リマに会う

 ボージンは子供なりに気を利かせてくれたらしい。二人きりで話ができるよう、離れの小部屋を用意していた。あちこちにチリが残っているところを見ると、よほどあわてて掃除をしたのだろう。しかしここなら、人に聞かれずに話ができそうだ。
 セキヤは首をのばし、部屋の中を見回した。陽のかげった部屋の隅に、砂のような人影がはりついている。つばを飲んでからおずおずと呼びかけた。
「リマ?」
 しぼんだ肩がぴくりと動いた。体じゅうに毛布を巻きつけて背を丸め、おびえているようだ。
「オイラだよ。具合はどう? 食い物や着る物は足りてるかい?」
 古びた毛布の下から、すすりあげるような息づかいがこもって響く。どんなに隠しても老人でしかない曲がった姿が、小さくいやいやをしたあと、コクリとうなずいた。
「ど、どっちなんだよ。まさかいじめられたりしてないよな?」
 そうならないようにと思って、ボージンにはこまめに金を握らせてきた。しかし、長旅のあいだリマがどう扱われていたのかは、ここで聞かなければ分からない。
 駆けよって肩に手をかけると、リマは飛びあがり、固くうつむいていった。必死に隠した腕を無理やりに引き出された、あの日の記憶が苦いのだろう。セキヤの方も、ついおどおどしてしまう。
「な、病気のほかに心配なことがあるのか? 寒いとかひもじいとか、困った奴がいるとかさ……」
 リマは答えない。あいかわらず頭巾のうえから毛布をかぶり、目元を押さえている。セキヤは目をつむり、息を整えてから次の言葉をしぼり出した。
「それとも……淋しいとか」
 崩れそうに薄い骨が、手のひらの下で身じろいだ。厚布を通してもはっきりと分かる。少女であるはずの肌には柔らかな白さも少しの潤いもない。最後に別れた日よりもさらに固い、枯れた皮があるだけだ。
 思わずぞくりとしびれてしまう。
 人の体に触れるとき、抱えた責めの激しさや癒えない傷を感じてしまうのは、魔物の血を引くためらしい。焼きつらぬくような心痛が毛穴からもぐりこみ、背骨の中に渦を巻く。目のくらむような愛しさだ。
(淋しいと言ってくれ)
 この感覚が人の抱く恋情なのか、魔物の持つ喜びなのか、どうしても区別がつかない。
(頼むから……)
 身勝手な答えを求めているのが、旅の打ち切りに口実を求める弱さなのか、不幸に食いつく卑しさなのかすら、分からなかった。
 小さくかぶりを振ってリマはつぶやいた。
「心配があるとしたら、あなただわ」
「エッ」
 ギクリとして手を離す。
 知らず知らず自分の胸ぐらをつかみ、次の言葉を待っていると、ザラザラにすり切れた声が少女のうれいをつむいでいった。
「どこかで行き倒れていないかしら……。怖い盗賊や人殺しに襲われていないかしら。マジリだからって、誰にも助けてもらえなかったらどうしようって、そればっかり」
 縮んだ背中がくすんと震えた。
「リ、リマ。お前……怒ってないのか?」
 うつむいたままの体が小刻みないやいやをした。
「怒るなんて、そんな……。わたしこそ甘えてばかりいて……。頼りにできるのはあなただけなのに、いつもダダをこねて困らせて……」
 ハッとして体をのばすと、足もとの床がピシリと鳴った。
「あの時からずっとずっとわたし、セキヤが帰ってこなかったらどうしよう、何かあったらどうしよう、仲直りできないまま終わったらどうしようって、そればっかり考えて」
 ほとんど涙声になっている。セキヤは飛びあがって抱きしめた。
「だいじょうぶだよ! な、リマ。そんなに心配するなよ。霊山の魔女のお膝元っていうのは、信じらんねえくらいマジリに親切なんだ。それにさ、今日オイラが帰ってきたのはいいことを教えようと思ったからなんだ、ホントだよ!」
 あたりに染みた薬の匂いが、息づまるほどに生ぬるい。今さら何を言おうとしているのだろう。
「霊山の魔女が見つかったんだ! リマにチャンスをくれるって。それを話そうと思って、すっ飛んで来たんだ!」
 早口にまくしたてながらも、不自然に宙に浮いた中指がカクカク笑っているのが分かる。顔を包んだ布の中から、突きぬけるような驚嘆が響いた。
「ほ、ほんとう? セキヤ、ほんとうに?」
「ほんとうさ! だからリマ、あと少しの辛抱だよ。追いはぎも行き倒れも蹴っとばして、鳩ぽっぽみたいに飛んで帰ってくるから、体を大事にして待っててくれよ、ね?」
 ひゅうと音をたててリマは息を吸いこんだ。驚きのあまりぼうっとなってしまったのだろう。額を押さえたまま立て札のように硬直した体をつかんで強くゆすると、一瞬ののち、しゃくりあげるような声がほこりの中に散っていった。
「わたしたちの、鳩ぽっぽ、みたいに」
「そうだよ、覚えてるだろう? あのどうしようもない方向音痴! だけどあいつ、最後の最後にはちゃんと帰ってきたじゃないか。ものすごい風の中をさ」
 鳩ぽっぽというのは二人を結びつけることになった鳥の名だ。王宮御用の伝書鳩で大変な血統の持ち主ということだったが、いくら訓練を重ねても小屋の手前で落ちてしまう。役立たずとばかりに絞め殺されそうになっていたのを、リマが泣いて助命したのだった。
「殺すのは待って! このコはちょっと疲れやすいだけなのよ。すぐ近くまでは飛んで来られるんだもの、いいエサをあげて力をつければ立派な御用鳩になるわ!」
「そのエサを誰が調達するんだねえ?」
 意地悪げに目を光らせる老人へ向かって、
「わたしが!」
 と叫ぶ姿を、子供じみていると思ったものだ。セキヤがそれを手伝ったのは優しさや無邪気のためではない。やせっぽっちの少女が見込みない努力にすり切れてゆくのを見たかっただけだ。それなのに――。
 山川に分け入ってエサを探し、バカにされながら訓練のまねごとをするうち、一人と一羽を本気で好きになってしまった。
 苦さを飲んで毛布にくるまれたそっと肩をたたくと、うなだれたリマの頭がふうっとあがっていった。
「あの日の風はほんとにひどかったわね、セキヤ。鳩ぽっぽは勇敢だった」
「へんくつ鳩爺はとじいが、『バカのくせに飛んで帰るとはなにごとか!』って、怒っちまったよなあ」
「そうだった! 鳩爺は『奇跡なんて都合のいいことは起こらない。鳩を帰したいなら血統と訓練だけが頼りだ』っていつも言っていたのに」
 ――と、しわがれた声が急に弾んで高くなった。
「鳩ぽっぽが帰ってきたときには、『奇跡だ』って言ってくれたわ!」
 恋人の両肩をつかんだままセキヤはたじろいだ。昔語りをしているというのに、年寄りじみた懐古のかけらも我が身をなでさする哀れさもない。ボロボロに黄ばんだ皮一枚の向こうには、娘の心情が息づいているのだ。汚れた厚布の陰に隠れて、熱を帯びた瞳が輝いているのが見えるようだった。
「それで急に言い出したのよね? あのコのほんとうの名前は疾風はやて号なんだって。ちっとも似合わないから、おかしくって!」
「バカとかロクデナシとか、さんざんに呼んでたくせになあ」
 ぐすぐすと音を立ててリマは笑った。興奮が冷めやらないようすで、いつまでも咽を鳴らしている。それが今見せられる精一杯の喜びなのだろう。転がるようなのびやかさはすでにない。
 手のひらににじんだ汗をぬぐって、セキヤはそっと奥歯をかんだ。リマが不意にせきこんだのはそのときだ。
「あ、だいじょうぶか?」
 慌てて背中をさすってやる。体に触れると、ささやかな笑いを押しのけたものの正体が分かった。胸のどこかに痛みがあるのだ。焼けるような、うずくような。
 苦しそうに息を継いだあと、リマはもぞもぞと動いて顔をこすった。涙をぬぐったようだった。
「ねえセキヤ。あのコは最後までわたしたちの鳩ぽっぽだったわね……」
 突きあげるような感情が襲った。セキヤはリマの手を取った。
「リマ、オイラ!」
 驚いて跳ねあがるやせ腕を布ごと頬に押し当てて、
「リマの鳩ぽっぽになる! 本物の羽が生えたあいつはもういないけどさ。必ず飛んで帰るから」
 と、口走っていたのだ。
 うめきともつかない涙声のあと、胸元へ崩れ落ちるようにして丸まった体が抱きついてきた。
「ほんとうに? 帰ってきてくれる?」
「絶対帰ってくるから……」
「悪い人にいじめられないでね」
「うん」
「それから、それから……」
 たまりかねたように涙を落としながら、リマは最後の願いをしぼった。
「よその土地へ行くんだから、体、には、気をつけて――ね。聞いたこともないような変わった病気があるかも知れないもの。向こうの人には簡単でも、どうやって治したらいいかセキヤは分からないかも知れないわ。お願いだからわたしみたいなひどい目にあわないで……」
 背中に触れた指先から、にじるような痛みが這いのぼってくる。のどの奧が焼けつくようにひきつって、返す言葉もない。
「約束して。わたしの願いを全部かなえてくれるって。あなたも元気で戻ってくるって。自分だけが幸せになってもしかたがないの。セキヤに何かあったら、わたし――」
 小さくしゃくりあげた瞬間、毛布を押さえた指が震えて、頭巾のすきまから深くくぼんだ老婆の目が姿を現した。
 思わず視線をそらしそうになった。醜かったからではない。たるんだまぶたの中から射るように光を投げているのが、清冽な少女の瞳だったからだ。
 歯を食いしばって背をのばし、じっと見つめ返す。嘘をつくときにはまっすぐに相手を見なければならないと、どこかのろくでなしが言っていた。
「心配すんなって。霊山に登るときの苦労にくらべたら、あとの仕事なんてずっと簡単なんだからさ。ほんとにすぐに帰ってくるよ」
「ほ、ほんとう?」
「約束する……」
 つぶやきながらそっとなでると、リマは無言でとりすがってきた。
 窓枠をはめた光が、抱き合った足もとにポツンと落ちている。陽ざしに溶けるリマの姿は、思いがけず降りそそいだ希望でゆがんでいるようだった。


 小道の石を踏んでセキヤはもどった。番小屋の扉を叩いてボージンを呼び、礼を言って金を渡す。ボージンは目を丸くして、
「なんでこんなに?」
 と、うろたえた。
「あいつにだけは、絶対に寒い思いやひもじい思いをさせないでくれ。欲しい物はなんでも買ってやってくれよ」
「だけどセキヤ、ひとりだけいい思いさせたらリマが意地悪されるよ」
「だったらお前たちの親切ってことにして、他のみんなにもくれてやればいい……」
 手のひらに残りの金袋を乗せてやると、ボージンは口を開けたまま硬直してしまった。セキヤは自分の両手を添えて、むりやり握らせるようにした。
「だめだったら」
 口の中でつぶやいたあと、ボージンはすさまじい形相になった。深溝ふかみぞのようなゆがみが、目もと口もとに波をよせて子供の顔を飲みこんでゆく。見たこともないような恐怖の表情だ。
「こんなにもらったら殺されちゃうよ! 泥棒したと思われる! うちは罪人のすえだから誰も話なんか聞いてくれない。縛り首になっちゃうよ!」
 セキヤはうなだれた。
「そ、そうか。すまねえ」
 金袋を取り返し、しおしおと辞してきびすを返す。木戸の外に歌うたいが駆けよって心配そうな視線を送ってきた。細い柵にすがりつき、背伸びをしている。セキヤはとぼとぼ近づいて、やせ腕が握りしめているのと同じ柵棒へ手をかけた。
「セキヤ、だいじょうぶ?」
 こうして互いに見合っていると、おりをへだてて面会しているようだ。返事につまってつばを飲みこんでいると、パタパタと乾いた足音をたててボージンが追いすがってきた。
「セキヤ、ぼく、ぼく……」
 しどろもどろになりながら、強く腕を引いている。驚いて振り返ると、泣きべそをかいていた。
「もうお小遣いはいらないよ。バルーのおみやげも返すから。だからね、セキヤ」
「バカ言うな! 小金やおやつまで断っちまったら、お前らが食っていけないだろうが。いいか? 酒飲みの父ちゃんや姉ちゃんには内緒で使うんだぞ。お前とバルーが食うんだぞ」
 頭を押さえて軽くゆすってやると、ボージンはとうとう声をはりあげて泣き出した。
「こっちは世話になってんだ。もうあんな大金は握らせねえよ。約束するから泣くな」
「ぼく、一生かかってもぜんぶ返すから……」
「バカだな、お前は。いつもの小遣いくらいで、縛り首にはならねえって」
 なだめながら顔をあげると、木戸の柵ごしに歌うたいと目があった。問いかけるような表情だ。セキヤはそっと首を振って見せた。
(これからどうしたらいいんだ……)