ビンボウ家族の飼い主バカ一代! (2)
5 出産だ!
女性週刊誌は皇太子妃のおめでたを予測するのに熱心だった。「いついつ宮内庁病院で診察を受けられた」「これこれの式典に出席するのを急遽(きゅうきょ)とりやめられた」「ローヒールの靴で」など、あらゆる情報を解析して正式発表前にスクープしようとする。あの凄まじいまでの執心もさることながら、わたしが感心するのは客観性を全く無視した情報が、たまに載ることだ。「表情がいつもよりお優しくなられたから」「丸みを帯びられたから」だけが根拠だったりすると、読者をなめてんのかと思う。こういう薄弱なネタから記事を起こすからゴシップ週刊誌なんだよねと思っていたら、あとから客観性のある変化が見えたりするからコワイ。
とは言ってもしょせんはゴシップ。確かに妊婦の顔は丸くて優しいが、別人ほども変わるわけじゃなし。わたしはこういうあて推量を、もーーっの凄くバカにしていた。
ユキが身ごもるまでは。
表情が優しいからおめでただという感性を、今はばかにできない。そのテの記事に「相変わらずよく言うよ」と思いはしても。
猫はローヒールをはかない。妊娠したからといって走り回るのをやめたり、重い物を持ってと頼んだり、イベントに出るのを中止したりはしない。
しかし、子供ができてからのユキは別猫だった。妙に忠義で頭がよいが、以前は優しいとか柔らかいとかいう形容詞の、あまりにあう猫ではなかった。だが……。
見るだけで心が和む。家を訪れるお客は、来る人来る人
「優しい顔の猫だねえ」
と言う。猫の目が嫌いだから猫嫌いだという義弟までもが
「目が優しい」
しばらく眺めたあとで
「撫でていい?」
と手を伸ばす。
以前は猫が家族の真ん中にきて座っていたものだが、今では家族が猫のまわりに集まって座る。
ユキには変なクセがある。水は蛇口から飲むのでなければ、絶対に承伏しない。新しい皿に「六甲のおいしい水」でもダメだ。蛇口にくちをつけてカルキ臭い水を、
「チャッ、チャッ、チャッ」
と音をたてて飲むときだけが、本当の飲水なのだ。幸いなことに猫の唾液のついた蛇口は手洗い用なのだが、わたしたちが手を洗いに行くと、後ろからもの凄い勢いで追い抜いて行き、“どーん!”とふてぶてしい音をたてて洗面台にあがるのが常だった。
なのに妊娠してからのユキは、体がさほど重いわけでもないのに(身重だとしても、猫は走るのをやめたりはしないのだが)洗面所の入り口でわたしに先をゆずることがあって参った。そのころのユキにとって、すべての者は子猫だったような気がする。
五月一日、ユキが突然ニャーンと鳴いた。
「お母さん大変だ。ユキが猫語をしゃべってるわ」
「痛いんじゃないの?」
「ふつうの鳴き声じゃないねぇ」
「猫ならふつう」
「陣痛かな?」
母が立ち上がって確認した。
「まだ産道は開いてないみたいだけれど、ちょうど予定日近くだし、今日かも」
陣痛は潮の満ち引きに例えられることがあるけれど、経験のないわたしにもおそらくそうなのだろうと推測できる。痛みがくるとユキはわたしたちの顔を見てうぎゃあと鳴く。
「そうかいそうかい、痛いのかい」
と言うと気が済んだように少し黙り、また助けを求めて鳴く。
「うんうん、そうなのかい」
「いぎゃあ」
「おお、よしよし」
鳴き声の感覚がどんどんせばまってきた。
「どんな感じ? お母さん」
「んっ…………、ちょっと待って産道が開いた。バスタオル持ってくるから」
我が家で出産経験があるのは母だけだ。産婆の経験はないと思うが、ひとりで落ち着き払っている。はじめは嫌がってお気に入りのソファーの上にがんばっていたユキが、急に神妙にバスタオルに横たわった。お産など全く知らない人間にも、いよいよ始まったと知れた。
少しのあいだ、家族は息をつめてしいんとなった。
不意にユキがギャッと叫んで立ちあがる。四肢をつっぱり激しく全身を震わせると、お尻のあたりから音をたてて水が飛び散った。
「破水した!」
わたしと妹は母のそばにより、父と義弟はさがって遠巻きになった。振り向くと、ソファーのうえで体を縮めて見守っている。思わず顔を見合わせて笑った。
「猫のお産でも男ってこう?」
「猫でもね」
女だけで盛りあがってしまった。
体中を緊張させて見つめていると、母がゆったり注意をうながした。
「お姉ちゃん、すぐには出てこないよ。そんなに最初から力はいったら、疲れるわ」
「えー、そうなの? すぐかと思って気合い入れたのに」
「大体ここからが長いんだから」
「安産だといいんだけれどねぇ」
などと言っていると、急に妹が
「お母さん、安産だわ」
とわたしたちの顔を見た。
「あれ、羊膜がたまごみたい!」
膜に包まれたものが、つるりといい形になってはみだしてきた。
「もう出てきてるって?」
「流線型、流線型。こりゃ出やすいわ」
「うーん、どんな猫かは見えないね」
最初の子供はスムーズに生まれ落ちた。羊膜を破ると、びちゃびちゃの毛皮をもった生き物が顔を出す。母が木綿糸でへその緒をしばり、和ばさみでチョンと切った。
「猫のへその緒って、親猫がかみ切ってやるんじゃないの? 胎盤すてちゃってダメじゃない。体力回復に、ひとつは食べさせないって言われたでしょ?」
「いいの、いいの。ユキちゃんにはちゃーんと栄養補助食を用意してあるんだから」
「過保護だね! そんなだからユキがお嬢ネコになるんだよ」
てなことを言いつつも、はさみでチョンはやってみたい役だ。過保護発言が悪かったのか、せがんでもやらせてもらえなかったけれど。
洗面台へ突っ走って子猫をぬるま湯で洗う。鼻をふいてやると、ピクピクまぶたや口を動かした。
「息してる? 息できてる?」
「だいじょうぶだよ」
無事に生まれてきたという安堵が落ちると同時に、不安も落ちた。
タオルで子猫の顔をぬぐっている母の肩越しに、わたしと妹は見つめ合っていた。
(これ、なに? これ、どうなるの!?)
生まれてきた子供は、とてもアメショとは思えなかった。本やテレビで見たどんな種類の毛皮とも違う。にごってぐちゃぐちゃに乱れた三色の毛。どうひいきめに見てもその辺の雑種としか思えない。正確にはその辺の雑種の方が、よほど美しいとさえ言えた。
「大人になったら毛皮が変わるって、あるんだろうかねぇ」
妹が小声で問いかけてきたが、答えられなかった。その瞬間まで、子供の「格」――毛皮の美しさなど――が、ユキより極端に落ちてはいけないということには、まったく思いいたらなかったのだ。
「なにこのぐっちゃぐちゃの汚いパッチワーク!」
母が甲高くブーイングした。あまりにキンキン響くのでびくっとしたくらいだ。
顔を見合わせて一同は呼吸を整えた。
命を授からなきゃ仕方ない。毛皮のことはあとでいい。
気をとり直してかかろう。ユキとわたしたちは、女同士なんだから。
二匹目はずいぶん小さかった。先に生まれた子が母親のお乳を探しあてられずにうろうろしている。乳首に鼻先をくっつけてやっても、お尻を向けて変な方にチョロチョロ出ていこうとする。
「アー、このチョロ! お母さんのおっぱいにありつく力がないなんていうんじゃないだろうね」
「その本能に恵まれない子って、どうやっても吸いつかないってほんと?」
「そうなったらスポイトで授乳かな。でも……。どうやら黙って見てると、人間が教えてやってもダメらしいわねぇ。絶対に自分の力で探しあてたものにしか吸いつかないようにできているんだと思わない?」
「うーん………」
自然の摂理に圧倒されつつ、バカな飼い主は気をもんだ。そのとなりであとから生まれた小振りな猫が、ユキの腹に吸いついてお乳の一気飲みをしていた。
「こいつ一気だね」
と誰かが言い、二番目はイッキと呼ばれるようになった。
それまで黙って見ていた父が、急に立ちあがって眉間にしわを寄せた。
「おい、その足はどうしたんだ?」
母が軽く手を振って落ち着かせる。
「なんでもない、なんでもない」
実はわたしも気になった。イッキの後ろ足が片方、床を蹴るたびなんとも奇妙な方向によじれるのだ。近くで観察してみると、足のつきかた自体に問題があるとは思えない。単に生まれたてだから、しっかり力が入らないだけだろうとは思う。が、この子の体がどこか悪かったらどうしようかと少し心配になった。見たところすこぶる元気で動きも活発、食欲は旺盛。だいじょうぶだよね?
三番目はさらに小さい。呼び名はその場でチビに決定。
「よし行け! 母乳に向けて突進だ!」
最初に生まれたチョロも、遅ればせながら目的地にたどりついていた。長男長女はとろくさいものと相場が決まっている。わたしはチョロに親近感を持った。うちの中に長男とか長女とかいうものは、これまで他にいなかったからだ。父も母もいちおう妹がひとりいるのだが、ずっと大きくなってからお兄ちゃんお姉ちゃんになった。だから我が家は実質的に恐怖の末っ子家族で、疎外感がすごい。
わたしは午後から出かけなければならなかった。超音波健診ではもう一匹腹の中にいるはずだ。
「くくう……。これを最後まで見とどけずに行くとは、くやしいっ!」
「お姉ちゃん熱血してる」
母が後ろから
「産婆は三人もいらないよ。過保護だからね」
とセリフを決めた。