一夜明け(2)

 墓守小屋を出て少し歩くと、さきほどまで気持ちよく顔を出していた太陽が、徐々にかげってきた。近道だといって案内された林は、木がまばらで葉の茂りもさほどではない。ひ弱な黄緑が柔らかく枝をのばし、ときおり陽の光がまだら模様をつくって肩に落ちる。にもかかわらず、あたりはすきま風の吹くような何かで満たされていた。
「どうも寒いよなあ」
 セキヤがつぶやくと、墓守は陽気げに口を開いた。
「ひょっとしてあんた、南から来たのかい? どこから?」
 首をすくめて答えずにいると、墓守は自慢をした。
「ぬるい空気で育ったもんにゃ、凍えるってことの本当の意味が分からんだろう」
「そうだなあ、ぜんぜん想像つかないよ。さぞかしすごいんだろうね」
 うわの空であいづちを打ったが、セキヤが住んでいたのはここからそう遠い場所ではない。国境となる渓谷河川をはさんで、やや南東に位置する町からやってきたのだ。
 ただし、たった一本の河と五日越えの山を境に空気が変わる――というのは、本当のことだった。
 歌うたいが急に立ち止まって声をあげた。
「ね、セキヤ。なんだか臭くない? へんな匂いがするよ」
「へんなってどんな?」
「腐ったみたいな」
 セキヤは墓守のほうを振り返ったが、
「そうか?」
 と返されただけだった。
「気のせいじゃないのか。物が腐るような天気じゃないぜ」
「いくら涼しくても、時間がたてば物は腐るよ」
 不満そうに口をとがらせると、歌うたいは二人をおいてずんずん先へ行ってしまった。急に道が広くなって、明るい雰囲気になってきたのだ。両側にたちならぶ細い樹木は、林のものではない。見栄えのよさからいっても、明らかに植えられたのだろう。曲がり角の向こうから、ヤギの声が響いた。
「チビすけ! そっちは風評小屋じゃないぞ。神殿坊主の宿舎だ。あいつらの話なんかちっとも面白くねえから戻ってこい!」
 墓守が笑いながら声をかけると、歌うたいはバカに幼い調子で叫んで駆けだした。
「チビじゃないよ、ベーだ!」
 セキヤは舌打ちをした。
「あのガキ、なにをはしゃいでんだ。こっちはまだ調子が戻らないのに、追いかけっこやらされる身にもなってみろ」
 風に乗ってうすらぬるい臭気が胸に入りこんできたのは、そのときだった。
 セキヤは、
「ウッ」
 とうめいて道ばたにしゃがみこんだ。かなりよくなったと思っていたのだが、体の具合がやはりおかしい。吐き気をこらえて口で息をしていると、墓守があわてて飛んできた。
「おいおい、だいじょうぶか?」
 顔をのぞきこんでから、眉根をよせて小鼻をすぼめた。
「なんだこの匂いは?」
「なんだかよく分かんないけど、オイラはだいじょうぶだよ。あの、だけどさ。ちょっと行ってあのバカ呼び戻してくんないか」
 墓守は、
「おうおう」
 と軽くうなずいて走り出したが、歌うたいがきびすを返して駆け戻ってきたので、危うくぶつかりそうになった。
「わっ! 危ないじゃないか」
 歌うたいはそれへは構わなかった。
「たいへん! たいへん!」
 聞くだけで肩がはねあがるような声で叫んで、草原くさわらに飛びこんできたのだ。ビクリとなって頭をあげると、セキヤはありったけの苛立ちをこめて怒鳴った。
「お前、どうでもいいけど魔物の声でわめくのよせ! こっちは気分が」
 歌うたいは答えなかった。顔色を変え口をぱくぱくさせて、道の向こうを指さしている。その方角に目をやって、二人は一瞬だまりこんだ。何が見えているのか、すぐには分からなかったからだ。
 林をぬけたところには、こぎれいな草地が広がっていた。あちらこちらにヤギが放たれ、奥の方には古びた神官宿舎が建っている。
 針のような尖塔が五つ、小さいながらも空を刺すようにしてのびていた。おのおのに意匠をこらした浮き彫りが施され、さすがに聖域の風情である。

 そんな場所に野次馬が集まっているのは、異常なことだ。ひときわ高くそびえる屋根には、カラスが群がっていた。
 鼻と口を手でおさえ、ふらふら立ち上がるとセキヤはつぶやいた。
「あれは死体か?」
 うすくかかった雲を背にして、カラスと同じほどに黒く浮きあがって見えるのは、胴の真ん中を串刺しにされた人影だった。