火の声
セキヤは新しいバケツに手を突っこむと、雑貨屋で買い足した薫製 用の焚 き物――チップをわしづかみにして、手触りをたしかめた。煙をよけい出すために、狼煙 に使われる混ぜ物をしこんである。比較的てにいれやすい魔法薬で、炎が出なくなるところがミソだった。かけずり回って材料をかき集めていると、歌うたいは口をとがらせて尋ねた。
「だいじょうぶ? ほんとに小屋は燃えないの」
「だいじょうぶさ。場末の魔法使い直伝だからな」
「ばすえ?」
「冗談だよ」
魔法薬を手にのせてやると歌うたいはくんくん音をたてて嗅 ぎ、くるりと振り向いた。
「セキヤは魔法使いの弟子だったの?」
思いつきで聞いたのだろう。セキヤはこっそり息を飲んだ。子供のなにげなさは刃物のようだ。
ろくな知識を持たなかったころ、リマの病気をなんとかしようとして魔法使いに弟子入りしたことがある。
自分で治そうと思ったわけではない。修行が成るまでには途方もない時間がかかる。懸命につくせば師匠が願いを聞き入れてくれると、それが頼みの綱だった。読み書きも地図の見かたもそこで習った。
けれど魔法使いは、治せるふりをしてマジリの弟子をひたすらこき使っただけだった。日のたつうちにリマの病気は悪化の一途をたどり、気づいたときには山奥の保養小屋へうち捨てられるようにして横たわっていたのだ。そのときのことを思い出すと、今でものどから胸にかけて、焼け火箸 をさしこまれたような感触が走る。
セキヤは堂々と郷里へ帰れる身分ではない。激情のあまり師匠に大ケガをさせたからだ。一歩ちがえば片目を失明させていただろう。小刀で斬りつけたまぶたは傷が癒えたあともいびつにめくりあがり、わずかながらも赤目をさらして、性根のにじんだ魔法使いの顔をいっそう醜いものにしてしまった。
夜はふけていた。鎌形 の細い月が、薄黒い雲に覆われてゆく。
「音をたてるなよ」
小声で注意をおくると、歌うたいはわずかにうなずいた。魔物の力が宿った瑠璃の眼は、暗闇にも力を発揮する。集中力がいるので長いこと続けて見ることはできないが、こういった行動にはおあつらえ向きだ。
雲に隠れた月のもとで、墓守の小屋はひっそりと静まりかえっていた。狼煙用のチップは火のつかないうちから煙臭いようで、持ち歩くだけでも心が騒いだ。
セキヤは木格子のはまった窓のしたで耳を澄ませた。人の気配はあるが、物音はない。
手はじめに眠り薬を香炉 にいれて焚 いた。居眠りを誘うか、頭をふらふらさせるていどの弱い薬だ。風上にある窓のふちにそっとおいてしばらく待つと、かすかに寝息がもれてきた。
(そろそろだな)
これだけ時間がたてば、眠らなかった者もぼんやりしているだろう。セキヤは歌うたいの肩をつついた。歌うたいはかたくうなずき返し、足音をしのばせて反対側の窓へ回っていった。
(へたな大人よりも頼もしいぜ)
飲みこみの悪いひがみ屋で図体ばかりは人一倍、などという男と組んでこのテの仕事をするのは命取りだ。いくらチンピラのようなものだと言ってもセキヤは望んでそうなったのではないし、徒党を組んでいるわけでもない。その場その場の仲間えらびは、死活にかかわる大問題だ。
手分けしてチップに火種を入れ、ようすをうかがううちに、きな臭さがただよいはじめた。弱風に乗って、むせるような空気が流れてくる。
セキヤと歌うたいは風上にまわり、身じろぎを忘れて待った。時が熟さないうちに気づかれるのではないかと思うと、心臓がすり減るようだ。チップの焦げる音が、ジリジリと迫る。
雲間からうすい月明かりがさしたとき、煙は目覚めた。
音のない爆発のようだった。黒雲の柱がぼうぼうと天をついて、魔物の目を凝らしても小屋が見えないほどだ。
(やりすぎた!)
冷や汗のにじむのが分かった。
かん高い悲鳴が響きわたったのは、そのときだ。
「火事だっ!!」
打ち合わせどおりだ。にもかかわらず、いきおいよく肩が跳ねあがった。背中に氷を入れられたようだ。
「か、火事だ!」
続けた声が、情けなくうわずっている。
「燃えちゃう、燃えちゃう、誰か来てエェ!」
「ウッ……」
反射的にうなって、セキヤは首をすくめた。
(こ、こいつ、なんて声を出しやがる)
体中の骨が振動していた。背骨に虫が住んでいるようだ。首と背中の芯で無数のウジ虫がうねり、肉と皮膚を食い破って吹き出していくかのようだった。
(やめてくれ!)
死ぬような悲鳴をあげて、この場から逃げ出したいと思った。あらゆる工夫を凝らして火が出ないようしかけたのに、声に焼かれたのだ。
セキヤは耳の穴に指をつっこんで必死にふさいだ。そうしなければ、何をするべきか分からなくなっていただろう。
「け、煙だっ!」
「起きろお前ら! 火事だ! 火事だあっ!」
男たちのわめき声に続いて、小屋の中から何かが落ちる音ようながとどろいた。間髪 入れず、魔力のこもった言葉が号泣のように長く曳 かれていった。
「中にいる人が死んじゃうよおおぉぉう」
気合いを入れて呼吸を整えると、セキヤは右の目をパチリと開けた。この瞬間を待っていたのだ。
凄まじい音をたててドアが破られたかと思うと、つんのめるようにしてニセ番兵がころがり出てきた。動転のあまり、こわばった神経が切り裂かれてしまったのだろう。
「煙、煙が……」
「誰か!」
セキヤは飛んでゆくと、激しくせきこむ男たちを次々とのぞきこんでいった。
「しっかりしろ、生きてるか?」
眠り薬でもうろうとしているうえに、平常心を失っている。すすだらけの顔をくしゃくしゃに歪めながら、すすり泣いていた。ランプの炎を近づけて瑠璃の目を光らせると、男たちはたやすく地面にくずれていった。
「やったぜ歌うたい、成功だ!」
ひざを叩きながら振り返ると、小屋の中から墓守の悲鳴がけたたましく呼んだ。
「助けてくれ! 縄をほどいてくれ、お願いだ!」
「待ってろ、すぐ助けてやるから!」
セキヤは叫んで鼻と口をおさえると、息をとめて小屋の中に飛びこんだ。
自分のしたこととはいえ、中のありさまはすさまじかった。瑠璃の眼を利かせても、これほど目が痛むのでは処置もない。
「歌うたい! 煙なんとかしろ」
怒鳴って思わず咳きこんだ。生ぬるい涙が頬をつたう。墓守が縛られたイスを引き寄せようと必死になっているのだが、暴れられては思うようにならない。とうとう横倒しにひっくり返してしまった。
墓守はじたばたと空中を蹴った。
「縄をほどいてくれ、早く、早く!」
「だいじょうぶだ、死なせやしないよ。すぐに助けてやるからおとなしくしてなって」
部屋に残った眠り薬のせいか、頭がぐらついた。咳と涙にむせびながら倒れたイスを引きずってゆく。ようやく入り口の煙が薄くなってきた。
よろめきながら戸口へ出ると、竹箒 を握った歌うたいと目があった。チップを掃いてよけていたらしい。
恐慌状態におちいった男は、助けられたあともしばらく叫んでいた。歌うたいが袖をつかんで引っぱった。
「早く縄をほどこう、セキヤ」
セキヤは無視して、
「水」
と命じた。
ひとくちの水をやってなだめたあと、セキヤは瑠璃の目で墓守を見た。縄をといたとたんに逃げられたのでは困る。聞きたいことが色々あるのだ。
「だいじょうぶ? ほんとに小屋は燃えないの」
「だいじょうぶさ。場末の魔法使い直伝だからな」
「ばすえ?」
「冗談だよ」
魔法薬を手にのせてやると歌うたいはくんくん音をたてて
「セキヤは魔法使いの弟子だったの?」
思いつきで聞いたのだろう。セキヤはこっそり息を飲んだ。子供のなにげなさは刃物のようだ。
ろくな知識を持たなかったころ、リマの病気をなんとかしようとして魔法使いに弟子入りしたことがある。
自分で治そうと思ったわけではない。修行が成るまでには途方もない時間がかかる。懸命につくせば師匠が願いを聞き入れてくれると、それが頼みの綱だった。読み書きも地図の見かたもそこで習った。
けれど魔法使いは、治せるふりをしてマジリの弟子をひたすらこき使っただけだった。日のたつうちにリマの病気は悪化の一途をたどり、気づいたときには山奥の保養小屋へうち捨てられるようにして横たわっていたのだ。そのときのことを思い出すと、今でものどから胸にかけて、焼け
セキヤは堂々と郷里へ帰れる身分ではない。激情のあまり師匠に大ケガをさせたからだ。一歩ちがえば片目を失明させていただろう。小刀で斬りつけたまぶたは傷が癒えたあともいびつにめくりあがり、わずかながらも赤目をさらして、性根のにじんだ魔法使いの顔をいっそう醜いものにしてしまった。
夜はふけていた。
「音をたてるなよ」
小声で注意をおくると、歌うたいはわずかにうなずいた。魔物の力が宿った瑠璃の眼は、暗闇にも力を発揮する。集中力がいるので長いこと続けて見ることはできないが、こういった行動にはおあつらえ向きだ。
雲に隠れた月のもとで、墓守の小屋はひっそりと静まりかえっていた。狼煙用のチップは火のつかないうちから煙臭いようで、持ち歩くだけでも心が騒いだ。
セキヤは木格子のはまった窓のしたで耳を澄ませた。人の気配はあるが、物音はない。
手はじめに眠り薬を
(そろそろだな)
これだけ時間がたてば、眠らなかった者もぼんやりしているだろう。セキヤは歌うたいの肩をつついた。歌うたいはかたくうなずき返し、足音をしのばせて反対側の窓へ回っていった。
(へたな大人よりも頼もしいぜ)
飲みこみの悪いひがみ屋で図体ばかりは人一倍、などという男と組んでこのテの仕事をするのは命取りだ。いくらチンピラのようなものだと言ってもセキヤは望んでそうなったのではないし、徒党を組んでいるわけでもない。その場その場の仲間えらびは、死活にかかわる大問題だ。
手分けしてチップに火種を入れ、ようすをうかがううちに、きな臭さがただよいはじめた。弱風に乗って、むせるような空気が流れてくる。
セキヤと歌うたいは風上にまわり、身じろぎを忘れて待った。時が熟さないうちに気づかれるのではないかと思うと、心臓がすり減るようだ。チップの焦げる音が、ジリジリと迫る。
雲間からうすい月明かりがさしたとき、煙は目覚めた。
音のない爆発のようだった。黒雲の柱がぼうぼうと天をついて、魔物の目を凝らしても小屋が見えないほどだ。
(やりすぎた!)
冷や汗のにじむのが分かった。
かん高い悲鳴が響きわたったのは、そのときだ。
「火事だっ!!」
打ち合わせどおりだ。にもかかわらず、いきおいよく肩が跳ねあがった。背中に氷を入れられたようだ。
「か、火事だ!」
続けた声が、情けなくうわずっている。
「燃えちゃう、燃えちゃう、誰か来てエェ!」
「ウッ……」
反射的にうなって、セキヤは首をすくめた。
(こ、こいつ、なんて声を出しやがる)
体中の骨が振動していた。背骨に虫が住んでいるようだ。首と背中の芯で無数のウジ虫がうねり、肉と皮膚を食い破って吹き出していくかのようだった。
(やめてくれ!)
死ぬような悲鳴をあげて、この場から逃げ出したいと思った。あらゆる工夫を凝らして火が出ないようしかけたのに、声に焼かれたのだ。
セキヤは耳の穴に指をつっこんで必死にふさいだ。そうしなければ、何をするべきか分からなくなっていただろう。
「け、煙だっ!」
「起きろお前ら! 火事だ! 火事だあっ!」
男たちのわめき声に続いて、小屋の中から何かが落ちる音ようながとどろいた。
「中にいる人が死んじゃうよおおぉぉう」
気合いを入れて呼吸を整えると、セキヤは右の目をパチリと開けた。この瞬間を待っていたのだ。
凄まじい音をたててドアが破られたかと思うと、つんのめるようにしてニセ番兵がころがり出てきた。動転のあまり、こわばった神経が切り裂かれてしまったのだろう。
「煙、煙が……」
「誰か!」
セキヤは飛んでゆくと、激しくせきこむ男たちを次々とのぞきこんでいった。
「しっかりしろ、生きてるか?」
眠り薬でもうろうとしているうえに、平常心を失っている。すすだらけの顔をくしゃくしゃに歪めながら、すすり泣いていた。ランプの炎を近づけて瑠璃の目を光らせると、男たちはたやすく地面にくずれていった。
「やったぜ歌うたい、成功だ!」
ひざを叩きながら振り返ると、小屋の中から墓守の悲鳴がけたたましく呼んだ。
「助けてくれ! 縄をほどいてくれ、お願いだ!」
「待ってろ、すぐ助けてやるから!」
セキヤは叫んで鼻と口をおさえると、息をとめて小屋の中に飛びこんだ。
自分のしたこととはいえ、中のありさまはすさまじかった。瑠璃の眼を利かせても、これほど目が痛むのでは処置もない。
「歌うたい! 煙なんとかしろ」
怒鳴って思わず咳きこんだ。生ぬるい涙が頬をつたう。墓守が縛られたイスを引き寄せようと必死になっているのだが、暴れられては思うようにならない。とうとう横倒しにひっくり返してしまった。
墓守はじたばたと空中を蹴った。
「縄をほどいてくれ、早く、早く!」
「だいじょうぶだ、死なせやしないよ。すぐに助けてやるからおとなしくしてなって」
部屋に残った眠り薬のせいか、頭がぐらついた。咳と涙にむせびながら倒れたイスを引きずってゆく。ようやく入り口の煙が薄くなってきた。
よろめきながら戸口へ出ると、
恐慌状態におちいった男は、助けられたあともしばらく叫んでいた。歌うたいが袖をつかんで引っぱった。
「早く縄をほどこう、セキヤ」
セキヤは無視して、
「水」
と命じた。
ひとくちの水をやってなだめたあと、セキヤは瑠璃の目で墓守を見た。縄をといたとたんに逃げられたのでは困る。聞きたいことが色々あるのだ。