ハロウィン・デビューはかぼちゃの中で(2)
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◆ 赤いドレスの人形 ◆


 パパとママの名前を使ってとった二人分のエコノミーシートに、お姉ちゃんのクマちゃんはポヨっと座っていた。スチュワーデスさんが戸惑いの笑顔で近づいてくる。
「恐れ入りますがお客様、お荷物の持ち込みはひとつまでとなっておりますが……」
「ボクは荷物じゃないよう」
 お姉ちゃんのクマちゃんは、ぬいぐるみらしくダダをこねた。
「ちゃんと座席分のお金を払っていますから」
 そう言ってチケットを見せると、スチュワーデスさんは黙って去った。わたしは首をすくめた。
「ママの言うとおりかも知れないわ。ぬいぐるみ使いになんかなるもんじゃないわね」
「どうして?」
「だってお姉ちゃん、いまの人の顔を見た? ぬいぐるみ使いなんて幼稚園児くらいの精神年齢なのに、つきそいなしで飛行機に乗せてもだいじょうぶ? ……って顔で見てたわよ」
「そんなことないでしょう」
「人形にしか愛情を持てないオタクな家系とか、友達に言われない?」
「だってほんとにオタクだもん」
 お姉はそのことについて迷いがないのね。ため息をつきかけると、バッグのふたがピクピク動いた。思わずアッと呟いて抑える。横からお姉が覗きこんで、
「ミキちゃんたら!」
 とたしなめた。
「ミキちゃんは来年まで人形を外に連れ出しちゃダメなんだよ?」
 口をとがらせて
「わざとじゃないもん」
 と答えたが、顔が赤くなるのがわかった。
 十七才のハロウィンが来るその日まで、わたしたちは自分の人形を“社会”に連れ出してはいけないことになっている。人形には使い手の魂が宿る。心の抑圧された部分が投影されると、とんでもない行動に出たりするからだ。こればかりは人形に言い聞かせてもどうしようもない。わたしの人形がいつの間にかバッグに入っていたのがいい例だ。ひと足はやく大人の世界に迎えられるお姉をうらやんでいたので、こんなことになったのだろう。
「もう大人よと強がっても、それが子供の証拠なのよねえ」
 と、笑われてしまった。
「人にはこのコを見せないから、ママには黙ってて!」
 ぬいぐるみ使いのパパよりも、魔女のママの方がコワイ。小さいころはいたずらをすると、ロバの耳を生やされたり鼻のてっぺんを赤くされたりしたものだ。魔女の子供なんてみんなそんなものだと思っていたら、うちだけなんだよね。さすがに年頃になった娘にはやらないと思うけれど、トラウマはすごい。知り合いの魔女の子に
「ミキちゃんのママって、魔女とは思えないほど魔女魔女してるよね」
 と言われたときの恥しさ。クラスメイトのお母さんに、
「あすこの奥さんの服とお化粧って、水商売なの?」
 とうわさされたときのショック。ママが一日八時間もかかって薬草を摘み、呪文を唱えてやっている遠隔話術が、NTTにお金を払うだけでできちゃうと知ったときには、こんなの詐欺だと叫んだ。
 なんだかんだ言って、魔女だってたいしたことはないのだ。魔法業界の家になぞ生まれるものではない。

 空港に降りたって迷子になりそうな駅を走り回ったあと、わたしたちはようやく目的地に着いた。命を持った人形たちの控え室は、カルチャーセンターのダンスホールだ。いつもはドッペルさんの一座だけなのだが、今年のラインナップは豪華だった。世界でいちばん有名な人形一座、ピノキオ軍団が招かれている。何かの記念だかで、日本の誇る幻想人形浄瑠璃《じょうるり》一座が、特に招いたのだ。幻想浄瑠璃って、きれいだけれどへんに哲学的で難しいのよね。海外での芸術評価は高いけれど、興行収入はとっても悪いんだって。

 ドッペルさんはまだ着いていないようだった。ホールを探してうろうろしていると、隅っこの方から外国人がやってきて、
「ボンジュール、ホニャラーラ! どうしたこうした!」(フランス語には申し訳ないけれど、わからないんだから仕方ない)
 と言った。だれだろう、この人。まだらの金髪にそばかす顔の男の人だ。外国人なので歳がわからない。考え込んでいると、深紅のドレスに身を包んだビスクドールがとことこ着いてきた。ベルベットの生地に深く厚みのある光沢が走る。間違いなく高級素材だ。スカートの裾をひいて歩く姿は、生きた人形の真骨頂だった。息を飲んで見とれていると、人形は口元だけで薄く笑い、あごをあげて値踏みの視線を走らせた。
「ホホホホ! コマンタレブー?」
「うっ……」
 よくわからないけれど、バカにされたような気がする。わたしとお姉は顔を見合わせた。
「ミキちゃんっ! 見るからに性格わるそうなこの人形!」
 忘れもしない、カミーユの人形だ。子供のころ会ったきりなので使い手の顔を思い出せなかったのだが、人形の持つ特有の雰囲気は変わらない。
「なんであんたなんかが来るのよ、カミーユ! ビスクドールの劇団なんてあったっけ? 温室育ちの人形なんかすぐにバラバラになっちゃうんだから!」
 いきなり口が悪くなっているのはお姉だ。相手が日本語を理解できないと思って、メチャクチャ言っている。お姉は子供のころ、カミーユの人形にスカートのホックを外されて、パンツをさらしながら大泣きしたことがあった。カミーユは人形が勝手にやったことだと言い張ったけれども、あれは明らかに命令してやらせたのよ。彼はわかりやす過ぎるほどに性格が悪い。操るだけではなく、ビスクドールの製作も手がける名門の出だけれども、その人形の意地悪さは相当なものだった。
 カミーユは人形そっくりな仕草で、とがった鼻のさきをこちらにしゃくった。
「ホゲホーゲ、フガフーガ。なんとかかんとかどうとかこうとか!」
「ほんとそうだよねー! カミーユのお人形さんっていつ見てもきれいだよねー! これで人前に出なけりゃ言うことなしだわ。ミキちゃんもそう思うでしょう?」
 気がつくと二人は、通じない者どうしで嫌味の言い合いをしていた。そういえばカミーユも今年十七才だっけ。ひょっとすると、あのビスクドールを人形コンテストに出してデビューを飾ろうというのかも知れない。コンテストと言っても内輪のお祭りなんだけれどね。人形使いって数自体がとても少ないので、イベントがあると集まって群れる習性があるのだ。
 と、カミーユのビスクドールがお姉に近づいて、いきなり向こうずねを扇でぶった。
「痛いっ!」
 お姉が悲鳴をあげたところを見ると、あの人形扇、金属製らしい。お姉は真っ赤になって怒ったが、人形使いたるもの、たとえどんなに性格の悪い人形でも、乱暴したり汚したりするわけにはいかない。その点がぬいぐるみ使いの不利なところだった。ぬいぐるみに仕返しを命じたとしても、柔らかい体当たりをくらわすくらいしかできない。武器を持たせたところで、強く叩けば自分の腕がへにゃっとなるだけだ。だいいち攻撃的になりにくい属性を持っている。
 お姉の怒るようすを見て、カミーユは声をあげて笑った。
「見てなさいよ」
 お姉が憤慨しながらリュックに手を伸ばす。出てきたのはコンテスト用に連れてきた犬の人形だ。ピンク色だからピンクという、これまたセンスのかけらもない名前がついていた。こう言ってはなんだけれども、なんでお姉があんなのを連れてきたのかさっぱりわからない。見かけはともかく、ものすごく変な人形なのだ。
 お姉はピンクの頭をなでてやると、保母さんのような口調になった。
「いい? ピンク。あんたの得意わざをあのお兄さんに見せてあげなさい」
 そうきたか。ピンクはうなずくと、カミーユの肩に飛び乗った。カミーユがなにをしゃべったか知らないが、へらへら笑っているところを見ると、
「安いぬいぐるみなんか差し向けて、どうしようってんだよ」
 とかなんとか言ったのだろう。わたしは耳をふさいだ。このコの得意技って、超音波のような鳴き声なのよ。本人は歌のつもりだけれど、ガラスをひっかくような音なので、亀みたいに首がビクッと引っこんじゃうの。
 案の定、耳元でピンクが歌うとカミーユはひっくり返ってしまった。痛快といえば痛快なんだけれど、あれでコンテストを狙おうというお姉の思考はナゾだ。
 あれこれ考えていると、お姉が肩をつついた。
「ねえねえミキちゃん。それで一体、どのコがカバンに入っていたの?」
 わたしはチラッとふたを開けて確認した。丸いつぶらな瞳がくるっとこちらを見る。ライトグレーのおにぎりみたいなぬいぐるみが、悪びれもせず荷物に体をしずめていた。
「フクロウが入ってる」
 お姉ちゃんのクマちゃんがぼやいた。
「フクロウはいいな。空が飛べて。ボクはなんでクマになんか生まれたんだろう」
「待ってなさい、約束どおり天使の羽をつけてあげるわよ」
 お姉は紙袋の中から、手製の白い羽を出して見せた。長いヒモがついていて、見るからにちゃちな細工だ。
「お姉ちゃあん。これをクマのぬいぐるみにつけて歩かせるの? だからぬいぐるみ使いは幼稚だって言われるんだよ……」
「ホラーな蝋人形にバタフライナイフを持たせても、社会の役には立たないよぉ」
「またそんなこと言って」
「そう言わないで。お姉ちゃんのクマちゃんだって、飛ぶかも知れないよ? ミキちゃんのフクロウなんて、刺繍の羽しかついてないのに、『自分はフクロウだ!』っていう思いこみと気合いで飛んでるじゃない。このコだってわからないんだから」
 クマのぬいぐるみが手をパタパタさせて、
「思いこみと気合いが大事なんだね〜」
 と、相づちを打った。
壁紙:Verdant placeさん