一夜明け(1)
高くなりかけた陽の光が、刺すような痛みを運んでくる。きつく閉じたまぶたの裏に、鮮やかな朱 がうつった。あまりに強いその色が、頭のてっぺんへ突きぬけるようだ。セキヤはうなって顔をおおった。力を使いすぎたのだ。
「おい、気がついたのか?」
声がかかると同時に、重い靴音がドタドタと響いて近づいてきた。かたくなった布の感触が、ごわごわと頬にふれる。うすく目を開けると、真っ黒なシーツが見えた。すすだらけになったベッドの上に転がされていたのだ。
かまどでパチパチと火がはぜた。ちょうど煮炊きをしていたのだろう。痛みに耐えながら体を起こすと、湯気の香りが鼻にもしみた。
「だいじょうぶか」
墓守の男が気づかわしげに顔をのぞきこんだ。セキヤは混乱した頭をおさえながら、
(あのあと、どうしたんだっけ)
と考えた。あれほど長いあいだ、瑠璃の目を使ったのは初めてのことだ。続けてやるものではないと知ってはいたが、緊急事態だったために限界を超えてしまった。
(こいつの記憶は消したのかな)
懸命に記憶をたぐりよせたが、どうにも遠く感じられて届かない。じっと見つめる男に向かって、やっとの思いで、
「だいじょうぶだよ」
と答えた。
「ならいいんだがな。そうそう。ニセモノ連中は、あんたが寝ているあいだに本物の町番兵が来たから、引き渡したよ。約束どおり、あんたたちのことは言わないでおいたから、安心しな」
墓守がそう告げてきて、ようやくセキヤは最後の力をふりしぼってかけた暗示を思い出した。ニセ番兵の処理のしかたや、食事と着替えの世話を言いつけたあと、
「オイラたちは命の恩人なんだから、なにを聞いても真剣に本当のことを答えてくれよ。うんと親切にして、どんな頼みごとでもウンと言うんだぞ」
と、何度も繰り返したのだ。
あらためて見回すと、墓守小屋はすくいようのないほどに荒れていた。壁といわず天井といわず、ありとあらゆる物がねっとりした黒に染まっている。カンナをかけてみがいても、もとの木の色には戻らないだろう。焚き物にしこんでおいた魔法薬のためだ。
どうにも体がすっきりしなかった。気取られないようにため息をついていると、
「あんたも水浴びしてからメシにするかい」
と尋ねられた。
「水浴びかあ。冷たそうだな」
長年ここに住んでいる者は肌寒さが気にならないのかも知れないが、セキヤはそうではない。とはいえ、頭のてっぺんも足の先もわからないほど汚れたままでは、物も売ってもらえないだろうし、なにより宿屋で門前払いをくわされる。答えをしぶっていると、男は笑い出した。
「そんな顔しなくても、たらいにぬるま湯つくっといたからよう。いま、つれのボウズむりやりつっこんできたとこだ。ついさっきまで寒いからイヤだってってダダこねてたんだが、だいぶん陽もあがってきたしな。いくらなんでも、こんな真っ黒け野郎に施しなんかする奴いねえよ、って言ったら、ようやくウンと言ったもんで」
「それで湯をめぐんでくれたのかい? 悪いなあ」
「ああ、いいんだいいんだ。あんたたちは恩人だから! 約束どおり、古着屋から着替えも買ってきてやったよ」
言いながら墓守は、外を指さした。子供の服と大人の服が木の枝にひっかかって、洗濯物のようにゆれている。すすまみれの小屋には、おく場所がなかったのだろう。セキヤはようやく笑ったが、自分の声が頭の芯に響いて、
「あたた……」
と、こめかみを押さえた。
「おいおい! まさか俺を助け出すとき、どっか殴られたのか?」
「煙の吸いすぎだよ。しばらく休ませてくんないか」
スズメの声にまじって、バシャバシャと水をはねる音が聞こえた。墓守はうなずいたあと、外へ向かって、
「おいチビ! せっかく沸かした湯をあちこちぶっ飛ばすんじゃないぞ! 言われたとおりに、池で水浴びしてから仕上げをしてるんだろうな?」
と怒鳴った。歌うたいは、
「ウーン?」
と、返事ともつかない声をあげて、再び湯をはねたらしい。
「こらこら! スズメに湯をかけてどうする!」
その怒声は、いちいち頭痛の障りになった。セキヤはそろそろとのびあがり、力のぬけた声をかけた。
「歌うたい。ちゃんと言うこと聞けよ」
「エー?」
窓から顔を出して見ると、洗濯だらいのまんなかに、骨だらけの背中が虚勢をはったようにつっ立っていた。歌うたいは首だけねじって、ふくれ面をさらしている。セキヤは口をあけて、しげしげとその姿に見入った。とがった貝殻骨 のあいだに、カラスの羽を模したような逆三角形のあざがふたつ、黒々と並んでいたのだ。金色に光る獣の毛が、腰の少し上から腿 までを、薄くなめらかにおおっていた。
「セキヤはまたジロジロ見てる!」
声変わりまえのかん高い声がはねた。
「ジロジロってお前、その背中どうしたんだよ」
「セキヤの目とおなじ。マジリのしるしに決まってる」
「そんなもの不用意にさらすなよ。いくらここの連中が寛大だっていっても、それなりに色々あんだろう?」
「平気。そこのおじさんは恩人に親切だから」
切り返すような調子だった。そういう暗示にかけたのだから、何を見せてもだいじょうぶだと言うのだろう。ほかの人間達と同じように、きがねなく真実をさらして開放感を味わいたいのだ。そんなところがゾクリと痛い。
(くそっ、いつもなら思いっきり楽しむところなんだがな!)
胸のうちで悪態をつくと、音にならない言葉さえも頭に響くようだった。
頭痛をこらえて水浴びをし、たらいのぬるま湯をかぶって食卓につくと、ようやくひと心地ついた。ぶつ切りのイモとニンジンが、スープの中で湯気をたてている。小さな川魚が、皿からはみだすようにしてこちらをにらんでいたので、最初にとってかぶりついてやった。
しばらくすると、待ちかねたように歌うたいが口を切った。
「ね、おじさん。逃げた商人さんや五人組の悪者って、どんな顔してたの?」
セキヤははっとしてそちらを見た。セキヤが眠っているあいだに墓守から情報を引き出しておけば、歌うたいはあとで自慢ができただろう。無表情な顔のしたでは、並ならぬ好奇心が動いていたにちがいない。にもかかわらず、全員がそろって落ち着くまで期をはかっていたとは。
(うすっ気味の悪いガキだなあ)
考え考え食事を口に運んでいると、豆をのどに引っかけそうになった。墓守はスプーンを持った手をとめて、さきほどから天井をにらんでいる。
「なにを聞いても真剣に本当のことを答えてくれよ」
と言われたせいで、物乞いの子供あいてに大まじめになっているのだ。そのままの姿勢でしばらく口をもぐもぐさせていたかと思うと、自信がなさそうにこちらを見た。
「商人のだんなは、頭の真ん中がつるっとハゲあがったずんぐりむっくりだったよ。目玉がバカにでかくてな」
「なんかこう、あざとかほくろとか、ひとめ見てこれっていう特徴はなかったのかい?」
「ずんぐりむっくりのギョロ目ハゲだよ。それだけだな。あと、悪者のほうはどんな顔って聞かれてもそのつもりでじっくり見たわけじゃないし、俺もすぐに町番詰め所へ走ったからなあ?狼面 の大男と、魚みたいにのっぺりした小男がいて、並べて見ると滑稽 だと思ったのは覚えてるんだが」
「いっぺんにたくさんは覚えられないかあ」
とつぶやくと、歌うたいもほうと息をついた。
「あ、そうだ」
セキヤは思いついて、すすのこびりついたテーブルに、スプーンの柄で六枚の花びらの形を描いた。
「だんなはひょっとして、こんな模様に見覚えがないかい? どっかの家の紋章じゃないかと思うんだけどな」
アヒムからとりあげた、宝石箱の飾り紋だ。実物を見せて聞くのがいちばんてっとり早いのだが、中央についた大きな宝石は、おかしな噂や盗人を誘う危険がある。
墓守はしきりに考えた。
「どうも見覚えがないなあ。じきに新しい領主の就任式があるってんで、みんなで名家の紋章を覚えてるんだがなあ。きっと、あんまり地位のある家のじゃないんだろう」
「え? 紋章なんか覚えるのが流行ってるのかい?」
「そりゃ流行ってるさ。就任式なんて、しょっちゅうあるもんじゃないだろう? しかも今回は、領主をよそから迎えるってんで、国王様がじきじきに出向いて儀式をなさるんだ。見たことのない紋章がたくさん見られるってわけさ。旗の紋が分かれば、どれが大臣家の行列だとか分かるし、誰だって覚えたいじゃないか」
「あ、なるほど」
庶民にとっては、確かに得がたい娯楽だ。旅の目的に気をとられるあまり、セキヤはそういった当たり前の話題から遠くなっていた。
隣の席では、歌うたいがぶつ切りのイモを食べようとして大口をあけている。食事にかまけるそぶりでいても耳の穴はこちらを向いている、と思いながら、セキヤは皿からニンジンをすくった。
「新しい領主はヘクトール様だったっけ? まえの領主の叔父だとか」
「うん」
「あのさ。なんだか今、にせのお姫さま事件が起こってるだろう? あれがもし本物だったら、ヘクトール様は地位が危ないと思うかい?」
「まさか!」
墓守は口ひげについたスープをなめると、大声で笑いはじめた。
「あんた、このテの話にずいぶんうといんだなあ。よそもんだからしかたがないのかな?」
そう言って笑いをおさめると、さや豆をつまみあげて鼻先に突きつけてきた。
「いいか? こんどの領主のヘクトールってのは、そうとうな腹黒なんだぞ? 十年もむかしに家督をゆずって隠居ぐらしをしていたもんが、外領の長 になるなんざぁ、前代未聞……ってほどでもないが、まあ大変なこった。順番からいくと、まえのご領主の甥にあたるエグモント様が来て当然なんだからな。しかもエグモント様には、これといった落ち度もない。
落ち度はないが、拝領手続きに不可欠の後見役が奇っ怪な死をとげたあと、味方につぎつぎ裏切られて、いつのまにやら孤立無援。ヘクトール様がゴリ押しをはじめたのは、そのときさ」
セキヤは目を見開いた。物語でも読み聞かせているような調子で、無学の徒とは思えない。歌うたいは顔もあげずに食べているが、聞き入っているのは明らかだった。
「アタマにきて一戦まじえようにも、お気の毒なエグモント様には味方がない。そのうち国王様が出てきて、次のアノイ領主はヘクトール様と決めちまった。あとあともめ事にならないよう、御自 ら就任式に出向いてけじめをつける、とね」
そこまでを言い切ると、墓守は音をたててスープをすすった。セキヤはゆるゆると口を切った。
「ヘクトールってのは、汚いテを使ってアノイを手に入れたんだねえ」
「ま、俺らとしちゃ、戦 にならなかったのはありがてえけどよ。それにしても、なんであんな土地が欲しいんだろうな?」
「もしも生きて出てきたら、姫はヘクトールに殺されかねないのかなあ」
墓守はおおげさに手を振って叫んだ。
「バカ言うな! もっといい手があるじゃないか。誰にもなんにも言われないで、堂々と領主の地位に治まる手がよ」
「エ、どんな?」
思わず聞き返すと、それまで皿ばかり見ていた歌うたいが顔をあげて叫んだ。
「ヨメにもらえばいい!」
墓守は笑った。
「ほらな、こんなガキでも分かってることだ。あんな妖怪ジジイだって、女房が死ねば淋しい独り身さ」
「あんな妖怪ジジイって、ヘクトールを見たことあるのかい?」
それじゃ姫がいやがるだろうと言いかけて、セキヤは口をつぐんだ。姫君は好いた惚れたを通せない。
「なんだあんた、風評板 も見ないのか。似顔絵が描いてあるぞ。名家の紋章だって、あすこへ行けばぜんぶ見られるんだ」
風評版というのは、政 ごとのようすや世間のうわさなどを、絵物語ふうに描いた板のことだ。小屋の入り口で金を払えば、鬼大臣の悪行や女貴族の不義密通、都を騒がす殺傷沙汰など、壁一面の絵で楽しむことができる。小屋口上 に小銭を握らせれば、おもしろおかしく語ってもくれるのだ。客同士でもうわさに尾ひれをつけたり口論したりと、安上がりな道楽だった。
「こっちじゃそんな面白いもんが出てるなんて、知らなかったんだ。こんど行ってみるよ」
本気になって言うと、墓守は急に真顔になった。
「ウーン、けどあれだな。アデライテ姫がエグモント様の方と婚礼を結んだら、一発逆転はおおいにあるよな。姫はヘクトール様が大嫌いだったってうわさがあるし。ホントかどうか知らねえけど、いつだったかヘクトール様がこっちへ来たとき、ボリット護衛兵に命じて無礼な挨拶をさせたとかなあ」
「エ?」
セキヤはまのぬけた声で聞き返した。リュースをだました連中の片割れが、ボリットと名乗っていたはずだ。護衛を演じたこの男には、大きなホクロがあったという。もう一方の片割れ――ヤンは、ロバインという偽名で貴族のふりをしていた。
「なんだって? ボリットってえのは、ほんとにいた奴なのか? ロバインっていうのも、でたらめな名前じゃないの?」
墓守は口をとがらせてニヤッと笑った。
「あんた、つくづくへんな奴だよ。よそ者が死んだ姫の教育係や護衛の名前を知らないのは当たり前かも知れないが、ニセの名前だなんておかしいぜ」
セキヤは歌うたいを軽くにらんで囁いた。
「なあ、お前ってアノイから来たんだろう? なんで教えなかったんだよ」
歌うたいはきつくにらみ返して答えた。
「そんなこと言ったって、知らなかったんだもん」
「おいおい、そんな細かいこと芸人ボウズが知ってるわけないだろ? よほどのツウでなきゃあ」
「アー! だんなは筋金入りの風評通 いかあ。どうりで名調子だと思った」
墓守は自分の頭を指さした。
「風評語りは全部このなかに入ってる! いつでも語ってやるぞ」
「うへえ」
思わず首をすくめると、豪快な笑い声が響いた。
――と、おもてにドサドサと足音が響いて、ドアが激しく打ち鳴らさせた。足音の間隔や重さからいって、相当の大男らしい。
「おい、墓守! いないのか。いるならここを開けろ。町番のご用だぞ!」
三人はイスから飛びあがったあと、シーンとなった。
叩く音はなおも続いている。苛立ちのにじんだ執拗 な響きだ。
セキヤは歌うたいの腕をつかんで台所へ飛びこんだ。町番兵には関わりたくない。歌うたいはいつの間にやらからの鍋 を見つけてきて、頭にかぶっている。兜 の代わりになるとでも思ったのだろうか。
墓守男はかまどのそばからまき割りオノを引きずり出して後ろ手に持つと、静かにドアへ近づいていった。
「いま開ける。ちょっと待ってくれ」
用心しながら細めに開けると、隙からのぞいたのは不機嫌そうな顔だった。
「こりゃどうも、本物かどうかビクビクしちまって」
言い訳をすると、小屋が倒れるかと思うほどの音が響き渡った。怒った町番兵が、ドアを開け放ったのだ。
「その言いぐさはなんだ! 町番を盗っ人あつかいする気か!」
一部始終をのぞいてセキヤは、
(こりゃ本物だぜ!)
と、ひざを叩きたくなった。仁王立ちになっているのは、いかにも傲岸 な面構 えの男だ。町番兵の紋章は服と同じくらいにすりきれて、べったり胸にはりついている。
(アタマもそこそこ悪そうだし、やっぱり本物はいいよなあ?)
歌うたいの脇腹をつついて、そう囁きたかった。
「そんなこと言ったって、今朝つかまえた連中がニセの町番だったんだからよ」
きまり悪そうにつぶやきながらも、墓守は相手の顔色をうかがっている。
「そのことで聞きそびれたことがあるから、あとで町番詰め所へ来い。昼を食い終わってからでいいぞ」
町番兵はそれだけを言うと、ドサドサと草むらを踏んで去っていった。
夕方まで世話になろうかと思ったのだが、町番兵がうろうろ尋ねてくるのでは落ち着かない。さきを急ぐ旅路でこれ以上の足止めを食らいたくはなかった。食事をたっぷりとったせいか、ずいぶん体が楽になってきたので、セキヤはどこかに宿を借りることにした。
ふと思いついて、
「さっきの話にあった風評板だけれども、どこにあるんだい? ちょっと寄っていきたいんだけどさ」
と尋ねると、
「それならちょうど町番詰め所へ行くとちゅうにあるから、一緒に行かんか」
と答えが返ったので、三人でつれだってゆくことにした。
「おい、気がついたのか?」
声がかかると同時に、重い靴音がドタドタと響いて近づいてきた。かたくなった布の感触が、ごわごわと頬にふれる。うすく目を開けると、真っ黒なシーツが見えた。すすだらけになったベッドの上に転がされていたのだ。
かまどでパチパチと火がはぜた。ちょうど煮炊きをしていたのだろう。痛みに耐えながら体を起こすと、湯気の香りが鼻にもしみた。
「だいじょうぶか」
墓守の男が気づかわしげに顔をのぞきこんだ。セキヤは混乱した頭をおさえながら、
(あのあと、どうしたんだっけ)
と考えた。あれほど長いあいだ、瑠璃の目を使ったのは初めてのことだ。続けてやるものではないと知ってはいたが、緊急事態だったために限界を超えてしまった。
(こいつの記憶は消したのかな)
懸命に記憶をたぐりよせたが、どうにも遠く感じられて届かない。じっと見つめる男に向かって、やっとの思いで、
「だいじょうぶだよ」
と答えた。
「ならいいんだがな。そうそう。ニセモノ連中は、あんたが寝ているあいだに本物の町番兵が来たから、引き渡したよ。約束どおり、あんたたちのことは言わないでおいたから、安心しな」
墓守がそう告げてきて、ようやくセキヤは最後の力をふりしぼってかけた暗示を思い出した。ニセ番兵の処理のしかたや、食事と着替えの世話を言いつけたあと、
「オイラたちは命の恩人なんだから、なにを聞いても真剣に本当のことを答えてくれよ。うんと親切にして、どんな頼みごとでもウンと言うんだぞ」
と、何度も繰り返したのだ。
あらためて見回すと、墓守小屋はすくいようのないほどに荒れていた。壁といわず天井といわず、ありとあらゆる物がねっとりした黒に染まっている。カンナをかけてみがいても、もとの木の色には戻らないだろう。焚き物にしこんでおいた魔法薬のためだ。
どうにも体がすっきりしなかった。気取られないようにため息をついていると、
「あんたも水浴びしてからメシにするかい」
と尋ねられた。
「水浴びかあ。冷たそうだな」
長年ここに住んでいる者は肌寒さが気にならないのかも知れないが、セキヤはそうではない。とはいえ、頭のてっぺんも足の先もわからないほど汚れたままでは、物も売ってもらえないだろうし、なにより宿屋で門前払いをくわされる。答えをしぶっていると、男は笑い出した。
「そんな顔しなくても、たらいにぬるま湯つくっといたからよう。いま、つれのボウズむりやりつっこんできたとこだ。ついさっきまで寒いからイヤだってってダダこねてたんだが、だいぶん陽もあがってきたしな。いくらなんでも、こんな真っ黒け野郎に施しなんかする奴いねえよ、って言ったら、ようやくウンと言ったもんで」
「それで湯をめぐんでくれたのかい? 悪いなあ」
「ああ、いいんだいいんだ。あんたたちは恩人だから! 約束どおり、古着屋から着替えも買ってきてやったよ」
言いながら墓守は、外を指さした。子供の服と大人の服が木の枝にひっかかって、洗濯物のようにゆれている。すすまみれの小屋には、おく場所がなかったのだろう。セキヤはようやく笑ったが、自分の声が頭の芯に響いて、
「あたた……」
と、こめかみを押さえた。
「おいおい! まさか俺を助け出すとき、どっか殴られたのか?」
「煙の吸いすぎだよ。しばらく休ませてくんないか」
スズメの声にまじって、バシャバシャと水をはねる音が聞こえた。墓守はうなずいたあと、外へ向かって、
「おいチビ! せっかく沸かした湯をあちこちぶっ飛ばすんじゃないぞ! 言われたとおりに、池で水浴びしてから仕上げをしてるんだろうな?」
と怒鳴った。歌うたいは、
「ウーン?」
と、返事ともつかない声をあげて、再び湯をはねたらしい。
「こらこら! スズメに湯をかけてどうする!」
その怒声は、いちいち頭痛の障りになった。セキヤはそろそろとのびあがり、力のぬけた声をかけた。
「歌うたい。ちゃんと言うこと聞けよ」
「エー?」
窓から顔を出して見ると、洗濯だらいのまんなかに、骨だらけの背中が虚勢をはったようにつっ立っていた。歌うたいは首だけねじって、ふくれ面をさらしている。セキヤは口をあけて、しげしげとその姿に見入った。とがった
「セキヤはまたジロジロ見てる!」
声変わりまえのかん高い声がはねた。
「ジロジロってお前、その背中どうしたんだよ」
「セキヤの目とおなじ。マジリのしるしに決まってる」
「そんなもの不用意にさらすなよ。いくらここの連中が寛大だっていっても、それなりに色々あんだろう?」
「平気。そこのおじさんは恩人に親切だから」
切り返すような調子だった。そういう暗示にかけたのだから、何を見せてもだいじょうぶだと言うのだろう。ほかの人間達と同じように、きがねなく真実をさらして開放感を味わいたいのだ。そんなところがゾクリと痛い。
(くそっ、いつもなら思いっきり楽しむところなんだがな!)
胸のうちで悪態をつくと、音にならない言葉さえも頭に響くようだった。
頭痛をこらえて水浴びをし、たらいのぬるま湯をかぶって食卓につくと、ようやくひと心地ついた。ぶつ切りのイモとニンジンが、スープの中で湯気をたてている。小さな川魚が、皿からはみだすようにしてこちらをにらんでいたので、最初にとってかぶりついてやった。
しばらくすると、待ちかねたように歌うたいが口を切った。
「ね、おじさん。逃げた商人さんや五人組の悪者って、どんな顔してたの?」
セキヤははっとしてそちらを見た。セキヤが眠っているあいだに墓守から情報を引き出しておけば、歌うたいはあとで自慢ができただろう。無表情な顔のしたでは、並ならぬ好奇心が動いていたにちがいない。にもかかわらず、全員がそろって落ち着くまで期をはかっていたとは。
(うすっ気味の悪いガキだなあ)
考え考え食事を口に運んでいると、豆をのどに引っかけそうになった。墓守はスプーンを持った手をとめて、さきほどから天井をにらんでいる。
「なにを聞いても真剣に本当のことを答えてくれよ」
と言われたせいで、物乞いの子供あいてに大まじめになっているのだ。そのままの姿勢でしばらく口をもぐもぐさせていたかと思うと、自信がなさそうにこちらを見た。
「商人のだんなは、頭の真ん中がつるっとハゲあがったずんぐりむっくりだったよ。目玉がバカにでかくてな」
「なんかこう、あざとかほくろとか、ひとめ見てこれっていう特徴はなかったのかい?」
「ずんぐりむっくりのギョロ目ハゲだよ。それだけだな。あと、悪者のほうはどんな顔って聞かれてもそのつもりでじっくり見たわけじゃないし、俺もすぐに町番詰め所へ走ったからなあ?
「いっぺんにたくさんは覚えられないかあ」
とつぶやくと、歌うたいもほうと息をついた。
「あ、そうだ」
セキヤは思いついて、すすのこびりついたテーブルに、スプーンの柄で六枚の花びらの形を描いた。
「だんなはひょっとして、こんな模様に見覚えがないかい? どっかの家の紋章じゃないかと思うんだけどな」
アヒムからとりあげた、宝石箱の飾り紋だ。実物を見せて聞くのがいちばんてっとり早いのだが、中央についた大きな宝石は、おかしな噂や盗人を誘う危険がある。
墓守はしきりに考えた。
「どうも見覚えがないなあ。じきに新しい領主の就任式があるってんで、みんなで名家の紋章を覚えてるんだがなあ。きっと、あんまり地位のある家のじゃないんだろう」
「え? 紋章なんか覚えるのが流行ってるのかい?」
「そりゃ流行ってるさ。就任式なんて、しょっちゅうあるもんじゃないだろう? しかも今回は、領主をよそから迎えるってんで、国王様がじきじきに出向いて儀式をなさるんだ。見たことのない紋章がたくさん見られるってわけさ。旗の紋が分かれば、どれが大臣家の行列だとか分かるし、誰だって覚えたいじゃないか」
「あ、なるほど」
庶民にとっては、確かに得がたい娯楽だ。旅の目的に気をとられるあまり、セキヤはそういった当たり前の話題から遠くなっていた。
隣の席では、歌うたいがぶつ切りのイモを食べようとして大口をあけている。食事にかまけるそぶりでいても耳の穴はこちらを向いている、と思いながら、セキヤは皿からニンジンをすくった。
「新しい領主はヘクトール様だったっけ? まえの領主の叔父だとか」
「うん」
「あのさ。なんだか今、にせのお姫さま事件が起こってるだろう? あれがもし本物だったら、ヘクトール様は地位が危ないと思うかい?」
「まさか!」
墓守は口ひげについたスープをなめると、大声で笑いはじめた。
「あんた、このテの話にずいぶんうといんだなあ。よそもんだからしかたがないのかな?」
そう言って笑いをおさめると、さや豆をつまみあげて鼻先に突きつけてきた。
「いいか? こんどの領主のヘクトールってのは、そうとうな腹黒なんだぞ? 十年もむかしに家督をゆずって隠居ぐらしをしていたもんが、外領の
落ち度はないが、拝領手続きに不可欠の後見役が奇っ怪な死をとげたあと、味方につぎつぎ裏切られて、いつのまにやら孤立無援。ヘクトール様がゴリ押しをはじめたのは、そのときさ」
セキヤは目を見開いた。物語でも読み聞かせているような調子で、無学の徒とは思えない。歌うたいは顔もあげずに食べているが、聞き入っているのは明らかだった。
「アタマにきて一戦まじえようにも、お気の毒なエグモント様には味方がない。そのうち国王様が出てきて、次のアノイ領主はヘクトール様と決めちまった。あとあともめ事にならないよう、
そこまでを言い切ると、墓守は音をたててスープをすすった。セキヤはゆるゆると口を切った。
「ヘクトールってのは、汚いテを使ってアノイを手に入れたんだねえ」
「ま、俺らとしちゃ、
「もしも生きて出てきたら、姫はヘクトールに殺されかねないのかなあ」
墓守はおおげさに手を振って叫んだ。
「バカ言うな! もっといい手があるじゃないか。誰にもなんにも言われないで、堂々と領主の地位に治まる手がよ」
「エ、どんな?」
思わず聞き返すと、それまで皿ばかり見ていた歌うたいが顔をあげて叫んだ。
「ヨメにもらえばいい!」
墓守は笑った。
「ほらな、こんなガキでも分かってることだ。あんな妖怪ジジイだって、女房が死ねば淋しい独り身さ」
「あんな妖怪ジジイって、ヘクトールを見たことあるのかい?」
それじゃ姫がいやがるだろうと言いかけて、セキヤは口をつぐんだ。姫君は好いた惚れたを通せない。
「なんだあんた、
風評版というのは、
「こっちじゃそんな面白いもんが出てるなんて、知らなかったんだ。こんど行ってみるよ」
本気になって言うと、墓守は急に真顔になった。
「ウーン、けどあれだな。アデライテ姫がエグモント様の方と婚礼を結んだら、一発逆転はおおいにあるよな。姫はヘクトール様が大嫌いだったってうわさがあるし。ホントかどうか知らねえけど、いつだったかヘクトール様がこっちへ来たとき、ボリット護衛兵に命じて無礼な挨拶をさせたとかなあ」
「エ?」
セキヤはまのぬけた声で聞き返した。リュースをだました連中の片割れが、ボリットと名乗っていたはずだ。護衛を演じたこの男には、大きなホクロがあったという。もう一方の片割れ――ヤンは、ロバインという偽名で貴族のふりをしていた。
「なんだって? ボリットってえのは、ほんとにいた奴なのか? ロバインっていうのも、でたらめな名前じゃないの?」
墓守は口をとがらせてニヤッと笑った。
「あんた、つくづくへんな奴だよ。よそ者が死んだ姫の教育係や護衛の名前を知らないのは当たり前かも知れないが、ニセの名前だなんておかしいぜ」
セキヤは歌うたいを軽くにらんで囁いた。
「なあ、お前ってアノイから来たんだろう? なんで教えなかったんだよ」
歌うたいはきつくにらみ返して答えた。
「そんなこと言ったって、知らなかったんだもん」
「おいおい、そんな細かいこと芸人ボウズが知ってるわけないだろ? よほどのツウでなきゃあ」
「アー! だんなは筋金入りの風評
墓守は自分の頭を指さした。
「風評語りは全部このなかに入ってる! いつでも語ってやるぞ」
「うへえ」
思わず首をすくめると、豪快な笑い声が響いた。
――と、おもてにドサドサと足音が響いて、ドアが激しく打ち鳴らさせた。足音の間隔や重さからいって、相当の大男らしい。
「おい、墓守! いないのか。いるならここを開けろ。町番のご用だぞ!」
三人はイスから飛びあがったあと、シーンとなった。
叩く音はなおも続いている。苛立ちのにじんだ
セキヤは歌うたいの腕をつかんで台所へ飛びこんだ。町番兵には関わりたくない。歌うたいはいつの間にやらからの
墓守男はかまどのそばからまき割りオノを引きずり出して後ろ手に持つと、静かにドアへ近づいていった。
「いま開ける。ちょっと待ってくれ」
用心しながら細めに開けると、隙からのぞいたのは不機嫌そうな顔だった。
「こりゃどうも、本物かどうかビクビクしちまって」
言い訳をすると、小屋が倒れるかと思うほどの音が響き渡った。怒った町番兵が、ドアを開け放ったのだ。
「その言いぐさはなんだ! 町番を盗っ人あつかいする気か!」
一部始終をのぞいてセキヤは、
(こりゃ本物だぜ!)
と、ひざを叩きたくなった。仁王立ちになっているのは、いかにも
(アタマもそこそこ悪そうだし、やっぱり本物はいいよなあ?)
歌うたいの脇腹をつついて、そう囁きたかった。
「そんなこと言ったって、今朝つかまえた連中がニセの町番だったんだからよ」
きまり悪そうにつぶやきながらも、墓守は相手の顔色をうかがっている。
「そのことで聞きそびれたことがあるから、あとで町番詰め所へ来い。昼を食い終わってからでいいぞ」
町番兵はそれだけを言うと、ドサドサと草むらを踏んで去っていった。
夕方まで世話になろうかと思ったのだが、町番兵がうろうろ尋ねてくるのでは落ち着かない。さきを急ぐ旅路でこれ以上の足止めを食らいたくはなかった。食事をたっぷりとったせいか、ずいぶん体が楽になってきたので、セキヤはどこかに宿を借りることにした。
ふと思いついて、
「さっきの話にあった風評板だけれども、どこにあるんだい? ちょっと寄っていきたいんだけどさ」
と尋ねると、
「それならちょうど町番詰め所へ行くとちゅうにあるから、一緒に行かんか」
と答えが返ったので、三人でつれだってゆくことにした。