現世(うつしよ)とあの世の中程(なかほど)にある世界が狭世(はざよ)。陽の光も差さず歳月の節目すらない世界では、経過した年月(としつき)を数えることすら無意味だ。ここは八つの狭世(はざよ)の内(うち)がひとつ、死した人が通過する坎(かん)の世(よ)。方八位(ほうはちい)のうち、北に位置する狭世(はざよ)だった。御河(おかわ)にある東院(とういん)の祠(ほこら)に燈が灯る頃、見張り鳥が頭上を覆い漆黒の空に艶めいた羽を大きく広げる。洞窟の岩肌を滑る露の音へ、ギャアギャアと無遠慮に混じる喧(やかま)しい鳴き声は、風情がないどころかもはや不快だ。あっし(小生)は盥(たらい)に張った水鏡(みずかがみ) に顔を映し、垂らした髪を束ね寄せ、かみそりの刃をひと思いに横へ引いた。ざっくりと切れた髪先は首筋の上で軽く踊り、我ながらこざっぱりうまくまとまったと思う。調子づいて水に手を浸し、前髪をちょいと跳ねさせてみる。不評だった着流しの遊び人風体にも、そろそろ見切りをつける頃合だ。現世(うつしよ)では爽快なほど、あっしは人々に売り飛ばされた。保身のためとはいえ信じた首座(しゅざ)の次は、助けてやった村々で。人の心変わりが世の常というのなら、あっしの心根は変わらなくとも姿形を変えてやる。今更あてつける対象もいないのだけれど。
火事と喧嘩(けんか)は江戸の華、元号は安政の時代。あっしは江戸から遠く離れた山間、住吉(すみよし)の外れの神室(かむろ)の森で死んだ。なにぶん昔のことだが御家(おいえ)を出奔したのは、元服を終えていたのだから、十五を過ぎてほどなくだったように記憶している。親がつけた次郎(じろう)という名はそこで捨てた。死んでから時が経過しようと、容姿(みてくれ)の変わらない狭世(はざよ)だ。水鏡(みずかがみ)に映った自分の顔には青臭さがまだ抜け切らず、青年の面影が、外見(そとみ)だけはしっかりと残っている――のだから、死んだ時に二十は迎えていたように思う。変わったものは精神的に食らった歳と、住人に染まりすっかり板についてしまった商人口調(あきんどくちょう)くらいなものだ。
あっしには、人の目には見えないものが見えていた。それは、江戸の御家(おいえ) にいた頃からだ。だがそんな能力は、武家の血筋には無用の長物で口にしてしまったが最後。排他され、邪魔者ですめばまだよし。藩主お抱えの大名家に仕官などは露と消え、座敷檻にでも幽閉されるつまらない末路が目に見えていた。なんにせよ次男だったあっしは、二番手だから名も次郎。命名も適当なものだったし、仕官ではなく奉公に出されるのを待つ身にすぎなかったのだろうが。兄方(あにかた)よりほんのちょいとばかり、陽の目を見るのが遅かっただけで兄方(あにかた)は光、あっしは影。そんな天と地ほどの格差を、あっしは鵜呑(うの)みにできなかった。町には妖異どもが溢(あふ)れ返り、隠れて跋扈(ばっこ)していると信じていた。生まれ持った領分の厳しい御家(おいえ)では、そんなことでも信じずにはやっていられなかったのだ。上は僧侶の説法、下は居酒屋までを歩けば狭世(はざよ)の噂は耳にした。そんな柔軟なはずのあっしですら、狭世(はざよ)を信じる気になったのは、見事に死んでからのことだ。しかし把握できた事といえば、未だ天が創造した世界という程度だ。この世界に渡り接触した翁(おきな)の面は、人との対話を為すために、狭世(はざよ)の英知が結実しただけの偶像だったらしい。そのことを知ったのも随分と後のことで、狭世(はざよ)が創造されて以来、誰も天の姿を目にはできていないのだ。
夜の帳(とばり)の晴れることがない世界で、天から与えられた役割を、成さねばならぬ処(ところ)の事として為す。この狭間の世界において、あの世へ渡るということは、御河(おかわ)を越えて彼岸(ひがん)に渡り、裁きを受ける権利を得るだけのことを指した。渡航するのに必要な切符だけであれば、処刑された罪人にだって渡される。天は悪逆の限りを尽くした破壊者よりも、自らが構築した秩序を乱す者を激しく嫌悪した。狭世(はざよ)に縛り続けられる者は、あの世へ渡る切符すら渡されなかった者と、死者を彼岸へと渡すための渡(わた)し守(もり)。現世(うつしよ)で天命を全(まっと)うした三迭(さんてつ)が、南東に位置する巽(そん)の狭世(はざよ)に渡ったと知ったのは、それからほどなくのことだった。
洞窟の外にある御河(おかわ)は、水の色が澄んでいる。足駄(あしだ)を湧水(ゆうすい)に浸すあっしの横を、大きなほおずきの提灯(ちょうちん)がどぷりどぷりと、下(しも)から上(かみ)に向けて流れ始めていた。霧の立つ刻限まで猶予があるというのに、今年は少しばかり帰還が早いとみえる。今日は年に一度の特別な祭りだ。現世(うつしよ)では盆の時節、年に一度の御霊迎(みたまむか)えと御霊送(みたまおく)りが行われ、死人(しびと)の魂は麻幹(おがら)の迎え火で招かれては再び、葉月(はづき)の十五の日には送り火によって送られるのだ。たった三日の帰郷を終えた御霊(みたま)は、狭世(はざよ)のほおずき提灯に灯を灯(とも)し、再び御河(おかわ)をゆっくりと渡り彼岸へと帰っていく。
この年東院(とういん)の近くの御河(おかわ)では、睡蓮(すいれん)の花がそれは見事に咲いてみせた。東の祠(ほこら)で寝起きを始めてから、一度も咲いたことがなかったというのに。瞬く間に植生を広げては大輪の花首をもたげ、水面で大きく揺らしていたのだ。三迭は自分の寿命が尽きることを察知し、くり貫いた目を欠片に変えたのだろうか。今はもう尋ねることすら叶わないが。三迭の欠片を河底に埋めてから、あっしは水底から滲(にじ)み出る薄紫の光をこの年初めて見た。水面を照らす紫の光は淡く届く。行李(こうり)から紺甚平(こんじんべい)を引き出し、澄んだ水面の光を眺めながら袖を通した。祭事には長い丈の礼装が義務付けられているが、動きづらさがいただけない。せめて吉祥(きっしょう)の柄である、鮮やかなのしめ衿(えり)の甚平(じんべい)にずぼんを履き、上着の上には太判(ふとばん)の腰紐を通した。生前の修行着のような服装だが、決め手として艶やかな法被(はっぴ)を肩へかける。
提灯を避けながら、そろりと水面を歩き始めた。「なかなかごゆっくりなことだな」と、渡しの頭(かしら)の嫌味が今日も横面を張り飛ばす。
「こりゃ旦那、ご苦労さんです。ゆっくりですかね? これでも見張り鳥の定刻に、起きやしたんですがね。それにあっしと旦那では、身分と権限が違いやしょう? あっしは、旦那のような大役を仰せつかったわけじゃありやせんし、彼岸に渡るお人を決めなさるのは天。河岸に張られた網を守る、しがない風鈴吊りでござんすよ?」
天は死人(しびと)に彼岸へと渡る切符を授けども、労せずして渡ることを許しはしない。まずは河岸で試練を授け、それを通過できた者だけを、真の彼岸へと誘うのだ。網は篩(ふる)いにかけるための鉄壁の糸であり、天以外の何人たりとも紡ぐことができやしないゆえに、【天(あめ)の見取り図】と呼んでいた。
あっしの返事がお気に召さなかったらしく、頭(かしら)の眉間にしわが寄った。
「確かに、お前は天の見取り図の、入り口さえを守ってりゃいい番人だが。やれと言われ実行するだけならば、そこらの低能な四足(よつあし)で充分であろう。今日は特に、お前の四十八帖(しじゅうはっちょう)お家芸の日ではないか。お前とて、いいかげん彼岸に渡りたいのであろう。天に詫(わ)びる心根が少しでもあるのならば、現世(うつしよ)での罪を濯(すす)ぐ絶好の機というもの。誠意をみせよ。お前は現世(うつしよ)で天が組み上げた天命(てんめい)の秩序を、暇つぶしに弄(もてあそ)んでは捻(ね)じ曲げてきたのだからな」
あっしは口を開こうとしたが、また閉じた。ここで反抗すれば、繰り返してきた押し問答だ。弄(もてあそ)んだつもりはない。最後はひたすら飯のためで、暇つぶしの余裕など拝んでみたかったほどだ。だが、天に詫(わ)びる気もなけりゃ、彼岸に渡りたいという願望すら持ち合わせていないことも事実。
(まあ、天の法則とやらを捻じ曲げたことは、百歩譲って認めてもいい。天にも、振るった采(さい)のご予定というものはおありだろうし)
と、考えている矢先に、足下の水面から声がした。現世(うつしよ)からだ。
【もし痛める処(ところ)の者あらば十宝(じっぽう)を令(し)て、一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむななやここのたり)と唱えてふるへ。由良由良(ゆらゆら)とふるへ。此(こ)れを為すれば死人も生き反(かえ)りらむ】
物部氏の遠祖が天より賜(たまわ)ったとされる、【十種天璽五瑞宝(とくさのあましるしのみずのたから)】を以(も)って行う鎮魂呪法(ちんごんじゅほう)のひとつだ。が、彼岸にしてみれば、天がそのような畏れ多い神具を、たかだか人間そこらに与えるはずもないと言う。名目上は遊離した魂を元に戻すための呪術だが、あっしが生きていた頃には既に神事信仰の影は薄れ、神道呪系の術者が死人(しびと)を生き返らせては、寄進まがいを巻き上げるのが現状だった。
【ひふみよいむなやこともちろらねしきる】と、河面を震わせさらに現世(うつしよ)から声がする。
【澳津鏡(おきつかがみ) 辺津鏡(へつかがみ) 八束剣(やつかのつるぎ) 生玉(いくたま) 足玉(たるたま) 道返玉(ちがえしのたま) 死反玉(まかるがえしのたま) 蛇比礼(へびのひれ) 蜂比礼(はちのひれ) 品物比礼(くさぐさのひれ) 布瑠部(ふるべ) 由良由良止(ゆらゆらと) 布瑠部(ふるべ)】
水面は水鏡を成し、術者が両の手を組みかえ、横たえた死体に念を込める術式を行っている姿を映していた。胡坐(あぐら)を組んだ見習いの僧徒達が、首座を囲み復唱を行う覚えのある光景だ。水面に定着していたほおずき提灯が、声に引きずられ小刻みに震え出す。次は激しく震えたかと思うと、提灯は水に沈み河面からふつりと消えた。この程度の術力なら、反魂(はんごん)まではとうてい叶わないだろう。せいぜい魂を体の上に近付けたところで、霧散させて終わりだろうが、行き場を失った魂は迷い魂となり、彼岸に帰ることすらできなくなる。大して気乗りはしないが、放置しておくことも後味が悪い。
ひと、ふた、みよと、足駄(あしだ)を軽快に踏み鳴らし、水面に幾重もの水紋(あや)を穿(うが)った。
「縛(ばく) 縛々(ばくばく) 拍縛(はくばく) 転縛(てんばく) 無明縛(むみょうばく)」
そして右手の二本の指を捩(よじ)りながら、続けて指先に細い息を吹きかけた。九字切(くじぎ)りを略した術法で、肉体に戻ろうとする御霊(みたま)を縛り、彼岸に向かう道筋へと釣り上げるのだ。術返しではないため、術者に風返しが及ぶ心配もないが、これがまた渡し守のお気には召さないらしい。因果応報として鉄槌(てっつい)を下すのも、また狭世(はざよ)の意志を代行する者の職責だというのだ。しかしあっしには、意に沿わずは罰せよと聞こえるし、何より面倒ではないか。
「これで、誠意とやらは示しやした。あっしは、しがない風鈴吊りですので……その高潔たるお役目とやらは、旦那達にお任せしやすよ」
「はん、人間が嫌いなぞと臆面(おくめん)もなくほざきながら……この、人間びいきが」
「おや、これは心外な。あっしは、人間をひいきした覚えなぞありはしやせんが。今日は御霊(みたま)送りをお助けするだけの、めでてえ祭りの席じゃなかったんですかい? 御霊(みたま)さえ彼岸へお帰りになれば、あっしは何も、そこまでしなくていいと思っただけのことなんですがね」
「口だけは減らないやからが、まったくもって皮肉なものよな」
頭(かしら)はふいに櫂(かい)を繰(く)る手を止め、袈裟頭巾(けさずきん)を法衣の上から一息に脱ぎ放った。次の瞬間、舟底に常備している、一振の長刀(なぎなた)の石突が、あっしの顎下へと突きつけられていた。ギャアアと、天の放った見張り鳥の群が、諍(いさか)いを咎(とが)めるように甲高く吼(ほ)え、頭上で輪を描いて見下ろしている。
「天は、狭世(はざよ)の輪が乱れることも厭(いと)われるようで……。小競合いはご法度のようですが、旦那、どうしやす?」
頭(かしら)は櫂(かい)を戻し、いまいましそうな舌打ちを響かせた。
「もとより、天のお膝元で血を流すなどあってはならぬこと。狭世(はざよ)に不浄は、許されぬ」
頭巾(ずきん)の結目(ゆいめ)を直しながら、頭(かしら)は続けた。
「まったく主こそが、生きている間に風返しにあてられればよかったものを。今では呪詛をくらう処(どころ)か、与える権限をも天から冠しおって。それすらも秩(ちつ)を乱す人間に行使せず、のうのうと番人気取りとは結構なご身分よ。お主のような者を人間びいきと呼ばずして、他に何と呼べばいいものか」
あっしはなるべく平身低頭を装い、何もなかったかのような涼しい素振りで、小舟の横を堂々と通り過ぎた。憎んだ人間に報復を始めれば、一体どれだけの人数に昇るのか。しかし人間びいきと吐き捨てられた日には、張り付いた笑顔がひたすら痛かった。
× × ×
御河(おかわ)から天の見取り図を、あっしのような番人や渡し守は、いつでも網目に傷ひとつつけることもなく、自由に往来することができた。接岸し網目をくぐった先には、河に繋がる長い平坂(ひらさか)を挟んで、ほとりでは休憩茶屋や宿場街のような平屋が軒を連ねている。御河(おかわ)を渡るため、試練を受けに来た魂のお休み処なのだから、実際にここいら一帯は宿場そのものなのだ。御河(おかわ)からは天まで聳(そび)える網目越しにでも街並みが見えるが、街並み側からは細く透き通る網目しか見えず、渡岸が許されるまで、決して大河を拝むこともできない。陸地から御河(おかわ)が拝めるのは番人と渡し守、それにあっしらを支える仕事に就くごく一部の者と限られている。一見すると、爪弾けば儚く切れそうに見える網の目だ。が、これがまた恐ろしく丈夫な代物(しろもの)で、強力で引っ張っろうが食いちぎろうとしようが、びくともしやしない。
「こりゃ小ざっぱりしてもうて。また誰かと思ったが、礼装がうるせえ日にもその格好(なり)たあ。まあ、前の格好(なり)はちっとも似合(にお)うとらんかったで、外見は背伸びもせず相応がええの」
渡しの無反応ぶりも退屈だが、こちらはまた口を開けば、耳を疑うくらいの直球を投げてくる。声の主は、陸地から御河(おかわ)を拝めることを許された一人。大きな柳の下にある渡し守の舟を納める舟床屋の主(あるじ)が、店の橋げたに結えた縄をほどきながら、しわがれた声を張り上げた。渡しの商連と結んだ契約で、舟の整備や預かりを生業(なりわい)とし、日当をもらっているらしい。あっしと渡しとのもめ事を、こう言った。
「あいつらはどうも頭が固くていかん。で、あんさんも負けじと頑固でこれもよくねえや。世話焼きじじいの、余計な口かもしれんけどな。あんさんは、掴(つか)ませた銭で渡ろうとする不貞のやからまで、おふざけで見取り図を通しちまったりする。あれは渡しの不興を買っちまって、よくねえよ」
腰の曲がった元(げん)さんはいっぷう気前のいいおやじだが、あっしと同じ、彼岸に渡る切符を持たないまつろわぬ者だった。何をして秩序を乱したのか。当人曰(いわ)く、血は薄れても神殺しの末裔(まつえい)ということだが、あっしはさして関心もなく、説教臭さだけが玉に瑕(きず)だった。
世俗の銭を使い無理じいをしたところで、渡しが送り届けるはずもない。歩いて渡ろうがしょせん彼岸に着くはずもなく、散々回り道をしたあげくに、また同じ岸へと帰ってくるだけだ。たとえ戻って来れなかったとしても、永劫にさ迷う迷い魂の一歩手前で大事にはならず、掟破りの軽い見せしめとして御手頃と考えている。天も周知のことだろうに、悠然と沈黙を保ったままだ。もう一度天の面(つら)を引きずり下ろしたくて、故意に輪を乱しているというのに。そういった意味で、あっしの計略はことごとく失敗に終わっている。
(おそらくは、そんなあっしの悪ふざけまでも、天にとっては想定の範疇ってとこなのだろうが。つまり自分の意志でやっているつもりが、その実、天にやらされてしまっていることになるのだろうか?)
霧の中、水面に漕ぎ出した舟はどこに向かっているのか。しばらくの間、櫓(ろ)を漕ぐ音が聞こえているが、やがては霧に溶けていく。一期一会で、もう顔も見ることもないような通りすがりの御仁(ごじん)たちの末路など、酔狂にわざわざ確認したこともなかった。
「言われたら、へえへえって何でも聞いてた方が万倍も楽だろうよ。ここでは長いもんに巻かれた方が、気楽で愉快ってもんだろうになあ」
「まったくで。その辺りは現世(うつしよ)と、なんら変わりはしやせんや」
現世(うつしよ)で自分を売った首座と村人の顔が浮かぶが、胸の痛みを今は封じ、とりあえずはへらへらと笑っておく。狭世(はざよ)で彼岸に渡るため、天が求めた試練はただひとつ。風鈴を持ち寄り、天の見取り図に吊るす。風鈴の奏でる光と鈴の音で、見事に糸が溶けて切れれば、その魂にも見取り図を越えた御河(おかわ)を、拝める寸法になっているのだ。その風鈴を吊るすための吊り人が、あっしたち。すなわち、まつろわぬ者のうちで番人に定められた者達だった。
「渡しともめすぎたら、あんさんの仕事にも障(さわ)りが出るだろうて。せっかく見取り図を通してやれる魂が出ても、あいつらが同盟でも締結して、拒否でもしだしたらどうすんだい?」
渡しの舟に頼らずとも徒歩があるが、彼岸までの実際の距離を、あっしも知るところではなかった。先駆者の目撃談によれば足が擦り切れるほどの距離で、足底が痛くて痛くて磨り減って、渡り切れれば見事に浄化された仏になれる……という虚言(でま)が飛ぶほどではあったが。完遂者がいないのだから、適当な流言も甚(はなは)だしいといったところだろう。
「拒否なんて、それこそあいつらに限りありゃしやせんよ。あいつらは、自分達が天に選ばれた逸材で、代行すべきことは狭世(はざよ)の総意であると、信じ切ってるかちかちのやからばかりじゃないですかい? それにあいつらにとっちゃ、あっしという存在自体が気に食わないんですぜ」
あっしは天の定めた寿命を改竄(かいざん)し、肉体の蘇生をさせては理(ことわり)そのものを捻じ曲げた。小さな波風でも破滅のように騒ぐ彼らにとっては、天より拝命した至高の仕事を歪(ひず)まされたことになるのだ。自己陶酔も甚(はなは)だしいとは思うが、きっとその事実だけで、たとえ何をしたとしても、恨めしさ余りあるのだろう。理(ことわり)を曲げたことを棚に上げれば、元さんは自分など神殺しの系譜だと言う。神を直(じか)に殺(あや)めたという元さんの始祖は、狭世(はざよ)に渡る途中の磁界で、四肢をばらばらに捻(ね)じ切られたという。不浄とされる血臭(けっしゅう)が、ここまで届いたのはその一度(ひとたび)で今は昔の話だ。当時の関係者など、とうに生きてなどいない。狭世(はざよ)に縛られた者ですら【死】という概念こそないが、ある時期が来たれば消滅はするのだ。
「別に元さんが、直(じか)に殺(あや)めたわけじゃありますまいて。そりゃ、好かれちゃいやしやせんでしょうがね。血は水より濃いですが、血はしょせん、交わって薄れるもんじゃありゃしやせんか」
「そんなもんかね」と尋ねる元さんに、「そんなもんですとも」と、あっしは白い歯を大袈裟に見せて、にかっと笑った。
きょろきょろと見回した先の宿場では、ようやく行灯(あんどん)に火が入り、花笠(はながさ)提灯(ちょうちん)も軒に吊られ始めていた。商売が始まる頃、指名された番人たちが散り散りに集まって来る。
「姐さんは、もう来てますかい?」
「おうおう、もうとうに、宿場の甘味処に行っとるよ」
あっしが尋ねると、元さんは祭りの竿灯(かんとう)を起こし、それぞれの駒方提灯(こまがたちょうちん)へ灯を入れ始めていた。姐さんの行動は、いつもながら一枚も二枚も迅速だ。気が付けば遠くの土手沿いの随所で、太鼓の据え置きも始まっている。そればかりではなく、花形である御神楽(おかぐら)の足場に使う、河殿(かわどの)への反橋(そりばし)までも渡しを完成させていた。河岸では男衆(やんしゅ)が神妙な面持ちで、太鼓の打ち鳴らしの下合わせを始めている。狭世(はざよ)での御霊(みたま)迎えを円滑にするため、川開きの鳴動を打ち起こすのだ。現世(うつしよ)から魂が戻るにはまだ時間があるが、下準備はほぼ万端とみえる。
「それはそうと、昨日も来とったで」
元さんはとんとんと腰を叩き、小首を傾げながら続けた。
「相も変わらず風鈴を持ってくるでもなし。柳の下から見取り図と暗い空を、飽きもせんとぼおっと見とる。一体、あの御仁(ごじん)は何がしたいんじゃか……わしには、さっぱりわからんよ」
「そうですかい。辺りをうろつきなさるのは、年に一度の、この祭事の日だけでやすからねえ。で、昨日はどうしやしたか?」
「番人があんさんでも静(しず)さんでもなかったで、四足(よつあし)の卑族(ひぞく)が追い払ったども」
「な、卑族(ひぞく)のやからがあの御方(おんかた)に触れたんですかい?」
予想だにしない返答に、耳を疑った。あっしの声に怒気が宿り、元さんが驚いたように目を丸める。番人の交渉であれば、まだ辛抱(しんぼう)もなるのだが。
「い、いや……触れてはおらん? 御仁(ごじん)はすぐに、下っていっちまったからの」
手を前にいやいやと首を振る元さんを見て、眉根をつり上げたあっしの顔が、過剰に険悪になっていると気付く。声を平静なものに落とし、話を続けるよう促した。
「あんさんらは、変わっとるよ。気の遠くなるほどの月日をぼおっと立っとるだけで、何をするでもなしに。近づけば忌々しそうに手を跳ねのけ、声をかければそっぽを向いて下っちまう。言葉は通じているようじゃが、誰とも話さん。空を眺める以外は何もせん。今じゃ気味悪がって、近づく者などおりゃせんよ。一体全体、なぜ天は放置してなさるのか」
「そうですかい。仕方ないことやもしれませんねえ。あっしや姐さんと違い、普通の皆さんにゃ、魂の色を見透かす力はありやしやせんから。ここの空気も、さぞ耐え難いでしょうや」
頭には笠(がさ)を被り、薄い枲(むし)の垂衣(たれぎぬ)で顔を隠している。袿(うちぎ)に懸(かけ)帯(おび)まで絞めてしまっては、まるで人間の旅装束ではないだろうか。
(本来ならば、かのような姿をとられるだけでも屈辱だろうに。御方(おんかた)自身にしても、自力で網目をかい潜(くぐ)れないことは百も承知なはず。人を好まぬ御身(おんみ)な故、不憫(ふびん)に思えてならないのだが)
何か言ったかと、火の粉を避けるための蓑(みの)をかぶった元さんが、怪訝(けげん)そうな顔を向ける。
「いいえ、何も……言いやしやせん」
あっしは静かに目を伏せ、片手をひらひらと振りながら宿場の方へと踵(きびす)を返した。