ビンボウ家族の飼い主バカ一代! (終)
6 飼い主のゆううつ
意外なことに、最期に生まれた子が難産だったらしい。戻ってみると、「さんざん待たされたあげく、ラスボスのように現れたから」と言う理由で、末の猫はラスと名付けられていた。
ソファーの上では、家長の権威を回復した父が本を開いていた。
「イッキ以外は、どうやらパッチド・タビーらしいな」
「アメリカ人もつぎはぎだと思ったんだねえ」
猫の毛皮でパッチといえばぶちのことだが、パッチにはもともとつぎあてという意味がある。一同は妙に納得した。
「やっぱりパッチワークだってさ」
「どれどれ」
本をのぞいてみると、他の模様についてはかなり詳しい説明がのっているのに、パッチド・タビーについては「日本ではまだほとんどお目にかからない」という言葉も含めて、わずか三行にすぎなかった。写真もついていない。
(よっぽどどうでもいい模様なんだな。)
口には出さなかったが、そう思った。いまでは解説者自身、見たことがなかったのだろうと思う。説明文に迫力が欠けていた。
「ブリーダーさんに電話したんだけど、本当にパッチならメスに決定だって」
「へえ! 洋猫も三毛はメスなのね」
最近になってようやく、うずまき以外のアメショの写真が出回るようになった。専門用語をつらねた文字情報からいい加減に想像していたときには分からなかったのだが、いま思うとどうやらパッチド・タビーはチョロだけで、生まれた子は全てが違う模様だったような気がする。
チョロ……三毛にうずまきの入ったパッチド・タビー&ホワイト
イッキ……茶色のうずまきのブラウン・クラッシック・タビー
チビ……二色のぶち猫ブラック&ホワイトもどき(黒ぶちに汚れのような茶色の毛が混じっていたので、ちょっと自信がない)
ラス……うずまきなしの三毛猫キャリコ(もどき……かも知れない)
このうち写真つきではっきり紹介されていたのはイッキの模様だけだったので、消去法により、それ以外の猫すべてがパッチド・タビーだと信じられてきた。うずまきのクラッシックじゃない。しましま猫のマッカレル・タビーでもない。単一色でもない。その他のどんな説明ともあわない。残ったのはなんだか説明のはっきりしないパッチド・タビーだけ。
「確かにパッチワークを連想させる猫だし、これだってことにしておこう」
てなノリだった。
実はわたしも、このエッセイを書くために調べ直して本当のことを知ったのだ。解説書を執筆した協会が、三毛やぶちを公認していないだけのことだった。(あるいは絶対数が少ないので、説明を省いたのかも知れない。)
紹介されていない模様は「非公認」じゃないか、なんて発想は全然なかったなあ。三毛もぶちも認めてやる、という協会の本を読んでようやく謎が解けた。
まあそれ以前に、英語力の問題ではある。タビーというのがしま模様のことだと知っていたら、しまの全くついていない二匹について疑問を持っただろう。できてきた子猫の血統書を見れば、ずばり英語で書かれているはずだ。そういうことにあまり熱心でないわたしたちは、分からない英語は読みとばしていた。かりに調べたところで日本語の説明も専門用語だし、それ以上解読する気力なんて湧かなかったに違いない。初心者が「トーティシェルにホワイトのパーティカラー」なんて言われたって、分かるわけがないのだ。「三毛猫」と書けばいいのに。
こちらの心配をよそに、ユキのブリーダーは
「さっそく見に行く!」
とはしゃいでいたという。日本では滅多にお目にかからないレア猫が生まれたのだからと。しかし子猫たちを見せると、動物好きのベテランも「美しくない」という失望を隠しきれない様子だったと母は話した。
「ブラウン・タビーは最近人気が出てきて、イッキがユキとちょんちょんになるかも知れないって慰められたけど。いまのとこ道内の一番人気はまだまだユキのシルバー・タビーで、値段も一番高いの。相場がどう変わってるのか心配なんだよね」
母は天井を見た。
「お母さん、うちの子を全部あの人にタダであげることにしたわ。これまでのお礼、何もしてないもの。かき集めても幾らになるか分からない子だけど、少しは足しになるでしょう?」
「そのためにはぜんぶ血統登録してやらないとね。これがないと価値も落ちるし、みったくない雑種と思われて、売れないかも分からないし」
「四匹ぜんぶかい。登録料、いくらになるかなあ……」
「子猫を売ったお金で相殺できると思っていたけど、こりゃ痛いわ」
そう言いながらもへたな権威などつけない方が、純粋に「この子が可愛い」という飼い主に当たりやすいのではないかと心が揺れる。雑種猫を愛する人の方が心が温かいんじゃないか。血統書に惑わされるような人は、きれいな猫しか飼わないんじゃないか。かりに飼ったとしても、つぎはぎ猫なんか粗末にするんじゃないか。……自分だって血統書猫の飼い主のくせに。
「ブリーダーさんは『こういうのを売るのも商売のうちだからだいじょうぶ』って言ってくれたんだけれど」
「血統書さえついてりゃ当たり前にぴかぴかの猫が生まれて、この子たちの将来、なんにも心配ないかと思ってたわ」
「甘かったな」
しばらくのち、父がみんなの顔を見て強く言った。
「血統書はつけよう。かりに途中で何かあったとしても、捨てるに捨てられないはずだ。人間の気持ちっていうのはそういうものだと、俺は思う」
7 猫の出生届
人の好きずきだからそうつけたければつけても構わないが、血統書に「チョロ」「チビ」などという名前は登録しないのがふつうだ。母猫が最初の出産で産んだ子にはAで始まる名前、二番目の出産ならBで始まる名前と、順につける習慣がある。ユキの血統書を引き出してきて、その本名がCallaとなっているのを確認した。
「三番目のお産で生まれた子なんだ」
「きょうだいの名前まで書いてあるよ」
妹の里帰りにつき合って偶然出産に立ち会った義弟にも、名付け親を依頼する。喜んで引き受けてくれた。積極的に好きとまではいかないが、猫嫌いが治っていた。
「お産を見て感動したんだって」
妹が耳打ちしてくる。
「好きな子の名前をつけていいよ」
と言うと、チョロをとられてしまった。あー、チョロ! わたし好きなのに……。けっきょく出生に立ち会っていないラスの名付け親に。ま、いっか。
「んー、それじゃあ各自Aで始まる名前を考えておくこと」
名前のつけ方で、性格は分かってしまうものだ。わたしなどはエイダ(Ada)とつけて、妹にひねくれ者と言われた。誰にでも読める名前ではないからという理由による。当たっているだけに反論できなかった。
他のメンバーが短い庶民的な名前をつけているときに、一人だけ気合いを入れてアンジェラなどと命名したのは父だ。チビは父のお気に入りで、天使(アンジェラの語源)にも見えたのだろう。泥はねみたいな黒のぽちぽちが顔に飛び散ったチビを、天使と思ってくれる人に巡り会えますように。
ちょうどそのころ、ユキのブリーダーの家にペルシャの雑種が二匹うまれた。一匹は片目を失明し、もう一匹は全盲だった。
母猫は血統正しきペルシャなのだが、なんどお見合いしても妊娠しないので、飼い主は諦めていたという。発情期にもケージの外で好きに遊ばせていた。不妊と思われた猫は、知らないうちに子供ができていたのだ。
さてこのペルシャ、ある日台所の残飯あさりをして魚の骨をノドに引っかけてしまった。
「どんくさい猫だね」
「猫の風上にもおけないわ」
話を聞いて笑ったが、骨をノドにひっかける犬猫はあとを断たないらしい。ブリーダーは残飯入れに骨や肉や魚を捨てないように注意するものだとか。(このときは、たまたまうっかりしてしまったのだろう。)思いのほか深く食いこんだ骨をとるために獣医は麻酔手術を行い、そうとは知らずに子猫の視力を奪う羽目になった。
「どうなるの、その仔ッコ!」
他人様の猫なのだが、思わず声が大きくなる。
「そういう子が生まれてきたら、ちゃんと自分で飼うんだって」
「アー、良かった」
などと話しているうちに、二匹の子猫は売れてしまった。
「う、売れた……?」
「可愛いから目が見えなくても面倒みるっていう人がいたらしくて」
「二匹とも連れていったの?」
「いや、そういう人が二人もいて、別々に……」
そうか……。そういう猫好きもいるんだ。わたしたち、ちょっと血統書に振り回され過ぎていたかも知れない。
余談になるが、母ペルシャはブリーディング・タイプ(繁殖用)の扱いには戻らなかったそうだ。たった一度でも雑種を産んでしまうと、二度と毛並みの美しい子供を産むことはないのだと、ブリーダーは言う。ベテランが口をそろえて言うそうだから信憑性はあるのだろうが、誰か科学的に説明してくれ。知りたがり屋のわたしのために。
キャッテリー・ネーム(猫舎名)はシャイニング・クラウドと決まった。このこっぱずかしい気取ったネーミングは、なにを隠そうわたしだ。他の人の猫舎名があまりにも少女趣味でおタンビなのに影響を受けて、つい口走ってしまった。
中国の昔話に出てくる、五色に光り輝く雲が発想のもとだ。乗ると永遠の命が約束される、天界の雲であるぞよ。
ただし修行をつんだ本物の賢者でないと、足を乗せた瞬間にまっさかさま、地面に激突。多くの人命を奪ったいわくつきの雲だということは、家族には伏せてある。
「永遠の命だなんて、縁起がイイ!」
と喜ばれたもんだから、言いそびれちゃったのだ。
8 うちの子、買って下さい!
まっさきに売れたのは二番目にみったくなしめんこのラス、次が泥はね汚れもどきのチビだった。あっという間だった。
「おおぉ、案ずるより産むが易し!」
「ブラウン・駄猫のイッキは心配なしだし、チョロはパッチの中でも一匹だけ綺麗なうずまきが入っていたし(このころのわたしは、うずまきがないとパッチド・タビーと言えないことを知らなかった)、もう安心だよね」
ひいき目かも知れないが、模様がくっきりしてくるとチョロはけっこう綺麗な猫だった。うずまきが不二家のノースキャロライナというキャンディに似ている。かき混ぜたコーヒーに細くミルクをたらしたような色合いで、ぷっくりしたお腹ともども、見ていて食欲をそそる猫だった。
チョロとイッキはどこぞのペットショップへ引き取られたという。やれやれ。……と、思ったのもつかの間だった。
子猫が生まれて四ヶ月近くがたったころ、母が顔色を変えて買い物から帰ってきた。イトーヨーカ堂の袋を乱暴にひっつかみ、凄い勢いで部屋に乱入してきたので驚いた。
「お姉ちゃん、大変だ!」
「どうしたの」
「ヨーカ堂の近くのペット屋で、チョロとイッキが売れ残ってるのを見つけちゃった!」
「ええっ!?」
イッキはともかく、チョロのような猫はこの界隈じゃ二匹といないはず。見間違うはずがない。
「二匹とも痩せ細ってガリガリになって、イッキなんかすごいキンキン声でミャーミャーニーニーいい続けて、とても見てられない! お母さんどうしようかと思ったわ」
わたしは少し考えてから日を改めて見に行った。細く今にも消えそうな、しかしカン障りな猫の声が店の外にまで響いている。ひとあし先にはいった二十歳くらいの女客が、ケージへ向かって
「おまえ泣き虫だね」
と声をかけてから奥へ進んだ。それがイッキだった。
かなり大きくなっていたが、はっきりと見分けることができた。とろくさいがウリのチョロも、ひっきりなしに狭いケージの中を往復している。誰が見てもやせ細ったイライラ猫だ。目つきもすさみ、可愛いとはとても言えない。
家族はかわりばんこに店を訪れ、猫のようすをチェックしたが、状況は少しも良くならなかった。
「大きくなりすぎると売れなくなるから、エサの量を減らされてるらしい」
早くもペット屋の主人と仲良くなって、母は情報を引き出していた。わたしたちがチョロとイッキのブリーダーであること、そして同じ家のメンバーであることは、店の人には内緒にしてある。
「これ以上大きくなると売場に出すのは限界、というところまできているらしいわ」
数週間を待って、家族会議が開かれた。単なる売れ残りならともかく、あの苛立った「うちの子たち」のようすには、我慢がならなかったのだ。
「我が家の財政状況では、どうがんばっても飼えるのはあと一匹。チョロを買いに行こう」
「パッチは希少価値だけれど、ああいう猫は人気の模様が愛好家に行き渡ってからじゃないと注目されないんだって。クラッシック・タビーなんか飽きたという人が、他の人に差をつけたくなったときに手を出す猫ってことだね」
「それじゃあクラッシックの色違いも出回っていないうちから、パッチが好まれるということはないわけね。北海道の片隅にいる限り、価値は分かってもらえないのね」
「イッキはクラッシック・タビーだから、我慢していればそのうち必ず飼い主が出てくるだろう」
即決だった。
チョロが来る! 長女同士、仲良くしようね。
母がお金を持ってチョロを買いに行った。
そしてなぜか、イッキをつれて帰ってきた。
「お母さん、チョロはっ!?」
「売れてた」
「ア?」
「猫の情報誌にチョロの写真を載せたんだって。そしたら次の日に東京から愛好家が来て、すぐに飛行機でつれて帰っちゃったって」
「…………ひょっとして、パッチだから?」
「パッチだから! あの子、きょうだいのうちでトップの値がついたらしいわ。クラッシック・駄猫なんか問題にならないくらいの。
これでお世話になった人に顔向けができる! なんたって、一番値がつくはずだったイッキの方は……」
母はニッとした。
「『こんなに大きくなった子を買ってあげるんだから』って言って、お母さん、半分に値切ってきちゃったもんね」
父とわたしはひっくりこけた。
この話はユキのブリーダーに大受けだった。
「イッキちゃんを飼い始めたら、毎月お金がかかるでしょう。最初から分割払いでユキちゃんを買った方がずっと安くついたんでないの、あなたたち」
それはそうなんだけれど………。
「それにしても、子猫が売れないのを心配して自分で買ってきちゃうなんて」
ブリーダーの夫婦はたくさんの犬猫にかこまれながら、もういちど大笑いした。
「あなたたち、絶対にブリーダーにはなれないねぇ!」
「えー、だって。……ねえ?」
「ねえ!」
それからしばらくしてユキとイッキの避妊のための手術が行われた。
病院から二匹が帰ってくると、肩から力が抜けていくのを感じた。
これでもう繁殖の道具ではなくなった。
そう思いつつも、毛を剃られてピンク色のお腹を包帯巻きにされたユキを見ると、気が滅入る。なによりも……。
これでもう我が家の中に、妊娠した優しい猫の姿を見ることはないのだと思うと、自分でも思いがけないほどにがっかりしたのだった。
そしてわたしたちは、我が家の猫が血統書つきだということをほとんど思い出さなくなった。
《おわり》
2003.2.7