救済小屋の夜

 薬臭い蒸気のしゅうしゅうと吹きあげる音で、セキヤは目を覚ました。ギョッとして跳ね起きると、それは火にかけたヤカンの音で、異臭がするのは薬を煎じているせいだった。向かいの寝台では、歌うたいが壁の方を向いて横たわっている。体にまきついた毛布が規則的にふくらんで、生きていると知れた。
 白いひげをまばらに生やした男が、入り口から顔を出した。その顔には見覚えがある。救済小屋の番人だ。
「おう、目が覚めたか」
 言いながら部屋に入ると、番人は外へ向かって
「坊さんはいらんよ!」
 と怒鳴った。セキヤは口を開けてあたりを見回した。
「あのう、オイラたちってどこにいたの?」
「どこって、窪地の吹き上げ口のところだろう?」
「どうして助かったんだろう」
 番人は笑った。
「そりゃ、あすこの煙は毒じゃないからさ。ちょっと気分が悪くなったりはするがね。ほんとうの毒は煙の色なんかついていないんだ。臭いも。煙から遠ざかればだいじょうぶと思って、吹き上げ口を避けながら進むのがいちばん危ない。知らない間にやられてパタリといくよ。綱が張ってあっただろう? なんであんなところに入った?」
 セキヤは頭をかいた。こういうとき、目覚めて最初に会うのが気さくな男であることは、心底ありがたかった。
「啼き物に襲われて、転がり落ちたんだ」
「やっぱりねえ」
「分かるの?」
「近くに砕けた岩があったからなあ。あの割れ方は啼き物のしわざだって、みんなで言ってたのさ。それにしてもあんたたち、来たとたんに二度も襲われるなんて、ずいぶんと好かれたもんだねえ」
「もうほんとに死ぬかと思ったよ!」
 その一言にすべての恐怖と緊張をこめて吐き出すと、すうっと体が楽になった。セキヤは向かいの寝台を見た。歌うたいは丸まって寝息を立てている。
「あいつはだいじょうぶ?」
「さっき粟粥あわがゆを食って寝たよ」
「さきにメシ食ったのかよ! 息が止まりかけたりしてさ、さんざん慌てさせたくせに!」
「んにゃあ、元気なもんだ」
 思わずチェッと言うと、番人は大口をあけて笑った。
「ならあんたにも粥を食わせてやろうかい。まだ金は持ってるか? それとも奉仕で支払うかね?」
 セキヤは自分の服をさぐった。金はある。桶いっぱいの山芋を掘ったり、川魚を釣ったりしているひまはない。すぐにも引き返し、リュースの無事を確認しなければ。魔女さがしの旅に出てからこっち、道中で半端にすませてしまったことといえば、あのことしかない。仕事はそこそこやる方だし、瑠璃の目のおかげで深いいざこざは起こさなかった。目指す場所は占い女ロシェナの店だ。リュースにそこへ行けと言ったのは、ほかならぬ自分だったから。
 すぐにも発ちたいところだが、おもてはすっかり陽が落ちて、異様なほどの暗さだった。この一帯は、雨の降らない夜に雨狼が出るので有名だ。湿原を深く浅く覆う水が、やっかいな魔物の群れを呼び寄せるのだという。窓から原野の闇に目をこらすと、十数匹単位の群れが三つも確認できた。いまここを横切れば命はない。セキヤはため息をついた。
「ほれ、メシを食いな」
 番人が皿を出してきた。
「ありがとさん」
 粥は薄かったが、口に入れればほっとする。
「ところであんた、これからどこへ行くのかい? 物見遊山だって、きのう言ってただろう?」
「うん?」
「お姫さまを見るなら、いまのうちかも知れないよ」
「ああ。いや、見ないよ」
「なんだ、見ないのかい。本物のお姫さまを見るより自慢になるかも知れないのになあ」
 口に運びかけたスプーンが思わずとまった。番人は喜々として話を続けている。
「ほんとかどうか知らないが、偽物だって話が出てね。あすあさってにも城の兵隊が確認に来るとかで、急に噂が持ちきりになったんだよ。お姫さまのかたりとなりゃあ、大罪人だ。めったに見られるもんじゃない。どうだい、自慢になるだろう?」
「ど、どこのお姫さまがかたりだって?」
「おや、あんたずいぶん驚いているね。きのう教えてやったじゃないか」
「ああ――」
 するとそれは、リュースではないだろう。分かっていたが、急にいても立ってもいられない気分になった。
(リュースはなんで利用された? 噴火の日から二年も経って、姫のかたりがポコポコ出るわけはなんだ?)
 あのときもっと考えればよかった。
 外の闇は深い。