一石三鳥の罠(2)

 新しい領主が決まり、着任の日どりが決まったあたりから、商人、芸人、出稼ぎのたぐいは、仕事を求めてアノイに旅立つようになった。大きな町の宿場がいっぱいになると、あふれた旅人たちは街道ぞいの小さな町へと散ってゆく。
 領境りょうざかいのいなか町は思わぬ繁盛にめぐまれて、色味の少ない風景さえもどことなく浮き浮きしていた。普段はぱっとしない土地柄だが、これでもアノイ・ルガルン・シムブレクの三領地をつらぬく街道が走っているのだ。
 ほこりまみれの賭博場――兎の穴も、近ごろはおこぼれちょうだいでにぎわっていた。アヒムがその男に会ったのは、華やぎがうらめしく思われるほど負けが込んだ日の夜だったという。
 背は低いが、がっしりした体つきの男だった。胸を張ればあんがい立派に見えたかも知れない。しかし男は、ことさらに腰をかがめ、目立たぬように歩いてきた。
「どうにも今夜は運がないねえ。あんたもそうかい?」
 笑いかけた顔を見ると、はぐきの下にぞろりとならんで黄色いそっ歯がのぞいていた。

 男はパウルと名乗った。アヒムはパウルのおごりで飲みに出かけ、気がつくと安酒場の特等席に座らされていた。他から離れた一角を大きなついたてで仕切り、少し上等なテーブルがしつらえてある。出されたつまみも、そこそこ気が利いていた。
 たっぷりの料理と酒を注文してから、パウルは言った。
「仕事ってえのは、人探しなんだがね。誰にでも頼めるってわけじゃない。博打のひとつも打てない男じゃ、おぼつかないな」
「それであんなところを物色してたのか。危険な仕事ってわけだな」
 聞き返すと、曖昧あいまいに目を細めた。
「なに、たいした危険でもない。ただ、ちょいと負けがこんだぐらいで投げ出されたんじゃ、こっちとしても困るからねえ。しつこい男を探していたのさ」
「親に勘当されてもやれってんだな!」
「さすがによく分かってるじゃないか」
 アヒムが天井を向いて笑うと、男も笑った。酒を運んできた女が、うかがうように立ち止まっている。
「で、誰を探すんだ?」
 パウルは答えず、女が運んできた酒をすすめた。
「せっかく来たんだ。まず飲みな」
「おう」
 アヒムの飲みっぷりを陽気げにはやしながらも、パウルの横目は女のようすを冷静に観察している。完全に離れたと見るや、ぐっと頭を突き出して小声になった。
「探して欲しいのはヤンっていう流れ者なんだがね。と言っても、危険な奴じゃねえよ。ケチくさいペテン師で、つい最近までお貴族さまのふりをしたり、大商人のふりをしたりして、アノイ近くの領境をふらふらしていたらしい。たぶん偽名を使っているだろう」
「へえぇ」
「連れが二人いたが、このまえ物盗りにやられておっ死んじまった。一人は十六、七の小娘でお嬢さま風にふるまっていた。もう一人はグスタフっていって、これもケチな野郎なんだが腕っぷしが強くてね。用心棒のふりをしていたよ」
「腕っぷしの強い方がやられたのかい!」
「へなちょこ野郎はまっさきに逃げ出すもんさ。あんた聞かなかったかい? 墓参りの商人が物盗りに殺られた話をさ」
「知らんな」
 アヒムは答えて、新しい酒を注文した。
「ここしばらくその話でもちきりじゃないか? その商人もどきが、ヤンだったんだよ」
 アヒムは笑った。近づく人間すべてが借金取りに思えて、最近はうわさに興ずる余裕もなかったのだ。そんなときにパウルについてきたわけは、抜け目がないように見えて、どことなくへこへこした態度に優越感を抱いたからだった。
 ある種のカンがはたらいたのだ。アヒムにとっては馴染みのある、安心なたぐいの男だと。せいいっぱいヤクザ風にふるまっているようだが、とんだ茶番だと思った。
(このものごしは、金持ちに仕える下っ端ヤロウだぜ)
 お坊ちゃまだったころには、こんな男が家の庭にもごろごろいた。力仕事のときには大声を出してあたりを仕切っているが、主人の匂いをかぐと、とたんに背中が丸まってしまう。小技の利いた追従ついしょうがうまくて、腹でなにを考えているか分からないと思っても、話しているといい気分にさせられた。ああいう連中は小心者だ。
(もったいぶったところで、どうせ箱入り娘が遊び人にはらまされたくらいの話だろう)
 危険だなどとは、夢にも思わなかった。
 何杯目かのグラスをあけながら、アヒムは尋ねた。
「ヤンて野郎の特徴は、どんなのだ?」
「それがよく分からないからやっかいなんだ。相棒のグスタフは相当な大男で、首のここに」
 と言いながら、パウルは自分の首の左がわを指さした。
「盛りあがったでっかいホクロがあって、人に聞けばすぐに分かるくらいだった。ヤンのほうはずんぐりしたハゲとしか分からない」
「頭のハゲたずんぐり野郎だあ?」
 アヒムは声を高めた。
「んなもんはいて捨てるほどいるじゃねえか」
「そう言うな。こっちにゃあヤンの顔を知ってる奴がいないんだよ。面が割れているのはグスタフだけで、『こういうホクロの大男と一緒にいた奴を知らないか』と聞いて歩くしかない」
「当てにならんな」
 舌打ちをしかけて、ふと思いついた。
 この地方には特有の風習がある。埋葬をするとき、近親者の手回り品をツボに入れて、一緒に埋めるのだ。死者が淋しい思いをしないように、生きた者を引きずりこまないように、というのだった。
 死んだ娘とグスタフのツボには、ヤンの手まわり品が入っていないだろうか? うまくすれば手がかりになる。
「大男だか小娘だかの墓は、あばいてみたのかい?」
 と聞くと、男は首を振った。
「そりゃあ無理だ。俺は奴らの家族でもなんでもない。だいたい親戚だって、そんな妙なことするもんか?」
「まあそうだな。けど、ほうぼうからよそ者が入ってきているときに、ハゲだのデブだの、そんな特徴のない野郎を探すのはムリだぜ」
 ぞんざいに言い放つと、先方は急にやわらかい調子になった。
「手がかりはあるんだよ。物盗りが出たとき、墓守男が一部始終を見ていて、町番に知らせたんだそうだ。奴ならヤンの顔を知っているだろう。見ず知らずの者がいきなり行って、根ほり葉ほり聞くと警戒されるだろうから、町番兵のふりで聞くといいよ。制服は用意するからさ」
 どうやら相当の弱みがあるらしい。アヒムはいい気分になって、意地の悪いことを言ってみた。
「そんなことをして、本物の町番に捕まったらどうしてくれる?」
 息をつぐような沈黙ののち、目のまえの姿がすうっと腰をかがめて、いっそう小さくなった。足元にある荷物から、何かを引っぱり出したのだ。
「だからこれを払うというのに」
 華奢きゃしゃなつくりの箱をかかげて、パウルは中の金貨を見せた。無骨な手にはまったく似合わない。いかにもご主人さまのお使いだった。媚びるような目のしたで、黄色いそっ歯がむき出しになっている。
「前金で半分。一人でやっても仲間を集めてもかまわないが、人数分用意してやれるのは町番服だけ。これでやってくれないかい?」
 アヒムは息を飲んで金貨の入った箱を眺めた。ひびが入りそうなほど古い箱だが、磨けば金銀に光るだろう。複雑な浮き彫りが縦横に走り、ふたの中央には生つばが出るほど大きな宝石がはまっている。
「金貨はいいから、入れ物の方をくれ」
 思わずそう言いたくなった。
 もとを正せば、アヒムは金持ちの道楽息子だ。うす暗がりの酒場で宝石の見極めができるとは言い切れないが、直感はたぎるように騒いでいた。
 予想外の幸運が転がりこんだのは、なめるような心持ちに苦しんでいたときだ。酔った客が近づいてきたかと思うと、勢いよくついたてにぶつかって転んだ。
 付け焼き刃でヤクザを装っても、なれない風情ふぜいは隠しようがない。パウルは虚を突かれたように飛びあがった。
「な、なにをする!」
 続けざまに音をたてて、ついたてが倒れた。あの方向に倒れたのでは、誰が下敷きになることもあり得なかったと、アヒム思う。けれどパウルは慌てて逃げようとし、立ちあがったはずみでテーブルに箱を強く打ちつけていた。
 酒場の親爺が叫びながら飛んできた。
「こりゃこりゃ大変だ! 旦那がた、大丈夫ですかい?」
 パウルは動揺したらしい。手許も見ずに箱を荷物へ放りこみ、半分ふるえながら口を締めた。アヒムは腕組みをして、パウルのかわりに答えてやった。
「大丈夫だ。床に寝ている奴はそうでもなさそうだけどな」
 転げた酔っぱらいをあごでしゃくった瞬間、テーブルの下に目が釘付けになった。小さく光る物が、すべるようにして顔を出したからだ。
(あの宝石だ!)
 打ちつけた衝撃ではずれ落ちたのだろう。アヒムは靴で踏み隠した。見た感じとくらべて馬鹿に大きいと思ったが、パウルが用足しに立ったすきに拾いあげてみると、石だけが落ちたのではなく、石をはめこんでいた浮き彫り自体がはがれたのだと分かった。浮き彫りの模様ははじめて見るが、きっとどこかの家紋だろう。
(ゆすりのタネにも使える!)
 そうひらめくと、一石三鳥が嬉しくてならなかった。

※         ※         ※

「死体と一緒に、生きた奴の持ち物を埋める習慣があるのか」
 話を聞き終えて、セキヤはつぶやいた。
「パウルって野郎は、女の死体はニセじゃないかと言ってなかったか?」
 アヒムはぼうと首を振った。魔力に押されて話すうち、すっかり子供に返ったようだ。
「そんなこと言ってないもん」
「それじゃあ最後の質問だよ。せっかく町番服を着てきたのに、なんで墓守りをしばりあげたり、墓参りをつかまえてヘタな尋問をしたりしたんだい?」
 アヒムは口の中で舌を泳がせていたが、やがてゆっくり言葉をつむいだ。
「それはねェ、本物じゃないって分かっちゃったからなんだよ。態度も町番みたいじゃないし、服の刺繍がピカピカすぎてねェ」
「ああ、刺繍がね!」
 セキヤは大笑いをすると、アヒムの手から宝石と紋章を取りあげた。
「オイラたちのことは忘れていいよ」