賞金稼ぎの女(2)

(なんでのこのこ着いて来ちまったんだ)
 縦横に張りめぐらされた天井の飾り柱を眺めながら、セキヤはため息をつきそうになった。マジリを泊めてくれる宿舎としては最高といえる建物の、最高といえる部屋の奥には馬鹿に広い寝台がしつらえてある。しかしそこに横たわる男の姿は、調度寝具の無駄な大きさを無駄とは感じさせない岩山の風情であった。
(こんな奴でも腹下しなんかするのか)
 改めて考えれば奇妙だ。入り口近くにたたずんだまま黙りこくっていると、男は毒毛虫の眉毛をわしゃわしゃとうねらせて顎をしゃくった。
「助っ人はあんたか。まあこっちへ来い」
 黒いまなこを光らせてナリナを睨む。なんでこんなひ弱そうな奴を連れてきた、と言わんばかりの不機嫌だ。セキヤは軽くひたいを掻いた。
「だんなの気に入らなけりゃあオイラは降りるよ。なにしろ最初から乗り気じゃないんだ。姐さんの色っぽさにつられてふらふら着いてきたんだからね。片目つぶりの臆病もんだし、できりゃこの場でお払い箱が嬉しいんだけどな」
 男は腹をさすって頬をゆがめ、眉間のしわをゆるめてぶっきらぼうに命じた。
「とにかく入れ」
 セキヤはしおらしげに近づいていった。ここは役立たずのふりがいい。実際、役には立ちたくないのだから。
 引きずられるようにして宿にたどりつくまでの道すがら、歌うたいについて尋ねるべきか、迷いに迷い続けてきた。
 見ることについてだけ言うなら、ナリナははるかにこちらを上回っている。夜目遠目の利きかたが普通ではないうえ、服を透かして相手の持ち物を知ることまでできるというのだ。セキヤ自身もあるていど大きな物なら、草むらや木立にさえぎられても見える。細い茎や枝の重なりを、瑠璃の目はないことにしてくれるからだ。隙間にちらつく細切れを勝手につないで、隠れた部分を補う目――人間がマジリの魔法と呼ぶのは存外そんなもので、ナリナは織り地から覗く点の集まりにも完全な形を認めるのだろう。
 牢獄わきの草木に隠れて、見張りを務める不審な子供の姿は当然見えたに違いない。その後どうなったのだろう。歌うたいはなぜ姿を消したのだろうか。
(あいつの悲鳴は聞かなかった)
 聞いたとたんに体がすくんで動かなくなる、魔性の声だ。そのうえ異様によくとおる。
(となりゃあ、考えられることは二つきりしかねえ)
 持ち場を離れていたか、声をたてる間もなく危難にあったのか。
 いちばん問題なのは、ナリナが歌うたいを見たとして、セキヤに結びつけて考えたかどうかだ。仲間同士と見当をつけたうえで、追い払うなり危害を加えるなりしたのなら。
(オイラはとんだ馬鹿野郎だ)
 鼻の頭に浮かんだ汗をぬぐっていると、抑揚のない声が呼んだ。
「どうした。話を聞くのか聞かないのか? 俺はこのとおりのありさまだから助っ人を必要としてる。だが、お前が嫌なら無理にとは言わねえ。こいつの色じかけでふらふらしちまっただけなら、すぐに帰っていいんだぞ」
 男の瞳は無機質な動きでナリナをとらえた。非常事態とはいえ女房が他の男に色目を使ったのが気にくわなかったのか、優柔不断な若造を選んだことに対する抗議なのかは察しがつかない。セキヤはおずおずと首を伸ばした。
「あのう、だんな。実はよく分からないんだ。マジリだからって理由だけでオイラを選んだってのがさ。ふつうは腕っ節の強そうな奴とか、もっと魔法のできそうな奴とかを誘うんじゃないかと思って。なんでまたオイラなんかを?」
 再び腹をさすって男は「ふうむ」とうなる。抜擢した本人ではないのだから、聞かれても答えられないのだろう。チラリと刺さった視線に応じ、ナリナが割ってとりなした。
「ねえあんた、この坊やは見せかけほど腰抜けじゃあないんだよ。片目つぶりだけど少しは暗示の心得があるようだし、監獄長に見送られて四番牢から出てくるのをこの目で見たんだからねえ」
「ほお」
 毛虫の眉がひくひく動く。男はようやく興味を示し、片肘だけで体を半分ねじ起こした。
「お前、名前はなんていうんだ」
「あ、セキヤ」
「言い遅れたが俺はブーダだ、よろしくな」
「よろしくって」
 オウム返しに呟きながらセキヤは軽くのけぞった。なにもかもお見通しと言わんばかりの迫力に押されてしまったのだ。
「だんな、それはないよ。こっちがなにも聞かない、話さないのうちから仲間扱いになるなんて」
「四番牢の獄長とは知り合いなのか、それともその目で奴隷にしたのか。どんな情報をつかんだか教えてくれたら、俺たちもとっておきの話をしないでもないんだがな」
 セキヤはそっと下唇を舐めた。うかつに手の内は見せられない。歌うたいの行方も引っかかる。
「とっておきの情報なんてあるもんか……。国の約定がらみのお尋ね者なら、一番牢に引き渡されるのが筋なんだ。オイラがあすこに行ったのは、ケチなケンカで厄介になったことがあったからさ。もちろん情報目当てだったことは認めるよ。だけど……四番牢じゃなあ。話があるなら中に入れ、なんて言われて袖の下をタダ取りされたよ」
 考え考え話を作り、しおしおと下を向いた瞬間、
「嘘をつくなよ、若造!」
 罵声が飛んで空気が割れた。
「これでも俺たちは修羅場をくぐってるんだ。袖の下をタダで取られただと? なんで瑠璃の目で取り返さなかった? 仕返しをしなかったんだ?」
 腹を撫でていたはずの手が握り拳に変わっている。思案の余裕はない。気がつくと負けじとばかりに言い返していた。
「したらどうなるか知ってるのかよ!」
「どうなるのか言ってみろ」
「アノイのマジリは世間知らずだって聞いてたけれど、ここまでとは思わなかったぜ。ちやほやされて甘やかされてんだって?」
「どういう言いぐさだ!」
 ブーダは怒鳴って飛び起きた。掴みかかりそうな勢いだ。
 ぼん、と大きな胸でナリナが体当たりを食らわせたのは、身構えたときだった。反射的に後ろへ跳ぶと、ことさらに背中を反らせ、腰に手を当てて睨んでくる。
「ちょいと坊や、あたしたちのどこが甘ったれなのか言ってもらおうじゃないか?」
「ああ、言ってやらあ! 人間専用の店や宿で門前払い食わされたからって文句言ったり、ここの町はマジリに冷たいなんてえグチをたれたり、甘過ぎなんだよ! あんたらどうせオイラが魔法でいたずらしても、困った奴だ、まあマジリだからしかたねえ、ぐらいに言われて頭小突かれて追っ払ってもらえると思ってんだろ?」
 ブーダとナリナは、どちらからともなくふっと顔を見合わせた。
「アノイと違って、この町で生まれ育ったマジリは数えるほどしかいないんだ。オイラなんかこの目のせいで!」
 頭突きを食らわすように踏み出し、右目を指す。
「町中から監視されてんだい。一度に一人しか暗示にかけられないってことは、ほかの誰かに見られたら終わりってことなんだよ!」
 興奮のあまり肩で息をしているのが自分でも分かった。差別を思って激昂しているのではない。賞金稼ぎを向こうに回して怖じ気づき、言い負けないよう虚勢を張ったためだ。
 各々が稼ぐに忙しいこの町では、身を縮めて生きる少数派を見張るほどの余裕はない。騒ぎを起こすのは荒くれたちと相場が決まってもいる。危ない嘘だが、つい賭けた。
(アノイのマジリは、外領外国のマジリが言語に絶する迫害を受けてるもんだと、頭っから思いこんでるに違いねえ)
 旅の経験からセキヤはそう踏んでいる。非道な目にあった者の話は、適当に世を渡る者の話よりはるか速く遠くへ飛んで、強烈な印象をもたらすからだ。目のまえの二人も、なんてひどい、可哀想に、魔力や結束をもって蜂起すればよいものを――とうわさしながら、少なからずの優越感にひたったことがあるだろう。
 アノイで暮らすマジリにとって、他国は耐えられない環境かも知れない。しかし最初からここに生まれ育てばあきらめも処世も身につくうえに、魔力使いの算段にも念が入る。実際セキヤが大きくしくじったのは、師匠に斬りつけたときだけだった。
 気がつくと、ブーダとナリナは毒気を抜かれて真顔になっていた。
「よほど重い罰を食らうのか?」
 とっさのことでその質問への答えは考えていなかった。息を飲んで言いよどみ、軽くうめくとそれぞれ勝手な想像をふくらませてしまったようだ。
(ここで沈黙すれば勝ちだ)
 予想外の勝機だった。セキヤは固く目を閉じ肩を怒らせ、両手を握ってうつむいた。
「どうも参ったな」
 ブーダが腕組みをした。ナリナは視線を宙に泳がせている。
「いい相棒を見つけたと思ったんだけどねえ」
 三者三様に考えこむ。宿部屋に静けさが訪れると、夜回りの騒々しさが別世界のように窓から入ってきた。
 顔をあげかけてセキヤは気づいた。
(こいつら、歌うたいのことを口にしねえな)
 危害を加えたり人質にとったりしたのなら、ここまでの言い争いで話に出てくるはずだ。
(だとしたら、あいつは一体どこへ行った?)
 あれこれ可能性を量ってみたが想像がつかない。あの相棒に限って理由なく持ち場を離れるような真似はしないだろう。急に体調を悪くして宿へ戻ったのだろうか。首をひねっていると、壁が崩れるようながなり声が鳴った。
「待てよ若造、暗示にかける相手がベベッパならどうなんだ?」
「――え」
 虚を突かれて黙りこむ。と、棒きれのように太い指がぬっ、と眼前に突き出された。
「え、じゃないぜ、よく聞けよ。お前は生まれたときからこの土地で迫害を受けてきた。そうだろう」
「ええと、そっちから見たらそうかも知れないけど」
「誰から見てもそうなんだよ。さっきお前、牢にぶちこまれるようなヘマをやらかして肩身が狭いって言ったな。そのお前が、震えあがるような極悪人を魔法にかけて見事にとり押さえたら、一気に英雄だ。どう考えてもいい話じゃないか!」
 有無をも言わせぬごり押しだ。
「だけどだんな、そのためには真っ先にベベッパを捕まえなけりゃあならないんだぜ? 奴の隠れ場所が分からなきゃあ、しょうがないよ」
「飲みこみの悪い奴だ。協力したらこっちからも情報を提供するって言ったじゃないか」
 瞬時の迷いに目がくらむ。海千山千の賞金稼ぎのまえで、ベベッパを暗示にかけるのは危険きわまりない。下手な欲を出した二人に、
「事件のいきさつや黒幕を聞き出せば、もっと金になる」
 と提案されれば命取りになる。どうあっても隠し通したい秘密が漏れるかも知れないのだ。幸いなことにナリナには暗示の力がない。魔力など持たないただの荒くれがベベッパを捕らえ、予定どおりにことが進むほうが絶対に嬉しかった。
(いいからとっとと故郷へ帰れ!)
 危うく叫び出しそうだ。
 歯茎を舐めて答えあぐねていると、しびれを切らせたナリナがバシッと二の腕を叩いてきた。
「あんな連中にベベッパが捕まるもんか! そもそも人間風情にゲラームの牢番が務まると思うのかい?」
 ハッと思わず息を飲む。
「つまり奴は……」
「あいつもマジリなのさ。しかももの凄く魔力が強い、ね。魔物だらけの原野を突っ切ってここまで逃げてくるなんて、そうでなくてできるもんかい。常識だよう」
「そ、それじゃあ姐さんたちはベベッパの力や隠れそうな場所を知ってるのか?」
「ううん、知ってるわけじゃあないけれど」
 言いながらナリナが顧みると、ブーダが承知の合図に頷いた。
「見当はついてるよ。あたしたちの瑠璃は水の反射が苦手だろ? 探しても探しても見つからないってことは、さ」
「アッ!」
 叫んでセキヤは手を打った。
 カーザは運河の町なのだ。