賞金稼ぎの男(1)

 うっかり喜んだ次の瞬間、情報を受け取ってしまったからには仲間――というより便利な使い走りになれ、という条件を聞き入れずにはすまないことに気がついた。ブーダは岩のように寝転びながらも、ただならぬ気迫を咽元に突きつけてくる。ナリナは大きな胸の下で腕を組んで成り行きを見守っているが、さり気なく亭主と向かい合っていると思えた立ち位置は、明らかに獲物を挟み撃ちにしつつ出入り口をふさいでいるのだった。てだれとは言えないが、ケチな賞金稼ぎくらいは名乗ることができる。その言葉の含みがじわじわ利いてきて、あからさまな色じかけにかかってしまった浅はかさの苦味が、長くゆっくりあとを引いた。今さらだと分かっていても、考えずにはいられない。
 歌うたいはどこへ行ったのだろうか?
(探しても探しても見つからないってことは、さ、……)
 胸の内でナリナの言葉を反芻はんすうしながら、危うく首筋の汗をぬぐいそうになった。
(まさか運河に叩き落とされたんじゃ)
 怖気おじけづいていることなど、とうのむかしに見透かされているだろうが、それでもこの相手には露骨に見せないほうが良いだろう。これまでのやりとりからいって、歌うたいの行方不明とは縁のない可能性が高いのだ。
「どうした、若造。まだ決心つかねえってわけじゃないんだろうな」
 今にも眼窩がんかから転がり落ちそうな目玉を見開いて、ブーダが唸った。
「そんなこと言ったって相手はゲラームの牢番ベベッパなんだぜ。オイラなんかの暗示が本当に利くのかい? 牢送りにされてくる連中のなかにオイラたちみたいなマジリがいても、平気だからこそのゲラームなんじゃないのか」
 ナリナはハッと笑い飛ばした。
「あたしたちみたいなマジリに、ゲラーム送りになるほどの悪さができると思うの、坊や」
「絶対とは言い切れないかも知れないじゃないか」
 肉厚の唇を開いてなおもナリナは言いつのろうとしたが、さえぎって同意したのはブーダのほうだった。
「ちょっと待て。確かにお前たちみたいな間抜けマジリにはできないかも知れないが、黒羽の血を引いた奴は分からんぞ」
「黒羽?」
 尋ね返してまばたきすると、うんざりしたような声音が返ってくる。
「黒羽も知らないのか、お前」
「知らない。聞いたこともない」
 これは本当のことだ。暗示使いの魔物だということは前後のやり取りから推測できるが、どこでどのように生きているのかまるで見当がつかない。カーザのマジリといえば、目に力を持つセキヤと、魔法を込めた細工物を作る男が一人、あとは山奥にひそんで滅多に姿を現さない正体不明の十人前後のみだ。百数十年もまえ、領主の政策とやらで運河掘りが始まった頃にはそれなりの数が住んでいたのだが、そうでなくとも気安い者が多いマジリたちは、呑気な田舎暮らしに慣れ過ぎていた。初めて見る運河掘りの荒くれぶりに肝をつぶして、ほとんどが町から出て行ってしまったのだ。とはいえそれほど遠くへ逃げていったわけではないから、足を伸ばして穏やかな町まで探しに行けば助っ人を集めることはできるのだが、その部分については情報を伏せておかなければならない。
 償金稼ぎの夫婦はまじまじとセキヤの顔を見つめたあとで、改まって聞いてきた。
「まさかお前、自分の片親が何者かも知らないんじゃないだろうな」
「片親は知ってるさ。人間のほう」
「じゃなくて魔物のほうだよ。瑠璃目は見たことあるんだろう?」
「見たことなくても困らないさ。自分のことさえ分かってりゃいいんだ。第一、親父に興味を持ったことなんかいちどもないしね」
 なにを思ったか眉根を寄せてナリナが口をとがらせると、ブーダは雷のような声で大笑いをした。
「てめえの親に興味がないか、さすが瑠璃目の息子だな。聞いたかナリナ、お前も少しは見習え!」
 ふくれ面のナリナが亭主の背中をバンと叩き、ブーダは再び腹を抑えた。
「いてて……」
「さっきから二人だけで通じる話をしているけれど、旦那がたはなにを言いたいんだい?」
 腰に手を当て大きな胸をぶん、と振りながらナリナがいきなり近づいてきた。
「坊やはマジリのくせに魔物のことを知らなさすぎるってことさ。純血の瑠璃目は家族なんか作らない。季節がきたら男と女が惚れて、ことが終わればポイとお互いを捨てて消えちまう。女は一人で勝手に子供を育てて、子供は子供で季節が来たら親をほっぽり投げて勝手に家を出て行っちまう。晴れて独り身になった女はまた季節を待つってわけ」
「えっ!?」
 セキヤは思わずうわずった。父親のことは知らないが、自分自身の魔属性はよく知っていると信じていたからだ。
(知らなかった)
 なんとも思っていなかった過去の場面がにわかに鮮やかな色彩を帯びて、いくつもいくつも迫ってくる。
(だからオイラは――)
 しかしその思考はわざとらしい咳払いに中断された。
「知らなかったか、青二才。だがな、俺たちの言いたいことはそこじゃないんだ。黒羽ってのは名前どおり真っ黒な羽を持った連中だ。奴らの羽ばたきの風を受けるとふらふらになっちまって、うわごと言いながらぐるぐる同じところを回り歩いたりするそうだ。滅多に姿を見せないから俺たちも会ったことはないんだがよ。少なくとも瑠璃目みたいなお人好しよりはずっと危険らしい。つまりだな」
 ゴツゴツした指を突き出し腹に力を込めて野太い声を響かせたとたん、再びブーダは体をよじって「痛ぇ」とうめいた。
「ね、あんた。つまりそういう奴の血を引いたマジリなら、ゲラーム送りになるかも知れないってことかい?」
 良い話の流れだ。
「そ、そりゃ大変だ、たまらないよ旦那!」
 チャンスを逃すまいとして前につんのめった自分の声を聞きながら、躍起になってセキヤは続けた。
「羽ばたきの風なら、二人でも三人にでもいっぺんにお見舞いできるんだろう? そんな連中を牢獄に縛りつけて拷問できるような男なんか、手に負えねえよ。オイラは一度に一人きりしか暗示にかけらけないし、いちいちものすごく時間がかかるんだぜ? ベベッパに力なんか通用しないよ、後生だからかんべんしてくれ!」
 まくしたてながら素早くあとじさり、出口への退路を確認する。ナリナは一瞬遅れて遮り損ねた格好になった。
(よし、弱虫野郎は逃げ出すぞ!)
 草の紋が彫り込まれたドアの取っ手に向かって突進する。高級宿の広い出入り口には飾りの木材が縦横に張り巡らされている。塗りの入った幾何学模様が眼前に迫り、勝ったと思ったその瞬間――。
「おい、チビ助! まさかこっちの情報をただ取りして逃げようってんじゃないだろうな」
 目のまえが黒く陰ったかと思うと、セキヤと模様の間に岩山の体がトカゲのようにするりと入り込んできた。
「デカイからのろいと思うなよ」