を与えて下さい!」
 としつこく食い下がるのだ。小さな子供が手あかに汚れた人形を大事そうに差し出してくるのはかわいくて泣けちゃうんだけれども、いい大人がっていうのは、どうもいただけない。ひどいのになると等身大の人形を抱えてきて、
「一夜のエッチな恋人に」
 なんていうのまである。うだつのあがらない人形使いがその手の小遣い稼ぎをやっている、なんて噂がまことしやかに囁かれているせいだ。
 なかなか帰ろうとしないオタッキー君にてこずっていると、幻想浄瑠璃の人が腰を低くしてやってきた。
「お客さん、ここは役者の控室ですから、人形とのふれあいはイベントまで待ってくださいね。あしたの三時半からはじまりますから」
 そう言って振り向くと、奥の方からざざざっと音がして十数体の浄瑠璃人形が姿を現した。浄瑠璃人形って宙に浮くことができるのよね。舞台の造りや内容からいって、それができなきゃ演技にならないのだ。
 人形たちはふよふよ漂いながら、オタッキー君をひたすらじっと見つめた。うーん、ホラーだわ。いつの間にか照明係が青のライトアップしてるし。
「な、なんですかあ!?」
「サービスでございます。とくとご覧ください」
 人形たちの輪が、ずずいっとせばまった。オタッキー君はあとじさる。
「いやぁ、日本人形もきれいだなぁ。もっと見ていたいけどみなさんの邪魔になるといけないから、ボクはこれでっ!」
 すごい、すっ飛んで逃げたわ。お姉がため息をもらした。
「日本人形のガンづけって、いつ見ても迫力あるよねえ。カミーユまでおびえてるし」
「ビスクドールもかなり怖いと思うけど……」
 ぬいぐるみだけはサマにならないでしょうね。
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