尖塔の刺客

 神官宿舎の尖塔には、矢をかたどった飾りがついている。死体は五つの矢にひとつずつ、腹をつらぬくようにして深く刺さっていた。遠くから眺めれば針のように見える飾りだが、実際の太さは柱ほどもあるだろう。
 鼻の頭の汗をぬぐって、セキヤはひとりごちた。
「ありゃどう見ても、並みの奴のしわざじゃねえな。まさか忌み手使いってやつじゃないよなあ?」
 忌み手使いというのは、魔法使いの一種だ。その名のとおり、忌み手と呼ばれる禁断の術を使うことになっている。本物を見たという者は滅多になく、噂ばかりが一人歩きをして、伝説のようなものだった。霊山の魔女もその一人ではある。
 町番兵がやってきて、野次馬を蹴散らしながら怒鳴っていた。
「おまえら邪魔だ! どけどけ!」
 そのあとに続いて来るのは、とび職人の組だろう。長い梯子を空へかかげて、緊張した顔つきだ。所在なげにあたりを見回したかと思うと、尖塔に刺さった死体にくぎづけになった。
 ガアと叫んでカラスが羽ばたきをした。
「神官がしらはどこか! 死体をおろしに来た!」
 町番兵が怒鳴ると、若い神官が建物の中から慌てたように飛び出して来た。
「申し訳ございません! 神官頭は民人たみびとのむざんなようすをご覧になって、はなはだ心を痛めております。それで今は……」
「気分がすぐれないのだな。無理もない。あとは我々にまかせて、少し休んでおられるように」
 町番兵は胸を叩かんばかりのようすで言うと、職人たちへ向かって顎をしゃくった。
「できるだけ急いでやるんだ」
 吐き気こらえて小さく息をしながら、セキヤは首をすくめた。
(まかせろと言やあ聞こえはいいが、要は他人にやらせるんだな。威張るとかえってみっともないぜ)
 町番兵は、神官頭について話すときにはめずらしいほど丁寧な言い回しだったが、おどおどした若い神官に向かうと、ぞんざいな口調にもどった。
「死体を最初に見つけたのは誰だ? 呼んで来い!」
「見つけたのはわたしです。ゆうべ見たときはなんでもなかったのに、どうしてあんな……」
「デタラメ言っちゃあいけないなあ? あれほど匂っているもんが、ゆうべやきのう死んだはずないじゃないか。神に仕える者だろうがなんだろうが、へたな答えは容赦しないぞ」
 ――と、それまで気弱そうに受け答えをしていた神官の声が、するどいとげを帯びて突き刺さった。
「町番殿は、わたしたちにあんなことができると本気で思っているのですか? とび職人の人たちだって、あんなに大変そうにのぼってるのに! このやせ腕が、死んだ人を五人もかかえて、どうやっててっぺんにたどり着くんです。たどり着いたとして、どうやって胴の真ん中を矢飾りに突き刺すんです。どう見ても魔物のたぐいのしわざでしょう。それとも町番殿には、あのまねができるんですか!」
 歌うたいは体の小さいことを利用して人ごみをくぐりぬけ、みごと野次馬の先頭に出たようだ。ことさらにかん高い声で、見たものを報告してきた。
「見て見て! 神官さんが真っ赤になって怒ってるよ!」
 町番兵が不機嫌そうに、
「小僧、黙ってろ!」
 と叫ぶと、後ろで背伸びをしている見物人がいっせいにはやしたてた。
「小僧、黙らなくていいぞ!!」
「もっと教えろ!」
「神官さんはいい男かい?」
「静まれ!」
 せいいっぱいに脅しつけた声のわきから、
「顔は悪いから」
 と答えが返ると、野次馬たちはどっと笑いくずれた。町番兵は怒って歌うたいを捕まえようとしたらしい。前の方がざわざわ動いたかと思うと小さく人ごみが割れて、小さな体がすとんとぬけ出てきた。職人たちが屋根にたどりついたのは、このときだ。
「カラスに気をつけろ!」
 鳴きかわす声に混じって羽ばたきが響き、頭のうえから黒い羽が落ちてきた。ふだんはそれほど大きいとも思えない鳥だが、その風切り羽は馬鹿に大きく、重たく見えた。屋根の急斜から、白い粉のようなものがパラパラと降った。
「ワッ!」
 悲鳴をあげたのは、すぐ下で見守っていた神官らしい。
「どうした?」
「う、蛆虫うじむしが……」
 一同は泥を呑んだように静まりかえった。風向きが変わったのだろう。ぬめった腐臭がまともに顔をなでてくる。見物の輪から嗚咽おえつのような声があがった。
「ウウッ」
 続けざまに鼻と口を押さえた男が、人をかき分け、よろめきながら突進してきた。セキヤが驚いて体をかわすと、男は草むらに顔をつっこむようにして腹の中の物をもどした。
「ちょ、ちょっとゴメン!」
 セキヤは顔をそらして墓守に断ると、自分も草むらに飛んでいった。男のようすを見るうちに、我慢ができなくなったのだ。激しく嘔吐えずいていると、他にもつられた者がいるらしい。あちこちでうめくような声があがっている。腐臭とは別の匂いが、低くただよった。背中のほうを、パラパラと足音がゆき過ぎる。逃げ出す者が現れたのだ。
 胃の中身をもどして顔をあげると、ヒゲづらをしかめて見守る墓守の姿が目に入った。
「おいおい、だいじょうぶか? いちど家に戻って、休んでから行こうか?」
「だいじょうぶだよ」
 涙目をこすりながらセキヤは答えた。
「あすこでゆっくりしてたら、また町番が来るかも知んないだろう? オイラ町番キライなんだ。結構いじめてくるからさ。ニセ番兵は、だんな一人で捕まえたことにしてくれたんだろう?」
「世話になったあんたが言うからそうしたけどよ。手柄を独り占めにしてもいいのかい?」
「そうしてくれよ、頼む」
 いつしか太陽は青灰色の雲にすっぽりと覆われていた。まばらに生えた林のこずえが、暗くうごめいて見える。漂う匂いはなまぬるく、皮膚をなでる空気は冷たい。
 屋根の上から、職人の声がとどろいた。
「みんなだいじょうぶか? こんなところで吐くんじゃねえぞ」
「まかせとけ! 俺ぁニブイのがとりえだからよ」
 応じた男は体つきこそ頑丈だが、明らかに虚勢をはっている。
「トニの奴がダメそうだあ! 下へおろすぞ、いいか?」
 左端の尖塔の上で、巻き綱をかついだ男がげえげえ言ったかと思うと、長梯子ながばしごから転がり落ちるようにしてもどってきた。若い神官がぬらした布を手に、おろおろと駆け寄ってくる。
「だいじょうぶですか?」
 職人は手渡された布で口と鼻をぬぐい、あたりになんどもつばを吐いた。
面目めんぼくねえが、ありゃダメだ! とても我慢できるもんじゃない!」
 怒気をこめて町番兵がうなった。
「オイ、とび職。屋根に刺さってたのはどんな奴だった」
「顔なんかまともに見られっかい、冗談じゃねえ!」
 職人は激しく首を振ったあとで、どうしたわけか突然に冷静な声になった。
「アアー、けどありゃあ、どっかの牢にぶち込まれて出てきた奴だな」
 セキヤたちはハッとして顔を見合わせた。
「うん? 咎人の焼き印があったのか? どんなやつだ」
「丸に十字、その下に一本線」
 墓守は小さくうめいた。
「そ、そりゃあいつらだ、商人のだんなを襲った奴だ!」
 勢いよく飛び出していこうとするのを、セキヤは慌てて押しとどめた。
「ちょっと待った!」
「なんで止める!」
「さっきも言けど、オイラが町番の目にとまるようなことはしないでくれ。あんたの連れと分かったら、あれこれ聞かれて面倒になっちまう。別れてからにしてくれよ。どうせこれから町番詰め所へ行くんだろう?」
 怒った顔の鼻先へ、頭を低めてささやいた。
(必要な情報だけが欲しい)
 こちらから一方的にものを聞くのはかまわないが、あちらから根掘り葉掘り聞かれるのはたまらない。いくらマジリに寛大な土地柄だと言っても、町番兵の気分ひとつで、どれほど足止めされるか知れないのだ。
 セキヤは鼻の頭をそっとぬぐった。
(ここまでのことになるとは思わなかった!)
 どんなかたちであれ、町番詰め所の調べ書きに名を残すわけにはいかない。リュースの件にあんなかかわり方をした以上、姿の見えない敵に目をつけられたら、どうなるか分からないのだ。なにより今の調子では、瑠璃の目も使えないだろう。丸腰も同然だ。
「あのさ、だんな。風評小屋への案内はいいから、さきに町番の用をすませてきてくんないか。気分がよくなったら挨拶がてら顔を出すから、どんなようすだったか教えてくれよ。例の名調子でさ」
 口の先で息をしながら頼みこむと、墓守はうなずいて走り去った。歌うたいは後ろ姿をしげしげと見送っていたが、やがて首をかしげるようにして振り向いた。
「あの人ひとりでだいじょうぶ?」
 再び襲った吐き気に耐えながら、うわのそらでセキヤは答えた。
「平気だろうさ。本物の町番のところへ行くんだからな」
 恐れのために混乱していたのだ。このときすぐそばにいた町番兵に知らせなかったことを、あとあと痛恨の思いで振り返るはめになった。