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ビンボウ家族の飼い主バカ一代! (1)




  1 うずまき猫がやってきた

 その日までは、うちで猫を飼うことになるなんて思ってもいなかった。
 わたし自身は猫好きだ。しかし、母は無類の猫嫌いだったから、どんなにおねだりしてもうんと言ってはくれなかった。悲しかったなあ。子供だったそのむかし、やっとの思いであきらめたっけ。なのにわたしが社会人になると、あろうことか母は血統書つきの猫をねだりはじめたのだ。
 ばか言ってんじゃねえよ、というのが最初の印象だった。住宅ローン持ちの貧乏公務員が血統書つきだあ?
 わたしは冷たく言い放った。
「『広報誌さっぽろ』あたりで引き取り手のない雑種でも探せば? 保健所も喜んで世話してくれるよ。うちのレベルなら血統書つきより予防注射・トイレのしつけつき。サービスで避妊手術なんかもついてると、いっそうお得ってとこでしょう」
「ほかの猫はダメ! お母さん、あの子が好きなんだから。ほかの猫はね、ゴロゴロって言われるとゾーッっとするの! ガラスをキーッてやられたみたいにざわってするの!」
「なにダダこねてんの」
「買ってくれなんて言ってないじゃない。お金かしてって言ってるだけでしょう」
「踏み倒されんのヤだもん。返せるほどの稼ぎ、ないじゃない」
「意地悪っ!」
「あーあ。子供のころのあたしはもっと聞き分けよかったのになぁ」
「……………」
 猫も食わない(?)親子ゲンカは、一見こちらの勝利に終わったかに見えた。しかし、母親族をあなどってはいけない。数日後、仕事から帰ってみると、妹がポケットから
「お姉ちゃん、これ」
 と言って子猫を出してきた。妹を露払いにするか、母よ。
 見た瞬間に叫んだ。
「なにこの変なうずまき猫!」
 トレンドにうといわたしは、それまでアメリカン・ショートヘアなどという猫の話は全く聞いたこともなく、あんなみょうてけりんな渦巻きが腹にぐりぐりついた生き物なんか、想像したこともなかった。
「こんな岡本太郎の前衛画みたいなもよう、絶対へん! しまならしま、ぶちならぶちではっきりしなさい!」
「そんなこと言わないで」
 いつのまにか母が出てきて猫なで声を出した。
「お姉(ね)べにも生まれた仔ッコの名前、つけさせてあげるから」
「はあ?」
「お金がないから子返しにしてもらったから」
「子返し?」
「生まれた子供をただであげて、それを売ってお金にしてもらうってこと」
 ア、なるほど。血統書つきだとそういう技ができるわけだ。これは気がつかなかった。
「でもお母さん、どうしてそんな無茶が通ったの?」
「繁殖屋さんとお友達になっちゃった」
「まあ、ブリーダーってやつだねよぇ」
 横から妹がフォローをいれるところをみると、すでに向こうは共同戦線をはっているようだ。別にこちらは猫を飼うことに反対していたわけではなく、無理に借金を申し込まれて踏み倒されることを恐れていたのだから、異論などないのだが。
 とはいうものの。良家のアクセサリーアイテムが家の中を走り回っているなんて、三十年近くかけて確立してきた「木っ端役人の娘」としてのアイデンティティはどうしてくれるんだ、と思ったのも確かではあった。



  2 みんな仲良く「ざあます」ごっこ

 生まれながらの金持ちはむやみにギラギラした物を買いあさったり、見せびらかしたりはしないものだ。それをするのは成金と相場が決まっている。
 いつのまにか親たちは、やたらと血統書つき猫に関する本を集めていた。しょっぱなから
『正しい血統を守ることはわたくしたちの誇り高き義務です。これを成し遂げることによって、みなさまにも心からの喜びが与えられるものと信じてやみません』
なんぞとかましてくれて、ひいてしまう。
「ええと……『ショー(品評会)やブリーディング(繁殖)に向かないペットタイプの猫は、去勢や避妊をするのがブリーダーの義務と言えましょう』……?」
「なんで?」
「優れた形質の猫を残して、そうじゃない猫の子孫は撲滅ってことらしいね。『日本はまだそういう常識が定着していないので、ブリーダーとしてのわきまえがない』みたいなことが書いてあるよ」
 なんか違う世界に足を踏み入れてしまったぞ、という空気が流れた。

 父が解説書を読みながら言った。
「うちのユキはクラッシック・タビーらしいぞ」
「ほほう。して、それはなに?」
「野生だったときからあった模様ってことだな」
「野生だったとき?」
 思わず猫はノラで野生じゃないよと突っ込みたくなったが、ま、いっか。
「つまり……」
 うずまき模様の猫は品種改良で生まれたのではなく、メイフラワー号でやってきたヨーロッパ猫と北アメリカのノラとの混血だという。ちょっと前まで「お隣のタマ」でしかなかった尻尾のみじかい猫が、「ジャパニーズ・ボブテイル」なとどいう仰々しい品種に変身したのと同じことだ。おそらく人間の目から見て美しい猫をつかまえてきて交配を重ね、良い形質を受け継ぐようになったものを初代血統書つきとしたのだろう。
「ほえぇ、血統書って純粋に人間の遊びだよねえ、当たり前だけど。こんなことお金持ちのヒマ人にしか考えつかないわ」
 照れくさいので、以後うちではユキの模様をクラッシック・駄猫(だびょう)と呼んでいる。

 つきあっていろんな猫の説明を読むうちに、目がちかちかしてきた。アメショと言えばうずまきだけかと思っていたら、ほかにも色々あるらしい。「公認されたパターン(模様)」などという言葉が飛び込んでくる。なんじゃそりゃ。
 目と毛皮の組合せにも「公認色」が存在するとか。たとえばよく知られている白黒のうずまき猫。模様がうずまき、銀地に黒。目が緑……と、三拍子そろって初めて公認されるそうだ。
 生き物の姿に公認も非公認もあるまい。そこにあるものを認めないとかいう問題ではないと思うのだが、この世界では「美しくないものは存在しないも同然」で、その他大勢あつかいだ。
 品評会の審査基準ともなると、めったやたらと細かい。
「顔と鼻の長さは中位の短さ。目と目の間隔はほどほどにはなれてセットされ、マズルは角張っているが、ペルシャほど短縮されていないこと」(猫の顔黄金比率・図解入り)
「体の各部分は長さ高さの比率がこれこれで、肩甲骨から尾のつけ根までの長さと尾の長さがほぼ等しいこと」(猫の体黄金比率・やっぱり図解入り)
「肩にバタフライ・マーク(蝶が羽を広げたような模様)があり、その羽部分はどこそこのしまとつながり、中央部は背骨にそった太いたてじまにつながり、そのたてじまの両脇には何色の筋が何本ついていて……」
「審査における配点は、頭部三十点、目の色五点、耳五点……(十の部位に分けて配点)……さらに被毛に模様がある場合には……(六つくらい配点部位が増える)……」
 大胆に省略したにもかかわらず、いま、これを書き写していて息が切れた。
 なおかつこれは「うずまき模様」の基準であって、「ぶち模様」の基準は別にある。さらにこれはアメショの基準であって、同じうずまきであってもメイン・クーンに適用されたりはしない。審査員の頭の中は、膨大な情報を瞬時に引き出せるデータベースだ。きちっと勉強してライセンスをとらなきゃ出来ないらしいし、ライセンスにもレベルがあるという。
 やっぱりヒマだぜ。

 ふと気がつくと、わたしたちは全員でキャット・ショーごっこをしていた。思いのほかなりきってしまって、いま考えるとけっこう無気味だったりする。
「骨格は完璧なんだけれども、しっぽの先細りが減点よね」
「クラウン(額にある王冠のような模様)は申し分なしだぞ」
「全体的にコントラストが薄いのが残念だわ」
「リステリン(ほら、うがい薬のことよ)を薄めてコーティングすればつやが出るって」
 などと言うといかにもだが、トリマーに預けるどころか自分でブラッシングしたことすらない。猫は撫でてなんぼのものだ。
 でも……。
 白状すると、すごく楽しかった。払えるかどうか分からないローン(母の言による)がついた家に、ぼろぼろの爪とぎ用ソファーを置いて、ランニングやらジャージやらを着たおっさんおばさんがね。
 誰も本気でうちの猫を品評会に出そうなんて思っちゃいなかったのだけれど、滑稽でも夢は見るものだ。




  3 猫も娘も結婚騒動

 ユキはブリーダーの家で犬と一緒に育ったせいなのか知らないが、猫語の発音が悪く性格も犬っぽい。冗談に
「どうしてお迎えにきてくれないの? 淋しいじゃない」
 と言ったところ、毎日玄関で待っていたことがあった。不思議なことに、お迎えを済ませて去っていく後ろ姿を見ながら
(そんな律儀にしなくてもいいのに)
 と心で呟くと、翌日からぴたりと来なくなった。
 それでも気分しだいで、送り迎えをしてくれる。
「行って来るからね」
 と言うと、たまに
「うぐっ!」
 と返事をするのがいい。(何年間も飼ったのに、ニャーンと鳴いたことはほとんどないのだ。)
 
 ちょうどそのころ、妹には結婚話がもちあがっていた。結婚話というより家族あげての結婚騒動だ。お定まりの
「どこの馬の骨とも分からん奴に、うちの娘はやれん」
 から始まって、家同士の作法・価値観のリサーチ合戦、すれ違いやら誤解やら。
 なにせこちらは道産子なもので、「本家が」「分家が」などと言われたって、さっぱり分かりゃしない。
「家の格はあちらが上だが、向こうはなんといっても跡取り。どちらを上座に座らせる?」
 なんて話をきいてるうちに、疲れてしまった。
 おりしも世間は雅子様お輿入れの話題で盛りあがっていた。わたしは家同士の結婚話では部外者だったから、どこの宝石店の記念セールが指輪を安く買える、なんてチラシあさりをしてせめてもの貢献を図ったものだ。向こうのしきたりでは指輪もウエディングドレスも花婿の父が指定すると分かって、ちょっとがっかりしたけれど。

 すべての段取りが決まった朝、母の足音がとつぜん老人のものに変化した。ユキはこういうとき、必ず送り迎えに出る猫だ。出発の直前、妹は見送りにきたユキに
「お父さんとお母さんのこと、お願いね」
 と話しかけてから旅立っていった。

 新しい環境になじめないまま、母は年を越した。家族全体にかなりのストレスがかかっていたが、そんなことには関係なく猫にも恋の季節がやってくる。ユキが特有の低い声でオスを呼びはじめた。
 わたしたちは急に立ち直って奮起した。猫の結婚もがんばらなくちゃ! まずは見合いについての本を読破しよう。
 で、読んでみたのだが、これもまたメチャクチャ細かい。オス猫とメス猫の飼い主ではどちらが格が高い、から始まって、「お礼は何日以内にどうやって」「生まれた子の分け方ハウツー」「見合い中にどちらかの猫が傷ついた場合の損害賠償」と続く。
 たかが猫の見合いごときにこれほどの大騒ぎをするのだから、上流階級というのは恐しい。猫だからまだいいけれど、人間の結婚だったら大変だ。庶民は安易に玉の輿など夢見ない方がいいぞよ、と思った。
 ……まあブリーディング自体は、今では必ずしも上流階級のものではない。いくらかの元手と商才と動物を可愛がる心、それに適切なアドバイザーがあれば庶民にもできる。ただしそこで人間同士がとりかわすコミニュケーションの質は、やっぱりお金持ちのパターンをいくらか踏襲しているのだ。

 子猫が生まれたら、自分達で血統登録をしなくてはならないだろう。親猫の登録をした協会に頼めばよいのだが、ついお遊びで調べてしまった。
 血統書は色々な協会が発行しており、それぞれ自分のところのがいかに素晴らしいかを宣伝している。
『猫籍登録原簿に基づいて発行した権威ある血統証明書!』
猫籍か。たぶん「びょうせき」と読むのだろうが、「ねこせき」と読みたくてたまらない。
『本協会は最高六代に渡る血統証明、A3判にすきなく記載された六十二頭。世界に誇る血統書』
六代で六十二頭って、かんじんの自分の猫を数え忘れているのでは?
 しかし、世界に通用する猫の血統書を発行できるのは、地球上にわずか二団体しかないそうだ。それ以外の血統証明をめぐって
「本物だと思ったのに騙された!」
 などのトラブルが発生するとか。
 他の団体の証明が嘘っぱちというわけではないだろう。充分に良心的に血統を管理しているなら、偽物とは言えない。しかしそこが人間の決めたステータスで、実際に正しく証明されていることより「エラク感じられる権威」が大事なのだ。
 へんな世界。もとを正せば猫の血筋なんかいくら正しくたって、人間はエラクないのだけれど。

「なんでオス猫の飼い主の方が格上なの」
 わたしは書類から顔をあげて不満をならした。
「メス猫の飼い主の方が絶対に大変だよね。子供が生まれるまでの健康管理をしてやって、お金もいっぱいかけて、ひょっとしてお産の事故で自分の猫が死んじゃうかもしれないのに」
「もしも一匹しか無事に育たなかったら、どっちが子供をとるかでもめなくちゃならないのか?」
 母はゆったりしたものだった。
「それだったら大丈夫。ユキをくれた人のオス猫と見合いさせるから」
「あ、そうか。見合い相手用と子返し用と、二匹ぜったい必要かと思ってあせったわ」
「向こうもいい仔ッコを取りたいはずだから、いい猫を回してくれるでしょ」
 最初から計算ずくか。恐るべし母。
「縁起でもないこと言ってあれだけれどもさぁ」
 と、わたしは言った。
「妊娠しなかったり流産したり、生まれた子がすぐに死んだりしたら、成功するまでお見合いしなくちゃならないわけでしょ」
「ううん……」
 思わず全員が唸った。
 そのときの経済状況では、ユキの代金ばかりか交配料さえ危うかった。くだんのブリーダーには世話になりっぱなしでロクなお礼もしていない。絶対に子猫は必要だ。できれば二匹以上は欲しい。
 それだけではない。わたしたちはマンション暮らしでペットは禁止になっている。幸い他人に迷惑をかけないかぎり、堂々と連れ歩いても黙認されるおおらかさはあった。しかし発情期の猫の声がどんなものかは、いまさら言うまでもないだろう。
「最初の発情期は見送るように」
 とブリーダーからは注意を受けていた。母猫が若すぎて授乳を放棄したり、お産で死んだりしやすいからと。しかもひとたび妊娠して失敗したならば、
「体力回復のためにも、次の発情はやっぱり見送ること」
 なのだ。
 ユキが鳴くたび、ご近所さんが怒り出しはしないかと心臓が縮む思いがした。なるべく早く義務を果たして避妊させなければ、飼い続けることができなくなってしまう。
 失敗したら近所づきあいをどうしよう?



  4 猫がお金に見えるとき

 初心者に怪談のように聞かされる話がある。

 ある男が血統書つきのメス猫を飼いました。子猫が生まれるたびに五万、十万ともうかります。男は夢中になって季節のたびに子供を産ませました。猫は男の自慢でした。
 ある日とつぜん、猫は口からあわを吹いて倒れました。
「どうしたんだ、しっかりしろ!!」
 おろおろしている男の前で痙攣をおこしたかと思うと、猫はあっという間に死んでしまいました。
 調べてみると、相次ぐ出産で骨も歯もぼろぼろになっていたのです。それでもなお、欲深な飼い主のために産み続けた結果、カルシウム欠乏症の発作を起こしたのでした。

 『金の卵を産むニワトリ』みたいな話だが、実話らしい。ありそうなことだ。
 わたしたちだって生まれてくる子猫の相場を聞いて、心中穏やかならぬものを感じた。これが人間の欲望かというものを。とりつくろって猫は値段や血統じゃないよね、愛情だよね、家族の一員だよねと言ってはみても、なぜか硬直したそらぞらしさが混じる。
 退職金で買ったワープロで、父がタイピングの練習をしていた。プリントアウトされたのは、嫁いだ妹への架空の手紙だ。
『今日ユキが子供を七匹も産みました。引く手あまたで大変です。子供が売れたらそちらへ旅行に行きますのでよろしく』
などと書かれてある。
 母がユキを飼いたがったわけは血筋がよいからではなく、ひとめ惚れのためらしい。不幸なことに、それは血統書つきだった。柔かくて可愛い猫を、ただそばにおいて撫で回したいだけの貧乏人には、荷が勝ちすぎたのかも知れない。

 一度目の見合いにはすでに失敗していた。ユキの放った猫パンチがみごとに決まり、ビビったオスは二度と近づかなかったのだ。損害賠償がどうこうというのは、ここで流血沙汰になったときのことである。
「やっぱりオス猫のテリトリーで見合いさせないとダメなんでないの」
 と、わたしは一人で気をもんだ。猫はメスの方が主導権を握る。見合いのときにはオス猫の家にメスを連れていき、強弱関係を緩和するのがセオリーらしい。しかし、元をとりたいブリーダーが悪いようにするはずがないというので、母は強気だった。
 次に連れてこられたのがクリーム・タビーの金ちゃんという猫だった。クリーム色のアメショなんて、写真でも滅多にお目にはかからない。このあたりでは超レアということで、「金ちゃん」という愛称は「金の成る木」からきているそうな。誰かやめさせろよ、そういう名前。
 さいわい金ちゃんは強気の猫だった。女に横面はたかれるのも男の勲章さと思ったかどうかはともかく、見合いは成功して母はほくほく顔で返しに行った。
「どんな仔ッコが生まれるんだろう」
「まだ妊娠したと決まったわけじゃないけれどねぇ」
「ほんとに七匹も生まれたらどうしよう? 猫の乳首の数って確か……」
「そしたら幾らくらいのもうけになるんだろうな」
「お父さん、そういうのとらぬ猫の仔算用っていうんだよ」
 このときわたしが何気なく言った「とらぬ猫の仔算用」という言葉は、今でも我が家でローカルに通用する。ふたを開けてみると数の問題ではなかった。

 ともあれ。ユキは無事に身ごもり、わたしたちは子猫が生まれるのを指折り数えて待つ生活に入ったのだ。


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