あのことがあってから五、六日もたっていたかな。あさ目を覚ましたら、近所中が大騒ぎになっていた。酒飲み野郎が血まみれになって死んでいるってよ。見た奴の話じゃ、台所の刃物でめった突きになっていたらしい。すぐそばには、まだ小さい子供たちがいてな。呆けたような顔をして、みんなで床に座り込んでいたって。
誰がやったかは、ひとめ見りゃ分かるって話だった。ほかのガキどもはちょっとしか汚れていなかったのに、姉さまだけは血でドロドロになっていたから。
どんな外道でも親は親だからね。ましてや娘っこがそれを殺すなんて、許されるはずはねえ。姉さまはそのまま役人につき出されて、死罪と決まった。最初は同情していた近所の連中も、死罪前の“さらし”が始まると、面白がってからかいにいったよ。
おまえさん、この町の“さらし”を知ってるかい? 知らないだろうなあ。どう見てもよそ者だもんなあ?
あのな……、犬コロ入れるみたいな小さい小さい檻《おり》に入れてな。中に入れられたもんは、背中をこぉんな風に丸めて、じいっと縮こまっているしかできないようにするわけよ。決められた時間に足かせつけて小便小屋へ引きずって行かれるほかは、ろくな身動きもとれねえよ。その格好で、まるまる一晩さらすわけ。
たったそれだけと思うなよ。飲まず食わずでガチガチに縮こまったまま過ごすってのは、けっこうな拷問なんだ。最初は平気そうにしていても、時間がたつにつれてじわじわと響いてきてな。じきに息がつまって体じゅうが痛むらしい。早く殺してくれと言い出す奴もいるくらいさ。
さらしの両側にはもちろん見張りが立つんだが、罪人がヤクザ者なんかだと、見張りを殺してでも仲間が助けようとするかも知れないから、滅多にはさらさねえ。道ばたでさらされている奴がいたら、助けのこないひ弱な連中と思って間違いないだろう。家族からも友達からも、完全に見捨てられた奴さ。
“さらし施し”っていうのがあって、これは言葉どおり、さらしにあってる奴に施しをすることだ。罪人のために施すんじゃないぞ。
「クズのような連中に花や食べ物をくれてやるとは、心のきれいな奴だ」
ってことになって、死んだあと神さまがいいとこ連れてってくれるんだと。だからして、もちろん刃物やヤスリを施しちゃなんねえ。
だけどよ。実際のところ、ほんとうに花や食いもんを分けてくれる奴なんざ、滅多にいないもんだ。たいていの奴は、
「ほれ、のどが渇いたろうから水をくれてやる」
なんて言って、天井から小便ひっかけたりするもんさ。姉さまんときはひどかったよ。べっぴんだったのが仇になった。父親にやられた女だって、みぃんな知っていたから、よけいにな……。姉さまは最初から罪を認めて、隠し立てなんかなんにもしなかったのに、役人に殴られて、せっかくきれいになった顔がまた青ぶくれになってた。そこを目がけてやってやる、なんて言い出した奴がいてよ。
最初のうちは、誰も本気でひっかけるつもりはなかったみたいだ。
「かけるぞ」
って脅して、いやがったり怖がったりするのを二、三人でからかうだけだった。だけどよ、そんな時にかぎってやたら元気になる連中てえのが、どこの世界にもいるだろう? 手を打ってはやしたり、もっとやれって叫んだりしてよ。そんなことやってるうちに、みんなだんだんおかしくなってきて、最初は檻のすぐそば、次は檻のすみっこ、次は服のすそときて、手やら脚やらにしぶきがかかり始めたときには、あたり全部がとり憑かれてたよ。そこにいるのが可哀想な娘だったことなんか、生まれてこのかた、ただの一度もなかったみたいだった。こんなおぞましい人殺しの女なんか、いじめてやるのが世のため人のためだ。父親にやられたことを大声で言いたてたり、小便ひっかけたりするのは正義のなせるわざだ――てな考えに、熱病みたいに浮かされちまったんだ。
「今度は顔のあざを的にしようかあ? うまく当てたらなんかおごろうや」
って、みんなで大笑いしたのさ。
俺は怒って、お袋のとめるのも聞かずに檻のまえに飛び出していった。それまでだって、何度やめろと怒鳴りそうになったか分からなかったんだが、
「みんなの見てるまえであの人をかばったら、父さんも母さんも、妹や弟までどんな目にあうか分からないよ」
って言われて、我慢してたのさ。だけどあすこが限界だった。気がついたら、
「おまえら、自分の女や娘がこんな目にあったらどうするんだ!」
ってわめいて、土手から摘んできた花を檻の中に投げこんでたよ。姉さまが、
「この辺ではいっとう大きい」
って言った、あれをな。
若気のいたりだね。今だったら、どんなに同情しててもあんなことできねえよ。女房子供もいるからなあ。
「一喝すると、なみいる野次馬たちがいっせいに黙りこんだ」
なんてえのは、おとぎ話の世界だ。実際、あんな事件が起こらなかったら俺も小便ひっかけられてたろう。
「おまえも女のおこぼれが欲しいのか」
なんて言って、とり囲まれたからね。
――そのとき人ごみをかきわけて進み出たのが、忌み手使いの魔女だったのさ。
なあ兄ちゃんよ。俺、
「そこへ無慈悲な奴らをこらしめる勇士が現れた」
なんてのはおとぎ話だって言ったろ? なのに、
「そんな俺たちをあざ笑うかのように、忌み手使いが現れた」
って言うと、本当らしいのはなんでだろうな。
忌み手使いはどんな恐しい姿をしていたかって? ああ、いやいや。見たところは全然こわくないよ。それどころか、通りすがりに頭をこづいてやれそうな感じがした。なにしろ、乞食のような格好をしていたんだからね。体は細いし背は小さいし、ボロボロに汚れた茶色の肩掛けを頭にかぶって、背中まるめて歩いてきたんだ。最初はただのよそ者と思った。
だけどよく見ると変なんだな。
その女には子分みてえな若造がついていて、へこへこしながら、しきりに追従《ついしょう》を並べていやがった。若造ったって、その時の俺から見りゃ、年上なんだがね。
女はともかく、その追従野郎はひどく目立ったよ。金持ちのべっぴんならともかく、汚い流れ女に気に入られようとするなんて、妙じゃねえか。
ただ、場合が場合だから、んなこと誰も気にしやしねえ。二人は野次馬の一番うしろに立っていたし、俺がそいつらに気がついたのは、姉さまをかばうためにみんなと向かい合ったからだ。よそ者なんですぐに目についたが、だからどうだってわけでもない。いま言ったようなことは、あとから思い出して、
「そういやあおかしな雰囲気だった」
と気がついただけで、初めっからこいつらにはなにかあるとにらんだわけじゃないさ。だいいち俺は十人もの野郎どもに囲まれてたんだ。そんなどころの騒ぎじゃない。
まえにも言った性悪ハゲが前に出てきて――ああ、そんときゃまだハゲじゃなかったな。あいつは喜んで飛び出してきたよ。
「ヤラレ女に花かあ? 花には水をやらんとな」
って言って、あたりの連中をこう見回したら、みんなギャハハと笑った。花に小便かけて、ついでに姉さまにもひっかけて、俺の怒る顔を楽しもうっていうのさ。あいつはほんとに……俺たち家族が大嫌いだったから。
もう気づいてるんだろう? さっき妹の顔を見たんだからよ。服の袖をちぎったのはあいつじゃない。あいつのお袋さんなんだ。
俺はもちろん止めようとした。だけど四方八方かこまれたあげく、野郎どもに組みつかれたんじゃ身動きもならねえ。性悪ハゲめ、俺が持ってきた花のまえに立つと、汚ねえケツ振ってちんぽこ出しゃあがった。乞食女がとつぜん叫んだのはそのときさ。
「わたしの花を汚すのは誰!」
ってな。