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月花散るとき 番外編
《なぎ》の花・7
 忌み手使いが去ったあとも、姉さまの弟はその場にじっと座りこんでたなあ。
 なにがなんだか分からなかったんだろう。
「これは姉ちゃんじゃない」
 のど穴から空気がぬけるみたいに、ヒューヒュー泣いたさ。むりもないわな。
 長《おさ》は困って、
「おまえが雨ふらしをなんとかしろ」
 と言ってきた。不思議なもんだ。生きた人間を縛り首にすることはできても、あの小さな虫けらを踏みつぶすことはできなかったらしい。
 雨ふらしを両手ですくってもらい受けたあと、俺は磯のほうへ歩いていった。二人で散歩したあの日から、ひと月たつかたたないか。壊れかけた小舟の近くにゃ、姉さまが楽しみにしていた水色の花が咲いていたよ。


 俺なあ、実はあのとき、姉さまにくれてやりたくて、花のほかにも持ってきたものがあったんだわ。みんなの見てるまえでやったりしたらどんなことになるか分からないと思って、とうとう渡せなかったやつ。手前《てめえ》で作った貝殻の髪飾りをな。
 なんにも助けてやれなかったくせに、あわよくばなんて、いい気な夢みて作った物だった。材料だって親方の目を盗んでよ、ちょっといいとこくすねて作ったんだから、どうしようもねえ。
 俺は髪飾りに海の水を汲んで、姉さまを乗っけて運んでいった。体が乾いて死んじまわないように、何度も止まってはのぞきこんだよ。
 見たこともないほどきれいな雨ふらしだったなあ。すきとおった体に牡丹雪《ぼたんゆき》みたいな模様が散って、内気そうに身じろぎしてな。あの人は人間だったときと同じように優しい姿で、波の音を楽しんでるみたいだった。
 そのまんま立ちつくしてぼうっと眺めていたら、急にあの女の声が聞こえた気がしたよ。
「おまえがどんなに身勝手な腰抜けか、思い知らせてあげようか」
 って。
 俺は貝殻のなかに水色の花をちょこっと乗せて、雨ふらしを飾ってやった。澄んだ水にそのまま入れたら、鳥みたいに体をひらひらさせながら泳いでいったよ。
 波に乗って遊ぶみたいに、ゆったりとなあ。

*       *       *

 風が弱まってきたねえ。そろそろ夕凪《ゆうなぎ》かい? とんだ長話になっちまった。旅のとちゅうなのに、引きとめてすまなかったよ。

 なあ、間違ってたらなんだけれど。こんなよた話に最後までつきあうなんて、おまえさん、なにかあるんじゃないのかい?
 ああ――。可哀想な女がいるのか。不治の病にかかってるんだねえ。
 だから忌み手使いを探して治してやりたいって? そりゃ難儀《なんぎ》だわな。
 ハハ。年の功なら、
「悪いことは言わないからよせ」
 とかなんとか言わなくちゃならないんだろう。だけどやめておくさ。
 不幸な女のいじらしさは、一生胸に刺さることがある。せいぜいおまえさんのために祈ってやろう。
 道中、気をつけて行くんだよ。

―― 完
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2010.4.2-

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