町番兵

 夜が明けると同時に、セキヤは歌うたいをともなって出発した。最初にするべきことは、暗示にかけてにせの死体を保管させた、あの役人に会うことだ。遺体の身元を確認にやってきた者はいたのか? その連中はうまく騙されてくれたのか? それを聞かなければ。
 あせりのためか、問題の役人を暗示に呼びこむのにひどく手間どった。四苦八苦してしとめると、あっけないほど簡単な返事がかえってきた。
「太ったハゲ男とがっしりした大男が来て、ドレスの切れ端と髪の毛を受け取った」
 と。
「そいつらはなにか言ってなかったかい? こんなはずはないとか、おかしいとかさ」
「いいや」
 役人はぼんやりと呟いた。
「ひどくびっくりしていたよ。髪の毛と服の切れっ端を見せたら、うなだれて帰っていった」
「ほんとうにそれだけ? 念のために死体を見せろとか言わなかった?」
「墓に花を捧げるんだとか……。埋めた場所を教えてやったら、そこへ行った」
「そんなところに埋めるなとか、掘り返して埋め直すとか、騒がなかったよな?」
「うん、うん」
 うなずきが返ってくると、安堵で力がぬけた。歌うたいと顔を見合わせていると、男はついでのように呟いた。
「だけど可哀想に」
 こういうときのつけ足しは、えてして本音が多い。癖のように社交辞令を言う者もあるが、そういう連中には特有のアクがある。いま目の前にいる男は、そのクチではないだろう。セキヤはあいづちをうってやった。
「そうだよ、可哀想だねえ」
「墓参りの帰りに追いはぎにあうなんてなあ」
「墓参り?」
 鋭く問い返したのは、歌うたいだった。
「墓参りに行った人たちがやられたの?」
「そうだよ。お金持ちの方は逃げたらしいけれど、護衛なんかずたずたにされて、財布からなんから全部はぎとられてねぇ」
「それでっ!?」
 気がつくと、とんでもない大声でわめいていた。
「金持ち男は、そのあとどこへ行った!?」
 役人はゆるゆると頭を振った。
「どうしてだろう。逃げたところを見たって墓守りが言うんだけれど、誰に聞いてもどこへ逃げたか分からないんだよ。それだけじゃない。どこの誰かもよく分からなくてねぇ。あんなにお金持ちだったのに。大きな店でも持ってるに違いないのに」
 セキヤは眉根を寄せた。
「店だって? 平民服を着ていたのか? こう、なんていうのか太った方は貴族っぽくなかったか? 護衛はそのお付き風じゃなかった? もういちど連中の人相を言ってみな、詳しく!」
 男はとつぜん泣き出した。
「なんであんたは怒るんだ? 怒られるのはキライだよ。大人はすぐに怒るんだから」
 セキヤは舌打ちした。あせりながら暗示をかけると、ろくなことがない。

 予想外のまわり道に、セキヤは苛立っていた。情報集めをおこたれば、目的を果たすどころか身が危うくなる。墓守りにも問いたださなければ。リュースを利用した男たちは、どんな風にして襲われたのか?
「セキヤ、だいじょうぶ?」
 転びそうになりながら歌うたいが尋ねた。セキヤがあんまり走るので、着いてこられなくなっているのだ。気づかうような言葉をかけるのは、うかつに休みたいとは言えないためだろう。
「おまえ、走れないならここで待ってろよ」
「魔女の約束は?」
 歌うたいを証人にたてるため、必ず同道させること。それが魔女の出した条件だ。セキヤは怒鳴った。
「時間がねえんだ! 急がないと手遅れになっちまう!」
 歌うたいは困ったふうでもなく、黙って見つめている。セキヤははっとした。
 この子供にはなんどもきつい言葉を投げている。苦しめたかったのだ。しかし、どんなに怒りつけても少しも傷ついた顔を見せてはくれなかった。しまいに感心したものだ。
(変に性根がすわってやがる)
 それは読み違いだった。
「楽しんでるな、畜生っ!」
 悔しさのあまり、涙が出そうだった。
「おまえもマジリだもんな、うっかりしてたよ! オイラが怒るのをわくわくしながら見てたんだ!」
 歌うたいの眉が、かんしゃくを起こしたように跳ねあがった。
「助けてあげようと思ったのに」
「なにをどう助けるってんだよ、のろま! オイラを助けたいなら早く走れよ!」
「三十分早く着いても、墓守りを思いどおりにするのに一時間かかる」
「だから急ぐんだろう!?」
「もう少しゆっくり走ったら、すぐに目が効くようにしてあげる」
「ええ?」
 走りすぎたのと興奮とで、肩で息をしながら聞き返すと、歌うたいは自分ののどを指さした。
「墓守りにこの声を聞かせる」
「なんだって? まさかおまえの声って、暗示にかける力があるの?」
 歌うたいは首を振った。
「すごくびっくりさせてやれる。ビクッとなって、一瞬だけ我を忘れる」
 セキヤはしばらく考えてから、
「そのテがあったか」
 と呟いた。
 暗示を効きやすくするため、よた話で警戒心をといたり、不意打ちで驚愕きょうがくを与えたり。そのプロセスがいつも問題だった。気持ちや時間に余裕があれば楽しめるのだが、急を要するとき、あせりがあるときは、わずらわしいの一語につきる。
「分かったよ。じゃあ少しゆっくり行くから、それをやってもらおうじゃないか」
 そう言って強く背中を押すと、歌うたいは口をとがらせて
「優しく」
 と抗議した。

 町はずれの共同墓地はそこそこきれいな場所だった。手入れが行き届いているとは言い難いが、荒れているわけでもない。しばらくまえに草刈りをしたらしく、てっぺんのちょん切れた雑草が肘から手首までの長さまで伸びている。
 リュースの身代わりにされた女は、そこに眠っていた。話によると、あのときの洪水で死んだ者たちと一緒に葬られたそうだ。身代わりの女がどこの誰かは分からなかったが、家族が生きていれば、そうとは知らずに花を手向けてくれたに違いない。
 野の花をそなえ簡単な祈りを捧げていると、不意に辺りの空気が変わるのが分かった。心臓がドキリと波打って、両肩があがる。
(見られてる!)
 だてに商隊の先見をしていたわけではない。盗賊団がすきを狙ってつけてくるときの、あの感触。いまの空気はまさにそのようなものだ。セキヤはキョロキョロしないようにして、注意深く瑠璃の目を利かせていった。
(二人組だな)
 奥の林の入り口に、町番兵――罪人の取り締まり役の格好をした男たちが、ひそんでいる。顔を正面へ向けてじっと視線を送っているのは、三十がらみの大男だ。二、三歩さがった場所には四十五、六の男が立っていた。のび放題のヒゲをしごきながら、しきりに後ろを気にしている。奥の暗がりに何かあるらしい。その仕草が持つニュアンスに思い当たると、セキヤはハッとした。
(あの振り向きかたは、仲間がいるな!)
 慌てて奥の方を注視したが、なにも見あたらない。男が振り返ったのは合図を送るためではなく、仲間のいる方角自体が気にかかるせいらしい。
 ――と、ヒゲの男が林の奥へ走りこんだ。仲間を呼びに行ったのだ。祈るふりを続けながら、セキヤは低く囁きかけた。
「歌うたい、今すぐここを逃げるぞ! 墓の出口までは何気ないふりで行く。ただしそのあとは全力で走れ、いいな?」
 小さな体がこわばった。恐怖のためか、返事もない。勢いよく背中を突いてやると、つんのめって墓標にぶつかりそうになった。
「さあ、終わったからメシにするぞ!」
 おおらかを装って声をあげる。見張り役の男が意を決したように林から出て、ずしずしと近づいて来るのが見えた。
(やばいぞ! どうしたらいいんだ?)
 とっさのことで、頭が回らない。本物かどうかは怪しいところだが、相手は町番兵なのだ。姿を見たとたんに逃げ出すのは、いかにもまずい。不審な奴だということになれば、追われる口実を作ってしまう。
 セキヤは町番兵に気づかないふりで歌うたいの手をとり、金を握らせた。
「ほら、おまえハラ減ってんだろう? 先に行ってこれで食いもん買って来い!」
 笑いかけながら、自分でも頬がこわばっているのが分かった。握った手を放し、必死になって目配せを送る。
(逃げろ! 墓の出口までゆっくり行くのはナシだ。転がるように走って行け!)
 暗い瞳がパッとあがったかと思うと、一瞬だけセキヤをとらえた。
「やったあ、ジャガイモベーコンだ!」
 かん高く叫んで、歌うたいは駆けだした。芸人だけあって、演技力はうわてのようだ。野太い声が背中を突いたのは、このときだった。
「おい、そこの墓参り」
 つばを飲みこんでから振り返る。汗の臭いがむっとして、鼻先に男の胸ぐらが迫ってきた。思わずあとずさりながらも、セキヤは確信した。
(やっぱりこいつ、にせ物だ!)
 胸の紋章が明らかに違う。形だけはそっくりまねているようだが、光沢が不自然だ。縫い直しの古着に、つややかな刺繍紋ししゅうもん。つけ足しだということは、素人目にも分かる。
(しがない町番の服に、絹の刺繍かよ。世間知らずの金持ち旦那が、三文芝居うってるみたいだぜ)
 領主交代のタイミングを狙って姫のかたりをでっちあげるなど、あまりにも大胆で、高度に政治的だと思っていた。どこかの館に悪魔のような切れ者がひそんでいて、新政をくつがえそうとしているのではないかと。そのような頭脳にかかったら、ごみクズのようなマジリや罪人を親に持つ髪切りなど、ひとたまりもない。だからこそ真剣に恐れてきたのだ。
 だがしかし――。
(そもそも領主の立場をどうこうしたいほどの権力者なら、町番くらい、いくらでも本物を調達できるんじゃないのか?)
 その疑問が頭をもたげると、すうっと熱がひくような感じがした。
(敵は確かに金持ちのようだが、最初に思っていたほどの力や頭は、持ち合わせがないのかも知れねえ)
 大胆なのではなく、緻密な計画を立てられないだけだとしたら。
 そう考えるそばから、別の可能性が囁きかけてくる。
(待てよ。ことが発覚したときに、町番を動かせるスジのもんだってバレるとやばいから、これみよがしにチンピラ使ってんのかな)
 たとえ怪しく感じられたとしても、町番兵の格好をした者に逆らうのは難しい。往来ならば本物を呼ぶ手も使えるだろうが、ひとけのない墓地においては不可能だ。
 あれこれ考えながら斜め歩きでへこへこしていると、大男の怒声が響いた。
「こら、墓参り。黙ってないで返事をしたらどうだ」
「かんべんしてよ、町番さん。オイラ怪しいもんじゃないよう」
 できるだけ体を縮めて、哀れっぽい声を出す。
「洪水で死んだ人の墓参りに来ただけなのに、なんで怒るんだい」
「おまえのようなよそ者が、なんで町の者の墓に来るんだ、ええっ?」
「だって、河を渡ろうとしたらあの騒ぎでさ。なりゆきでつい、手伝うことになったんだ。ウソだと思ったらみんなに聞いてみてよ。荷車で死体を運んだのは、本当なんだから」
 男はふんと言った。
「だったらなぜこの墓に参るんだ」
「エエ?」
「これは追いはぎにあって死んだ女の墓だぞ」
「そんなバカな。確かに洪水の人のだよ。新しい墓はこれしかないんだから」
「いいからちょっと来い!」
 あからさまな言いがかりだ。洪水の犠牲者とリュースの身代わりは、同じ場所に埋められているのだ。
「ちょっと待って! オイラなんにもしてないよ。どうしてっ!?」
 必死になって瑠璃の目を光らせたが、効き目がない。気迫で圧倒することはもちろん、ケチな野郎のふりで警戒心を解くこともできなかった。

 赤く焼けた手がのびてきて、襟首をわしづかみにした。凄まじい勢いでのどが締めつけられる。助けを呼ぶこともできず、息づまる苦しさに目をつぶりながら、セキヤはずるずると引きずられて行った。