占い女のロシェナ

 カーザの町は、縦横に張りめぐらせた運河で日銭を稼いでいる。ロシェナが店をかまえているのは、造りかけの水門のすぐそばだ。町神殿が昼の鐘を鳴らすと、運河掘りの男たちがどた靴を床にたたきつけて飛びこんでくる。セキヤと歌うたいがたどりついたときには、テーブルというテーブルが岩山のような人夫でふさがれていた。
「こっち! こっち!」
 とわめき散らす声が、昼の光を蹴り飛ばさんばかりの勢いだ。ロシェナは大きな盆を捧げ持ち、歳に似合わぬすばしっこさで男たちのあいだを飛び歩いていた。右に左に皿を配りながら、しゃがれ声で叫んでいる。
「ほれほれ、早く食べもんにありつきかたったら、通路に出した足を引っこめて!」
 すぐそばから、
「おんバア、久しぶりに尻をなでてやろうか?」
 と声がかかった。両手をこすりあわせ、乾いた泥を落としながら、土砂どしゃかつぎの男がからかったのだ。反っ歯を見せてロシェナは笑った。
「おやまあ、久しぶりっていうと三日ぶりくらいかね」
「三十年はご無沙汰じゃねえのかい?」
 しわくちゃの顔がほほと言いながら次のテーブルに移ると、男たちが手を叩く。背中を丸め、目立たないようにしながらセキヤはそのそばへ進んでいった。
「あれ、旅の人? すまないけど今はいっぱいでねえ。少しすれば空くけど待つかい?」
 早口にしゃべりながらのぞきこんだあとで、ロシェナはおやとうめいた。
「誰かと思えばセキヤじゃないか。尾羽打ち枯らして帰ったのかい?」
 それへは答えず、セキヤは相棒をあごで指した。
「こいつにメシを食わせて欲しいんだ」
 ロシェナは黙って横目をくれた。ひたいのしわをパッと縮め、まなじりを開いて値踏みする。初めて見る民族の扱いを、決めかねているのだろう。小さなまなこがハエのように上下した。
「だったら奧で待っておいで」
 セキヤはうなずいて、厨房へ続く通路をすりぬけようとした。慌てたように歌うたいが続く。ちょろちょろ走って流し場へ入ろうとするのを、肘をつかんで引き留めた。
「そっちじゃねえ。奧の階段をあがるんだ」
 歌うたいは声をあげて聞き返した。
「えっ、あそこ?」
 裏口近くの粗末な階段は、垢のような汚れで黒光りしている。単に薄暗いだけではない。よどみの気におおわれた構えは、誰の目にもいわくありげに映るだろう。ずっとむかし、セキヤが住み始めるまえには、ここが連れこみ宿の入り口だったのだ。
 歌うたいは眉根を寄せて鼻をひくひく動かした。そうすれば天敵の匂いが分かるとでもいうように。
「いいから早くあがれ。もうちっと待てばメシも食えるぞ」
 いくら押しても棒のようにつっ立ったきりなので、セキヤは先に階段を登った。少し遅れて、とことこと足音が追ってくる。
 二階部屋は物置のような姿だった。ほこりをかぶったベッドにはシーツの一枚もなく、骨組みのうえに壊れたいすが乗っている。そのとなりに腰をおろすと、歌うたいは床に座った。
「なあ。お前、下に座るのやめろよ。いかにも物乞いですって感じで、バカにされるぞ。バカにさせといて、足もとすくうつもりならいいけどな」
 うなりながら文句を言うと、歌うたいは驚いたようにとびあがってすぐそばの化粧台に座り直した。ひきだしの取っ手がとれたガラクタで、つけ直そうにもねじ止めの部分が目茶苦茶にえぐられている。セキヤはハッとして叱りつけた。
「いいからこっち来て座れ!」
「なんでそんなに怒るの?」
 歌うたいはすっかりむくれて床に座り直し、それきりなにも言わなくなった。怒るのも無理はない。しかしセキヤは、窓のそとへ目をやってできるだけそちらを見ないようにした。
 綿ぼこりのなかで階下の喧噪けんそうが引いてゆく。男たちのだみ声が去ってしばらくすると、曇った足音とともにロシェナが姿を現した。
「昼の客はあらかた帰ったよ。お前さんたちも食べるんだろう?」
「オイラはあとでいいから、こいつに――」
 言葉が終わるか終わらないうちに、きいきい声が飛んだ。
「ジャガイモとウサギのシチュー! あのふわふわが入ったやつ!」
「はいはい、ふわふわね。お前さん、あれはアクでできた泡だよ。まだ作ってる最中だったんだから」
「ウソ! 鍋からあんなに盛りあがってたよ」
「そりゃ、肉も野菜もたっぷり入っているからさ。泡じゃないとこをすくってきてやるから、しっかり食べるんだねえ」
 ロシェナは階下へ向かって、
「グスタ、聞こえるかい? ウサギのシチューおくれ! 大皿でだよ!」
 と叫ぶと、部屋の中へ入ってきた。歌うたいの瞳が期待に輝くのを眺めながら、目顔で尋ねる。下へ追い払うかい? ――と。セキヤは相棒の頭越しにうなずいた。
 ロシェナは体を折って歌うたいの顔をのぞきこみ、年寄りらしいなだめ声を出した。
「ここにはテーブルがないから、下へ行って食べておいで。足りなかったらおかわりしてもいいんだよ」
 そのとたん、黒い眉がぴくりと動いて笑顔が曇った。余計者あつかいされたことを感じとったのだろう。座りこんだままの姿で昂然こうぜんと背を張り、じっとこちらをにらんでいる。セキヤはぞんざいに言い放った。
「いいから早く行け! お前とは関係のない話をするんだから」
 歌うたいはぷいと立ちあがり、足音をたてて階段を駆け下りていった。
 窓の外からひなた臭い土ぼこりが入ってくる。怒声のような運河掘りの歌に合わせて、くいを打ちつける音が響いた。ロシェナは前掛けで手をこすり、首を振りながら歯をむき出した。
「今の言い方はちょっと可哀想じゃないのかねえ?」
「ああ……いいんだよ」
 保養小屋の番人に金を握らせ、リマに会って、みじめな終わりを告げたらお別れなのだ。ここはアノイより暖かいし、町人まちびとの暮らし向きもよい。芸を売るにせよ物乞いをするにせよ、新領主の行進が終われば人が遠のいてゆく町よりはずっと稼ぎやすいだろう。
「そんなことよりおんバア、これ見てくんないか」
 セキヤは手荷物のなかから小さな布袋を出して、なかの石をコトリと置いた。
 壊れた化粧台に乗せられたその品はあんずほどもあってしっかりと重い。つやを帯びた暗緑色のうえに、鮮やかな白と黒とが幾筋も流れている。大きくうねって弧を描き、ときに複雑な渦を巻くこの模様は、ひとめ見ればまぶたに焼きついてしまうだろう。
 ロシェナは目を見開いたあとで陽にかざし、次には目を細めた。
「こりゃまたいい孔雀石くじゃくいしだねえ。きれいだねえ」
 と、舐めとりそうな調子でうわずっている。
「どこで手に入れたんだい?」
「霊山の魔女を探してふらふらしているうちに、辺境の村で手に入れたんだよ。あいつらこれを、神の石だか死者の石だかいって祭ってたなあ。やっぱり本物かい?」
 老婆の声が、ひゃひゃひゃと笑った。
「迷信深い村人が、こんなややこしい模様のニセ物を作って拝んだりするもんかね?」
「どうやら正解だったな」
 セキヤはポツリとつぶやいた。特別な鑑定眼があるわけではない。手に入れた状況と、覚えやすいしまの模様で当たりをつけたのだ。
 ロシェナは腰に手を当てて、しきりにうなずいている。
「やっぱりあたしの占ったとおりだ! お前さんが転がりこんできたとき、マジリの子なんかかくまうのはよせってさんざん言われたけれど、読みが当たったねえ。こないだの娘の腕輪といい、お前さんはこのあたしに富をもたらす子だよ!」
 などと言っているところを見ると、リュースは無事にたどりついてカモにされたのだろう。それなりの金はもらっただろうが、とてつもない中間搾取があったはずだ。
 セキヤは首をすくめて、袋からもうひとつの品を取りだした。アヒムから取りあげた、六枚の花びらの紋章だ。あらためて陽にかざすと、中央の石は丸く大きく、深い緑に輝いていた。
「おんバアさん。これでまたもうけさしてやるから、その孔雀石の代金だけは全部オイラにくれないか」
 ロシェナは半分以上うわの空のようすで、
「ダメダメ! 上納金だけは、しっかりそのスジへ出さなきゃさ」
 と叱りつけながらも、食いつくようにして紋章を取りあげた。
「こりゃ、翡翠ひすいかね?」
「そういうのが知りたいから見せてるんだ」
 ロシェナは前掛けのポケットから分厚い拡大鏡を出すと、陽にかざしたり薄暗い方へ持って行ったりしながら、何度も見た。しまいには親指の爪でひっかいてみて、
「こりゃあずいぶん大きいね。少うしばかり傷があるけど、色はいいし気泡は目立たないし、ムラもほとんど見えないじゃないか? 本物だと思うけれど、念のため目利きのだんなに見てもらおう」
 と、またぞろニヤニヤ笑っている。欲の皮にしわを彫ったその顔に向かうと、不意に尋ねてみたくなった。
「その紋章に見覚えがないか」
 と。
 のどもとにあがった言葉を飲みくだして、セキヤは苦笑いをした。
(いまさら知ってなんになる)
 口先だけ格好のいいことを言って、逃げてきたのだ。こんな情けのない身にできることといえば、リマが衣食に困らないよう金を作るくらいしかない。
 黙りこくって見つめていると、ロシェナが前掛けから小石を出して、ガラクタの上へぽんぽん放った。
「そら、今朝とどいたばかりの便りだよ。ちゃんとふたつあるだろう? リマはどうやら元気だとさ」
 保養小屋の白石だ。濃い影を敷いて転がったその姿には、なんの変哲もない。元気なときにはふたつ、具合の悪いときにはひとつ。それが文字を知らないリマとのとり決めだった。セキヤが留守にしているあいだ、石ひとつの便りが来たらロシェナがようすを見に行ってくれることになっていたのだ。
「ありがとう……」
 ぼんやりと見つめてから、セキヤは石を手に取った。ほんのりとぬくもりを感じるのは陽ざしのせいだろうが、リマの体温を思わせて息がつまる。
「さっそく会いに行くんだろう?」
 いつものように――と、つけ足さんばかりの何気なさが体を貫いた。反射的に背中を見せて怒鳴る。
「会わねえよ!」
 ロシェナはおやと笑ったようだ。
「とにかくお前さんは帰ってきたんだ。晩はどうするのかい? まえに住んでた部屋は、ご覧のとおりもう泊まれないよ」
「寝ぐらくらいなんとでもなるさ。上納金はきちんと出すから、孔雀石を頼むよ」
 ゆっくり立ちあがって翡翠の紋を取りあげると、ロシェナの顔が心なしかゆがんでいた。
「あたしの取り分はどうなるのかね?」
「ピンハネなしでやってくれたら、翡翠は丸ごとおんバアのものだ。その顔つきからすると、こっちのほうがぐんと金になるんだろう?」
「そりゃ、まあ……」
 疑わしげなため息ののち、長い沈黙が訪れた。だらしなく開いた窓の隙から、昼下がりのけだるさが潜りこんでくる。土砂掘りの音に混わるようにして、
「なにこそやってる!」
 と怒鳴った男の声には、南方のなまりがある。へまをやらかした者に苛立っているのだろうか。
 ロシェナはよほど未練なのか、背中を丸めてぶつぶつ言っていた。猿のようなその姿を見下ろしながら、ようやくのように口を切る。
「な、おんバア。リュースがあのあとどうしたか知ってるかい? ほんと言うとオイラ、そのことを聞きに来たんだ……」
「ほんと言うと、なのかね」
「いいから教えてくれよ。あんたのことだから相当ぼったくったと思うけど、まさか身ぐるみはいだりしなかったよな? 売った物から足がついて、変なことになったりもしてないな?」
 ロシェナはふんと笑って肩をすくめた。
「なるほどねえ。ほんと言うと、あの娘のことを聞きたかったわけだ。若くてきれいでピンピンと健康そうだし、リマはお払い箱かい」
「そんなんじゃねえや!」
 セキヤはカッとなってガラクタいすを蹴り落とした。小さな物置部屋に、すべての音がこだまする。足もとへ響く振動とともに、細かいチリがひなたを舞った。
「いいか? おんバア! オイラはリマを見捨てたり――」
「しないかね? ほんとうに?」
 しぼんだまぶたがいっぱいに開き、老女のまなこがきょろりと動いた。
「ほ、ほかの女に移ったりしねえよ」
「そりゃ結構」
 してやったりという顔つきになって、ロシェナは部屋を出ていった。古階段のきしみは高く小さく、影をはらんで悲鳴のようだ。そのきしみが遠のいたあとには、規則正しい杭打ちの音だけが残った。