| NEXT | PREV || HOME | NOVEL | ESSAY |
月花散るとき 番外編
《なぎ》の花・6
 目が覚めたら、朝だった。
 なんとも言えないほどひどい勢いでゆさぶられてなあ。
「おい、おい、死んだのか!? 生きてたら目を開けろ!」
 って、誰か耳もとで怒鳴ってる。どういうわけか、すごくいい気持ちでまぶたを開けたっけなあ。
 夢のなかで本当にいいことがあったような気がしてな。目を開けたら絶対にそれが正夢になるって知ってるような、そんな気分だった。どんな夢を見てたかだって覚えてないのに、妙なもんだ。
 俺、どうやらそのとき、笑ってたらしいんだわ。ぼうっとしてあたりに集まった顔をながめてたら、誰かが、
「こいつ頭がおかしくなったんじゃないか」
 って言ったような気がするんだ。助け起こしてくれた奴の手をどけて地面に手をついたら、ようやく町長《まちおさ》が出てきてよ。
「おまえ、罪人をどこかへやったか」
 と聞くじゃあないか。俺ぁ喜んだね。
 万歳! あんなこと言ってたけど、姉さまはちゃんと自分の幸せを願ったんだ。あの女が、こっから連れて逃げてくれたんだ。
 そう思って檻のほうを振り返ったら、なんか変なんだわ。
 犬小屋みてえな檻のなかにはな、犬ころみてえな婆さまが入ってた。手も足も赤ん坊みたいに縮めて、いまにもおぎゃあって泣きそうな格好したままでな。
 死んでたんだわ。
 見たこともねえようなしわくちゃの年寄りでよ。百まで生きたって、あんなになるか分かりゃしねえ。どこに目があってどこに鼻があるのかも分からないほど、めちゃくちゃなしわがついていた。
 誰にもさっぱり見覚えがなかった。さんざんにあれこれ考えたあげく、みんな言い出したさ。
「あの忌み手使いは罪人を逃がしてやって、かわりに死んだ婆あを投げこんで行ったんだ」
 ってな。
「それじゃあどこの婆さんが身代わりにされたんだ?」
 って誰かが聞いたら、どう考えたらいいか分からなくって、シーンとなっちまったよ。長《おさ》と役人は口を曲げて、腕組みしたまま婆さんをにらんでた。
 俺、おそるおそる言ってみたんだ。
「長よ、ひとつだけ見覚えがあるんだけど」
 長は怒った顔をしたなあ。あんないわくつきの女に入れあげた若造が、みんなの前で口を利くなって、たたき出されるかと思ったくらいさ。けれど長は、それをしなかった。忌み手使いの魔法にくらべたら、俺の不調法《ぶちょうほう》なんざゴミくずみたいなもんだから。
「なんだ、言ってみろ」
「その婆さんの着てる服」
 姉さまが着ていたのとそっくり同じだったんだ。
「そんなことは見れば分かる。問題はその中身だ!」
 それでなんにも言えなくなった。
 案山子《かかし》みたいに立ってうつむいてたら、聞き覚えのある声が響いた。
「今日もずいぶん人出だわねえ。小さな町のわりには、たくさん住んでいること」
 俺の肩先のな、すぐ後ろからしゃべった奴がいたんだ。冷たい刃物を押し当てるみたいに。飛びあがって振り向いたら、忌み手使いが立ってたよ。
 どっから来たのか分からねえ。いつ現れたのかも分からねえ。俺が姉さまのためにとってきた花をたばにして、ふらふら振ってやがる。摘んでからまる一日たってるもんが、まるきりしおれてないから不思議だったさ。女の手が土でできていて、そこに根をつけて咲いてるみたいだ。ハッとするほど瑞々《みずみず》しくてな、大きく開いた花びらがピンとしてた。
 俺のほかはみんな転がって逃げたよ。逃げたあとも遠巻きにしてたけれど。

 町長《まちおさ》は顔をしかめて女をにらんだ。
「忌み手使いよ、おまえを咎《とが》めるわけではないが、この町にはこの町の掟《おきて》がある。罰を受けるべき者に罰を受けさせないと、示しがつかなくて困るぞ」
 女は少しも動じなかった。花をもてあそんでくすくす笑っていたかと思ったら、
「咎人《とがびと》は死罪にしたわ。どこへも逃がしていないわよ」
 と切り返したんだ。
「ばかを言うな。この死体のどこが娘だ! 同じなのは服だけではないか」
 忌み手使いは、黙ってまぶたを伏せていった。頭にかぶった布の下から、両端のあがった口もとだけがひくひく見えた。土色の顔んなかの薄い唇が、へんに赤かったなあ。
 それきり言い訳も魔法もしない。なにをたくらんでるのか分からないだけに、みんな口が利けなくなってな。どこもかしこも氷でできたみたいに動かなくなっちまった。
 長《おさ》はまごまごしたような顔をしていたが、そのうちじっと眺めてよ。死んだ婆さんの額に、かすかな傷あとを見つけたらしい。姉さまの弟を呼びつけて、
「おまえの姉さんの体には、あざやほくろや古傷がなかったか」
 と尋ねた。弟は答えたよ。
「背中のほうに焼け火箸《ひばし》のあとがあるよ。右肩から左下にかけて」
 で、みんなで婆さんの服をぬがせて背中を見てみたら、その通りの古傷が出てきたのさ。
 体を縮めてかたずをのんでいたら、女はようやく口を切った。
「この町には、さらし施しという掟があるわね。死ぬまえにいい夢を見さしてやるぐらいは、かまわないはず。それともわたしが手を下したことに、なにか異存があるの?」
 誰も言い返す気になんかなれなかったさ。機嫌を損ねたらなにをされるか分からないから。おっかない魔女と目が合わないよう、手前《てめえ》の足の先っちょながめてじいっとしてたもんだ。
 それでも長《おさ》はがんばったよ。よけいな気概を見せてなあ。
「苦しんで死なせるから罰なのだ。いい夢を見せて死なせるのでは見せしめにならん」
 女は声をたてて笑った。
「確かに一理あること!」
 そしたらなにが起こったと思う? あっちからもこっちからも、ひゃひゃひゃあ、って笑い声が響くんだ。
 みんなは慌てて見回した。人の姿はどこにもねえ。大風を防ぐ黒い松の木や、足元の石ころや砂が笑ってるんだ。転がるみたいにひゃひゃってよ。磯風が首筋をなでながら声を立てたときには、本当に飛びあがっちまった。確かになにかがいたんだ。この首っ玉んとこによ……。
 あたりじゅうがすくんでた。次の瞬間に氷づけにされるのか火で焼かれるのか、それとも疫病にかかってのたうちまわることになるのか、からきし見当もつかねえ。魚売りの爺さまなんぞは、地面にしゃがみ込んだまんま、まばらになった歯を打ち鳴らしてたよ。年寄りが震えあがってるのに気がつくと、女は両の手を打ってようやく笑い声をしずめたんだ。
「町長《まちおさ》の言い分、もっともなこと。よくよく考えれば、とんだ邪魔をしてしまったわ。お詫びのしるしに、きちんと見せしめをしましょうか」
 長《おさ》はびっくりしたらしい。そりゃあとんでもない大声で聞き返した。
「もう死んでしまったのにか?」
 女は細いあごをあげて言い放った。
「生き返してから辱めればよいでしょう」
 やめてくれと叫ぶ間もねえ。忌み手使いはきっと俺のほうを振り向いて、
「おまえにも手伝ってもらうわ」
 と決めつけた。
「この女のいちばんみにくい姿を見なさい」
 そう言っていきなり背中を押したんだ。やせ腕で軽くこづかれただけなのに、俺ぁすっ転がって姉さまのまえへ手をついた。

 あの人の顔は、笑ってたよ。
 目も鼻も分からないほどくちゃくちゃに寄ったしわの全部が、笑った形をしていたよ。
「夢でもいいの。一度だけ幸せになってみたい」
 って、どんな夢を見たんだろうなあ。一晩であんなに歳をとったのは、百歳まで生きる夢だったからかな。
 俺が出てくる夢じゃないかって? バカ言うんじゃねえよ。うんと金持ちの、王さまみたいな男が出てくるんだよ。

 口で息をしながらバカみたいに見入っていたら、背中の方でなにやらポキリと音がした。女は白い花の首をもいで、ちょうどこっちへ差し出そうとしていたんだ。振り向いた瞬間、目のまえに突きつけられて、なにがなんだか分からないまま受け取っちまった。女は目を伏せたまま、口の中でぶつぶつ言っていたっけ。ひょっとしたらあれが呪文ってやつなんだろう。聞いてるうちに頭がじんとしびれてね……、見ていた奴の話だと、
「花に息を吹きかけなさい」
 と命令されてその通りにしていたらしいんだが、なにひとつ覚えちゃないんだ。気がついたら女の手に花を戻しているところだった。ハッとして顔をあげたら、金色の目が笑ったな。
 女は首だけになった花を取りあげて細かくむしると、しわくちゃになった姿に、雪のように振りかけた。春先の氷みたいに小さくきしんだ音がしてな、姉さまの体はぐんぐんしなびていった。しなびてしなびて、溶けるように縮んでいって。
 最後は雨ふらしになっていんだ。
 だぁれもなんにも言わなかった。ただただつっ立って、バカみたいに口をあけてた。
「この女がいちばん嫌った姿に変えてやったわ。こんな体を男に見られて、さぞかし無念でしょうよ。道をはずした恋心も、これですっかりさめたはず」
 そう言ったあと、忌み手使いは眉をつりあげて長《おさ》を見た。
「どう?」
 なにもかもがそれで終わった。あんな気味の悪い女にそれいじょう逆らいたい奴なんか、一人もいなかったからよ。
NEXT PREVHOME NOVEL ESSAY

Copyright(c) Misato Oki 2005