風評通いの末路(2)

 セキヤは息を詰めて頭をさげると、荷車を目がけてつき進んでいった。
 車引きのすぐそばには、歌うたいがいた。蒼白になった顔をこちらへ向け、前を指して呆然と立ちすくんでいる。薄い唇を小さく震わせたかと思うと、打って変わった涙声で呼びかけた。
「セキヤ……」
 セキヤは目を見開いて、
「う」
 と言ったきり言葉を失った。
 荷車のうえには汚水にまみれた墓守の死体があった。溺れもがいて水を飲んだとき、口の中に入ったのだろう。くねった青黒い藻が、唇から垂れさがっている。濁って半開きになった白目のうえを、ハエが一匹、ときどき立ち止まって脚をこすりながら、ちょろちょろと過ぎていった。
(墓守のだんな!)
 両手で口をふさいでこらえていると、町番兵の怒声が胸を突いた。
「こら、マジリども! いくらまっ先に見たいからと言って、くだらんいたずらをするな。邪魔をするとしょっぴくぞ!」
 そのままセキヤは尻もちをついた。小さな笑いがざわざわと迫った。
「腰抜けマジリに死体見物はムリじゃねえのか?」
「いたずらだけは一丁前だが、根性ときたら、からっきしなんだからな」
 そのまま顔をおおってうずくまっていると、四方から手が伸びてずるずると後ろへ引きずられた。
「そらそら、マジリはいい子にしてるんだぞ。そっちのボウズもな」
 赤ん坊をなだめるような声だ。再び荷車の音がして、町番兵は墓所の外へ進もうとした。
「待って!」
 と追いすがったのは歌うたいだ。
「その人はどうして溺れちゃったの? よそ者とか追いはぎとかにやられたって、みんな言ってるけどそうなの?」
「だあ、うるさい!」
 町番兵はぞんざいに振り払ったが、色を失った子供を見て可哀想に思ったらしい。わずかに語気を和らげた。
「おおかた酒を飲み過ぎたんだろう」
「えっ、まだ昼なのに、そんなに酔っぱらってたの?」
「おう、酔ってたともさ。今朝がたも町番詰め所へ出てきて、いもしない悪人をとりおさえたなんて言ってたからな。たった一人で五人の悪漢を一網打尽にして、外回りに引き渡したってんだから、たいした捕り物じゃないか」
 セキヤは地面に手をついてようやく立ちあがった。
「よっぽど酒臭かったのかい?」
「ありもしねえことわめいてる男のそばへ寄って、臭いをかぎたい奴がいるか?」
 町番兵は言いながら自分の鼻をつまみ、空いた方の手をしっしっと振った。
「第一、あれを見てみろ!」
 言われてセキヤは右後ろを向いた。どろりと黒い墓守小屋が、林の緑に映えている。改めて眺めると、小屋と言うよりは炭の固まりだった。墓守を助けようとして使い過ぎた、煙出しの魔法薬のせいだ。
「どう見ても火事を出しとる! 焼け落ちたところはないようだが、あんなに焦げてるところを見ると、ほんの少しの差でとんでもないことになってたに違いねえんだ。ここまでの不始末をしておいてだなあ、町番に知らせに来ないとは、不届きにもほどがある!」
 町番兵が怒鳴ると、野次馬が口々に言いかわした。
「林に飛び火したらどうするつもりだったんだ?」
「他の家まで巻きこんでたかも知れねえぞ、信じられねえ!」
 十七、八の生意気そうな若者がしゃしゃり出て、得意げに言葉をそえた。
「俺なんか、このありさまはどうしたんだって何度もしつこく聞いてやったんだぜ。あの親爺ときたら、へらへら笑ってごまかしてよ。なんか変だと思ってたら、へべれけになってボヤを出したんだなあ!」
 セキヤは両手を握りしめた。「自分たちのことは口外するな」ときつく言いおいたために、墓守は理由を説明できなかったのだろう。
(ニセ町番がボヤを出したことにすりゃあ良かったのに!)
 苛立ちをこめて心に叫んだが、とっさの言い訳というのは思いのほか難しい。どんなに体調が悪くともきちんと口裏を合わせておけばよかったとは、いまさらながらの後悔だった。
 この自慢話を聞いて、町番兵の怒りは爆発した。
「若造ッ! このありさまを知ってて、なんで町番に言わなかった!」
 靴底をどすんと地面にたたきつけて、すさまじい勢いだ。火事の報告は義務だからである。
「え。そ、それは。まさか町番に内緒にしてたとは思わなかったんで……」
 あたりが騒然となりかけたとき、入り口の方から、
「ごめんよ! ごめんよ!」
 と、威勢よく声をかけながら姿を現した者がある。一同が振り返ってみると、それは例の小屋口上だった。手帳がわりの板に木炭の筆具を振りかざし、弾んだようすで走ってきた。
「町番のだんながた、お役目ご苦労さんです」
 言うが早いか、山猫のようなしぐさで町番頭まちばんがしらへすり寄った。町番頭は急に気迫を飲みこんで、
「うむ」
 と鷹揚にうなずいている。
「ちょっと聞きこんできたんですが、また何かあったそうで」
 言いながらさり気なくこぶしを握っているのは、賄賂の小金のためだろう。しかし、町番頭はうるさそうに首を振って体を離し、食指を動かさなかった。
「なに、どうということもない。墓守が酔っぱらって近くの沼に落ちただけだ」
 それには及ばない小さな事件だと、暗に知らせたらしい。
「ああ、そうでしたか。そりゃ確かに――親爺さん、不機嫌でしたからねえ。飲みたくなったんですかねえ」
 小屋口上は訳知りの笑みを浮かべて独りごちている。
 ほかに何も事件がなければ、墓守小屋のありさまは憶測を呼んで風評商売になったかも知れない。しかし昨日のことのあとでは、酔っぱらいの溺死などありふれた日常にすぎなかった。
 ネタに見切りをつけると、小屋口上は来たときと同じ素早い身のこなしで、きびすを返した。セキヤと歌うたいがぼんやり眺めているのに気づくと、
「よっ、お客さん!」
 すれ違いざまに顔を近づけて、
「旅先で面白い話があったら、青鳩看板の風評屋へ寄っておくれよ。晩メシが一品増えるよ」
 と言い残し、仕事場へ続く一本道をくねくね戻っていったのだった。