消えた罪人

 その後の一日を、セキヤは宿屋のベッドで過ごした。特別に頼んで部屋へ持ってきてもらった食事も、のどを通らなかった。口では食欲がないと言いながら、歌うたいはよく食べる。
「いらないからやる」
 と言うと、喜んでセキヤの食事に手をつけた。自分の皿をたいらげたときより、大口を開けているようだ。
(こいつのふてぶてしさって、無性に腹が立つんだよなあ)
 嫌味のひとつも言ってやろうかと思ったが、
「死体は噴火で見なれてるから」
 などと切り返されると、あとがない。けっきょくそこでは負けているのだ。面白くないと思いながらむりやり目をつむるうち、いつの間にか眠ったらしい。気がつくとスズメが鳴いていた。
 セキヤは頭を振ってみた。よく休んだおかげで、体力は回復しているようだ。魔力の方はおぼつかないが、無理をしなければなんとかなるかも知れない。
 歌うたいは朝のあいさつをすっ飛ばして、突然に聞いてきた。
「セキヤ、今日はどこへ行くの?」
「あまり出歩くな。二、三日はおとなしくしてるんだ」
 ぶっきらぼうに答えるときょんと目が丸くなったが、全く意味が分からない風でもない。すぐに黙りこくって無表情になった。セキヤは構わずに続けた。
「町番の調べが進むのに、少なく見積もってもそれくらいはかかる。今からあれあれこれ嗅ぎまわってもヘタに目立つだけで収穫はねえ。なによりも――」
 と、セキヤは声を低めた。
「この事件には忌み手使いが関わってるらしい。塔のてっぺんに突き刺さった死体を見ただろう? そんじょそこらの占い拝み屋の魔法とは、くらべものにもなんねえよ。ケチくさいマジリなんざ論外だ。オイラやお前にあのマネができるか?」
 歌うたいは唇をきつくむすんで首を振った。
「動きすぎて向こうに感づかれたら、オイラたちもどうなるか分からないんだ。お前もうわさ好きの馬鹿ガキ以上には目立つなよ。いいな?」
 真顔の相棒がうなずくと、セキヤはその背中を押して朝食のために階下へ降りて行った。
「やあ、おはよう」
 宿の親爺が皿を並べながら笑いかけた。みごとにはげあがった頭のてっぺんで、朝日を反射している。
「アッ、おはよう。今日はタマゴのスープかい? こりゃいい匂いだなあ」
 思わず笑み返して、セキヤはあたりを見回した。なにやら食堂がざわついているのだ。
「どうしたんだろう。なんだか落ち着かない雰囲気だなあ」
「ああ」
 と言って、親爺は顔をしかめた。
「アノイの領で捕まったニセ姫たちのうわさで、もちきりなのさ」
「えっ、どんなうわさ」
「大罪人ってことでゲラーム送りになったのに、あっさりと牢破りをして次の朝には三人ともきれいすっぱり消えてたって話なんだよ」
「まさか!」
 セキヤはつい叫んでいた。
 ゲラームというのは国内外に悪名をせる苛烈かれつの牢獄だ。反逆者をはじめとする大罪人の最終刑地で、いちど入ると死体になっても出ることはない。三方を崖に囲まれた寒冷の地にあり、たったひとつの出口の向こうには広大な原野が咽を開けている。腰まで水につかる湿原は芦が生い茂り、さまざまな魔物が群れをなしているので、万一逃げられても死体を回収に行くだけでよいのだ。
 脱走を防ぐ手だても念入りだ。罪人が少しでも逆らうと、手足をきつく縛って水責めの穴に投げこみ、命を落とさないよう加減をしながらじわじわ責めたてるという。冬場の拷問は特に厳しく、放りこまれた者は締めつける縄と凍傷のために手足を欠き、皿に顔をつっこんで食事をしたり、便所をまたぐことができずに糞尿を垂れ流したりだ、というのがもっぱらのうわさだった。
 セキヤは息を吸いこんで尋ねた。
「いったい誰が手引きをして逃がしたんだい? ヘクトール様に反抗するつもりなのかい?」
「それが分からないから大騒ぎなんだよ」
 親爺はかぶりを振って、残りの皿を素早く並べていった。歌うたいが口をとがらせて、そのようすを見守っている。
「食ったら風評板を見に行くぞ」
 とセキヤは言った。