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風鈴と御霊送り

二の項「神の名と禍(まが)つ神」

× × ×



 宿場の上空が紅蓮(ぐれん)に染まる。使役の炎にあてられた見張り鳥は、悲鳴をあげて青く燃え盛った。回転しながら次々と屋根を激しく突き破り、着下先の読めない火山弾のように落ちてくる。上がった火の手と黒煙が空を焦がし、番人が駆けつけた宿場は一転して、火の海に巻き込まれつつあった。手のすいた者から順に、逃げ惑う宿主の手を引いて慣れない避難を手伝う。彼岸渡りを待つ魂に死はないが、直撃を受ければ魂に傷跡が刻まれ、沈着した傷は激烈な痛みを伴う。みるみるうちに、炎に飲み込まれる街。平定された狭世(はざよ)では想像もつかない悪夢だが、いま直面しているのは現実なのだ。
 襲来した使役たちは母神(ははがみ)の足元で大群をなし、深々と一礼をした。美しき母神の双眸(そうぼう)が失われたことを深く嘆いた一同も、同様に瞳を欠いている。抉(えぐ)られた眼窩(がんか)と、片側には琥珀の瞳。三迭(さんてつ)も最期に会った時、片側の神眼(しんがん)を捨てた隻眼(せきがん)だった。渡しの頭(かしら)は、あっしの横で有り得ないと呟き、何度も目を擦(こす)っている。神格(しんかく)こそが神の体現。その神格たる神眼を棄却した神など、開元して以来前例のないことなのだから、当然の反応ともいえるが。
 母神の前足にも満たない使役たちは、足元にすり寄り次々と謝辞を述べている。
『母神様よ、参じるのが遅れ申し訳ありませぬ。末席にある神格ゆえ、神気(しんき)を潰し肉体を捨て、思念体を定着させるのに時を要してしまいました。我ら、母神様の眷属(けんぞく)の悲願。三上(みかみ)の御山(おやま)で味わった屈辱と無念。ついに、母神様と共に天に問う刻が来たのですね』
『主たち。よくぞ、遠方の我が呼び声に応えてくれた。許すがよい。神の世は、理路整然が過ぎる故な。集結の地がよもや人の坎(かん)の世になろうとは。ここの輩(やから)は、自らの縄張りしか眼中に入れぬせまき眼(まなこ)。その割には渡し以外、さして統一に洗脳もされておらず思念は混沌』
 母神たる狼神(ろうしん)は、天に疑問をもつ概念すら滅された神の狭世(はざよ)より、人の世の方が多感なだけ、世界そのものに隙があると言う。だから坎(かん)の世が、天(てん)の石室(せきしつ)の破片を探し当てる最適の地であったと。天の石室とはすなわち神気。神を隠すならば神の中。神の世で、神気が神気に覆い隠されては、探せる物もなかなか見つかるまい。
『背に腹はかえられませぬ、母神様。使命を全(まっと)うせば、つつがなく焼身浄化(しょうしんじょうか)される理に疑念すらもたない貴方様の世。あまりにも秩(ちつ)に縛られ、遮蔽(しゃへい)されすぎておりますゆえ』
『そうです、母神様。それは我ら使役の世とて同類。天寿に従い送られた魂は、疑念や恨みを吐露する前に、くまなく猛火で焼かれますゆえ。我らとて焼かれる前に、どうにかして神格を潰すのが精一杯の不甲斐なさ』
「ならば御方(おんかた)よ。貴方様は坎(かん)の狭世(はざよ)で、天の石室の欠片に呪言(じゅごん)を穿ち、空間の秩(ちつ)を曲げ、並行する使役の巽(そん)の世を接続しなさった。神眼を砕かれたのは、貴方様がおられた離(り)の世の秩を撹乱(かくらん)し、坎(かん)の世への道を繋げやすくするためでしょうや?」
『ほう、それで?』
 秩(ちつ)を守るための戒律は、神の世は人の狭世(はざよ)と比べ絶対のものと聞く。再会を喜ぶ神々の声に水を差したあっしの声は、不敬にあたったものなのか。尖った耳を立て、低い喉が鳴る。盲(めし)いた使役は鋭い牙で唸りを上げ、裂けた口元から垂らした唾液は、ぽつりと滴り足元で染みを広げた。あっしは続けた。
「神は高位であるほど、神眼を潰しても神籍(しんせき)からはすぐに外れず、神格を完全に落とすまで時間を要すると聞きやす。神眼を潰した降位(こうい)の神(かみ)となり、神気を弱めた状態で坎(かん)の世に永く潜んだ。それは全て天の石室を探し当て、この狭世(はざよ)で決起するためであったと?」
 狼神は激昂する使役を長く吼(ほ)えることでなだめ、あっしをしばし見下しては鼻腔(びこう)をひくつかせた。
『そうよ。御霊(みたま)送りの折、我がなぜに河岸を歩いておったと思うてか。汝(うぬ)らは、何ゆえ見取り図が河岸に張られておるのか、考えたこともあるまい。天を疑することすら罪と思うておる、愚かな渡しの膝元ゆえな。かつて人と四足(よつあし)の違いは、高度な思考を可能にする頭脳を有するか否かと、能弁を垂れた思い上がりもおったが。汝(うぬ)らを見ておると、生存本能に貪欲なだけ、四足(よつあし)の方がまだ美しいわ』
 言葉を切った狼神は愉快そうにほくそ笑み、横に引いた口から熱風を吹き出した。『見てきたところ小僧は、木偶(でく)の渡しと少しばかり毛色は違(ちご)うておるようじゃ』と、カカカと豪快に笑う。そして、
『察しのよさと我への節度に、慈悲をもって答えてやろう。見取り図とは、神気が走る地脈を隠すための目かくしにすぎぬ』
 辺りがざわめく。鎮地(ちんち)がなされている河岸も、御霊(みたま)の祭事期ばかりは現世(うつしよ)と彼岸への河が開くため、神気が走り地脈が応えやすくなっているのだという。いつもは呼び声に応えぬ石も、ひとつずつであれば、走った神気が地脈を伝い呼応して集まる。呼応した石に接吻(くちづけ)て神の御息(みいき)を吹き込み、呪言(じゅごん)を穿った石を再び地に戻す。そして地脈の中で歳月を経れば、破片は神の息吹を吹き返しもとの天石(あまいし)が蘇る。ただし呪を込められ、秩(ちつ)を曲げるための禍(まが)つ岩として。だがあっしには、それだけが狼神の目的だとは思えなかった。
「本当に、それだけが貴方様の計略だったと言えやしょうや? わざわざ坎(かん)の世でそこまでして秩(ちつ)を乱さずとも、貴方様が狭世(はざよ)を渡り空間という甚大な秩(ちつ)を乱せば、天が気付かれぬはずがありやせん。それでも天は……看過なされた。違いやすや?」
『答えてやれば調子に乗るな、小僧! 取るに足りぬ人間風情が、口を挟むことではないわ! 我らは坎(かん)の世の魂に、危害を加えるつもりはない。我らが望むは唯ひとつ。この河を渡し、彼岸に行かせるがよい』
 狼神は使役もろとも、天に向かってけたたましい雄たけびで呼びかけた。あっしは、耳を疑った。神が人の世の河を渡れるはずもなく、ましてや人の狭世(はざよ)の彼岸へ行くなど。あっしは狭世(はざよ)を奮わせるほどの苛烈な啼き声を、死して初めて目の当たりにした。のし掛かってくるものは、身動きすらとれない重圧だ。通力を持たない元さんなど、尻を出したまま頭を抱えて、「神殺しの祟りじゃ」などと喚いている。神には神の、使役には使役が渡る御世(みよ)があると陳述すれば、狼神は七尾に炎を起こし、怒号を一喝して降らせた。
『我らに渡る河があると思うてか! 使命を全うした頭一等(とういっとう)の神は、日(ひ)の輪(わ)で締め付けられ日輪(にちりん)に焼かれ、二位(ふたい)の神は大釜にくべられ日輪の暁火(ぎょうか)で炙(あぶ)られる。焼身浄化(しょうしんじょうか)の名のもとに、ただその順を待つのみよ。使役は天寿を全(まっと)うすれば、猛火ですべからく焼き尽くされる。我らと違い、一体ずつに敬意も表(ひょう)されず総じてな』
 尾から飛散する蒼い炎が、闇に映える。落ちては足元を焼き、吹き上げる熱風が頬を焦がした。
(我は三上の御山で誇りと責を全うし、釜で炙(あぶ)られるのを待っていた。日輪で浄化された我が身と大意が、同胞(はらから)の明日の糧にでもなるのであればまたよしと)
 声が聞こえる。耳には聞こえない声が、確かに。
「坊や、何をぼさっとしてるの。しっかりなさいな!」
あっしをすかさず突き飛ばし、爪をたてて飛びかかってくる使役を姐さんの呪符が絡めとった。狼神はあっしの胸倉を大口でくわえ、自らの目線にまでひょいと持ち上げた。口の端からは、青い吐息が筋となりふうと漏れ出している。
『小僧、通せ! ここを通る方法を教えよ。風(ふう)の鈴(りん)とは何ぞや。我は河岸へ永きに通い、彼岸渡りの様子を見てきた。されど目にできたは、ただの一度きり。わからぬ。風鈴とは、何ぞや。分からぬ!』
「坊や!」
 かつて黒巫女(くろみこ)として呪詛を行おうが、姐さんはやはり死しても巫女。降位(こうい)になろうと神は神。攻撃はできない。牙より吊り下げられた上空からは、一度は放ちかけた攻撃の呪符に代えて、捕縛のための八卦(はちかけ)に切り替える姐さんが見えた。
「姐さん、その必要はありやせん! この御方は、この御方はこんなにも」
炎に込められた、狼神の嘆きが聞こえてくる。盲(めし)いた眼(まなこ)の奥からでも、こんなに胸が締め付けられる、哀しみを湛(たた)えた熱い涙を感じる。
(されど焼かれる順を待つ中で、耳に届くは割れた御山(おやま)の悲鳴。我が愛しき使役(こども)たちや木霊(こだま)の、断末魔の嘆き、悲鳴。もはや干渉のならぬ世のことと、耳を塞げども、なお浸みて消えぬ嘆きの渦。これでは我は、何のために御山(おやま)で責を果たしてきたのか。これでは誇りを示すためといえど、何故あの子を同胞(はらから)の前で、無惨にこの爪と牙で八つ裂きにせねばならなかったのか。あまりではないか! なぜ、天は動かれぬ! なぜに、なぜに!)
 あっしは姐さんや他の番人ほどまでに、番中法度を絶対としない。だが……。
「番人ども。通さぬ気ならば、力づくでも押し通るまでよ!」
(今の母神を見やしたら、三迭はさぞ悲しむでしょうや。三迭は言いやしたよ、御方。若神(わかがみ)と御山(おやま)を割った末路を考察して、どちらも鎮守なのであろう……と)
狼神は空へあっしを咥(くわ)え投げ、巨体を翻(ひるがえ)しては見取り図に向かった。地響きを唸(うな)らせ、猛進を開始する。あっしはとっさに受身を取ったが、一方(ひとかた)ならぬ高さから、しかも速度を増した背中からの落下だ。しこたま脊髄(せきずい)を打ちつけては、背中をろくに伸ばすこともできない。のたうつ体では、肺に息を取り入れるのも困難だった。口の中で、砂の味がする。うっすらと瞳を開けば、激しくむせ込んだ背をなでる姐さんの顔が、心配げにあっしを覗き込んでいた。天の掟に従属しなければ、神の力をもってしようとも、網目は決して破れはしない。当の狼神も、使役さえも分かり切ったことであろうに。頭突きをしては、そのつど糸が肉に深く食い込み、掟破りの傷痕(しょうこん)として、皮膚を線状に焼き付けていく。糸は破れない。頭突きがだめなら、次は激しい轟音と土埃(つちぼこり)を立てて体当たる。使役の大群も網面で弾け飛び、ぎゃうんと叫んでは土にまみれて転倒する。よろけながら立ち上がる体躯は、糸の焦げ跡も生々しく、皮膚は赤みを帯びて腫れ上がり、傷からは血が滲んでいた。
 倒れては立ち上がり、立ち上がってはまた倒れる、見るに耐えない不屈の姿。あっし達は立ち尽くし、見届けることしかできないのだろうか。幾度か痙攣(けいれん)し、もう立ち上がる力も残されていない使役。その横では頼りない足で立ち上がるが、またぺたりと伏せてしまう血まみれの使役。ついに狼神の口元からもごぼりと血が溢(あふ)れ、見事だった銀の毛並みにも乾きかけた血がこびり付き、褐色の斑(まだら)を描いていた。その上から、また新たな鮮血が重なる。
『おのれ、おのれえ。我の神籍(しんせき)が落ちるのはまだか。落ちてしまえばこのような網。我ら同胞(どうほう)に関わりなきものを』
 高格の神ほど容易(たやす)く落ちたりはしないが、神籍(しんせき)のなき神など、どのように処断されるのか聞いたこともない。
(おわすのでしたら、なぜです、天よ。あっしらの血が流れるは秩(ちつ)の乱れとされども、神の血はお気に召すのですか)
「もう、もう…やめてくだせえ。御体(おからだ)ばかりか、魂にまで傷がつきやす。そこまでして、何故にこの世の彼岸へ渡りたがるのでやすか!」
『我は通る。通るは、今でなければならぬのだ。甘い芳香(ほうこう)が我を呼ぶ、この年に』
 あっしの声は、もはや彼らには届かない。けれど神力の述行(じゅつこう)も忘れ、我を忘れた猛進を繰り返す血まみれの光景に、口にせずにはいられなかった。
 ふいに河霧の彼方に、豆粒ほどの横一列に並んだ影を見た。彼らはやがて見取り図の間近まで飛行すると、炎上した上空で速さを緩め静止した。すっぽりと体を包んだ外套を翻すと、そこに肉体はなく完全なる空虚が広がっている。天の見取り図へ着網したのは、顔に大きな呪符を貼りそれぞれが台帳を手にした、詣十一(けいじゅういち)の徒(と)だった。砕けた天の石室を中核に、天自らが通力を吹き込み、創り出した木偶(でく)とされる十一体。彼らは石室の壁に刻まれていた神籍(しんせき)を写し取り、その台帳にある真名(まな)を管理することで、記名されている神の御霊(みたま)を束縛し、在るべき場所へと強制排除する特役が課せられている。狭世(はざよ)の均衡に関する危機が認証された時のみ、坎(かん)の世では渡し守だけが、召還できる特権を有している徒ではあるが。
 彼らに存在の意識はない。また彼ら自身は、活動の意義も持たない。使命を帯びて稼動するのみ。あっしは、渡しの頭(かしら)に詰め寄った。
「認証の申請もしてやせんのに、なんてものを召還されたんですかい!」
「これをなくして、狭世(はざよ)に有事(ゆうじ)などあろうか。もはや暴挙に出られる降位(こうい)の神になど、払う敬意は持ち合わせておらぬわ。十一の徒よ。速やかにあれを縛りあるべき世へ送魂(そうこん)せよ」
 口論している間にも十一の徒の手の中で、台帳の一冊がぱらぱらと捲(めく)れ始める。そこに書かれた神の真名(まな)を唱えれば、縛魂(ばくこん)が即時に自動でなされ、行使を受けた神は、永劫に渡る魂の汚名となってしまうのだ。しかし息を詰め見守る中で、見開きの頁は大きく震え、そのまま四方へあっけなく引き裂かれた。紙切れに記された文字が剥離(はくり)し、ひとところに収縮した後、ばらばらと音をたて空へ駆け上がる。紙は塵(ちり)となって宙を舞い、台帳を手にしていた徒は、狼神の咆哮(ほうこう)を引き金に細かな塵芥(じんかい)となって砕け散った。
『おお、おお。ついに、ついに来た。我の神籍が落ちる時が』
狼神は喜びに吼(ほ)えた。狼神の銀の毛並みは溶け出し、湧き出でる泥炭の黒汁(こくじゅう)が硫黄の臭いを放ちながら、頭から体をすっぽりと染めていく。後を追うようにして、使役たちも同様に。臭気を放ち爪先まで異形へと、折り重なるように変貌を遂げる。これに近いものがあるとしたら、まつろわぬ四足(よつあし)の卑族(ひぞく)
『ニオイガスル、ニオイガ。河カラカヲル、懐カシイ馨(かお)リガ』
 あっしらが見守る先で神々は神籍(しんせき)を落とし、世に不浄をもたらす禍(まが)つ神(かみ)と成り果てた。

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