拾い物

 河の氾濫はんらんはおさまっていたが、橋は落ちたままだった。修復のめどはたたず、渡し船ももう少し水流が緩やかにならなければ出すことかできないようだ。
「いつまで待たされんのかなあ」
 泥に濁ってうなる河を見ながら、セキヤはぼやいた。
「稼いでくる」
 と歌うたいは言った。
「おいおい、こんなとき歌に金払うバカなんかいるかい」
「拾うの」
「あ、そうか」
 水が引いたあとの地面には、古びた鍋やわけの分からない切れ端のような物が落ちている。まともな暮らし向きの人間には汚らしいゴミでしかないが、物乞い同然の者には財産にもなりうるのだろう。
「いいもの落ちてないかなあ」
 歌うたいは言いながら上流の方へ歩いていった。
「遠くへ行くんじゃないぞ。まだ危ないかも知れないんだからな」
 実際のところ、町役人が綱を張って近づかないようにしていたのをこっそりくぐってきたのだ。水量を見たらすぐに帰るつもりだった。
 濁流のうえを大だらいがもの凄い勢いで運ばれていく。意外ときれいな白いたらいだ。
(ちょっと儲かってるとこの娘が、水浴びに使ったりしたのかなあ)
 たらいは無傷で泳いでいる。女はどうなっただろう? 目の奥に丸い尻を持った後ろ姿がうかび、泥水に流されていった。黒い液体に柔らかな体が浮いて……。
「セキヤっ!! 大変!」
 金物をこするような叫び声で、空想は中断された。
「人が倒れてる! 女の人っ!!」
「え、女!?」
 足元の流木を飛びこえてセキヤは走った。河沿いに生えた低木の向こうに、しゃがみこんだ人影がちらちら動いている。
「生きてるのかっ!?」
 駆けよると、茂みのあいだに奇妙にねじれた格好で女がひとり倒れていた。唇をひくひくさせているところを見ると、息はあるらしい。着ている物が並はずれて高価なことは、ひとめで分かる。首や腕にチカチカ光る装飾品をつけていた。丸顔に白い肌、うす茶の巻き毛が枝のあちこちに引っかかって乱れている。地面に触れる部分以外は服が乾いているところを見ると、洪水で流されてきたのではないだろう。半ば泥沼となった茂みから助け起こすと、女はくもったうめき声をあげた。
「おいおい、姉さんしっかりしな」
 声をかけてから自分とさほど変わらない年だと気づいた。ひょっとすると少しばかり下かも知れないが。
「苦しい……助けて……」
「ほら、助けが来たぜ。目ェあけな」
 少しもがいてから開いた瞳の色を確認すると、心持ち緑がかった茶色だということが分かった。
「おいおい、まさかお姫様じゃないんだろうな」
 思わずつぶやくと、
「わたしはアデライテ姫ではありません……」
 と、弱々しい答えが返った。思いの外しゃんとしているようだ。セキヤは驚きながら
「まあそうだろうよ」
 と相づちをうった。歌うたいは黙っている。姫を見たことがあるという話だったし、なにも言わないところをみると疑いもなく別人なのだろう。
「この容姿のせいで、間違われました。お財布を取られてここに捨てられたんです」
「ふうん?」
 歌うたいが眉根をよせる。深く鈍い光が目の奥に宿った。
「変なの」
 娘の肩がびくりと動いた。
「で、あんたをどこへ送っていけばいいんだい?」
「わたしは、あそこ」
 のろのろと張り綱の向こう側を指さす。
「いや、それは分かってるんだけども。あそこのどっちなんだよ。あっち? こっち?」
「あそこのあっちって、どっち?」
 歌うたいがさし挿んだ。
「お前はいいから。姉さん、どっちなんだ」
「綱の外へ出してくれれば、あとは自分でなんとかしますから」
「このひと変」
「いいから歌うたいは黙ってな」
 助け起こして立入禁止の綱の外へ出してやると、娘は泣き出した。歌うたいが顔をのぞきこむ。
「お姉さんはどうしたの?」
「なんでもないのよ、チビちゃん」
 その言葉を聞くと、一瞬歌うたいは硬直した。娘は涙をぬぐった手を相手の肩にそっとおいてから、町はずれへ向かってよろめきながら歩いていった。
 後ろ姿を見送って、セキヤはつぶやいた。
「なんだろうな、あの女?」
 歌うたいは口を利かず、じっと遠くを見つめている。
「お前、なに考えてんだよ」
「あの人は変」
「そりゃあ変だわな」
「お財布とられたのに、首飾りも腕輪もつけてて、変」
「うん」
 あれほど裕福そうな娘が、どういう理由で洪水あとの薄汚れた河川敷をうろついていたのか? お供はいなかったのか? 物盗りにあったのなら、なぜ役人を呼べと言わなかったのか? あのような場所に連れ込まれ、ことによっては命すら危うい目に遭ったばかりなのに、しかるべき相手に家まで送って欲しいとも言わなかった。
「だからこそ関わり持たねえ方がいいんだよ」
 だがそのとき、歌うたいが頬をびくびくさせて、凄まじい声で叫んだ。
「セキヤ、さっきのお姉さんが悲鳴をあげてる!」
「え?」
「聞こえない? あっち、あっち!」
「あっちと言われても」
 セキヤには聞こえなかった。やむを得ず片目をつむって魔物の目で娘の去った方を見つめた。
 薄くもやがかかったような中に、女と二人の男が浮かぶ。女は両腕を前に突きだしてもがいている。それを羽交はがい締めにして口をふさいでいるのは、用心棒風の男だ。もう一人の男は頭の中央が禿げあがっていること以外、顔かたちがほとんど分からない。
「ちぇ、ほんとに襲われてやがるぜ」
 舌打ちをして歌うたいの方を見やると、恐怖と緊張で表情をなくしていた。
(助けるなんて気がすすまないんだが)
 複数の人間を一度に催眠状態に陥れることはできない。ひとりひとり警戒心を解いて安心させるか、恐怖に飲まれるよう仕掛けるか、いずれにしろ暗示にかかりやすい状態にもちこむことが必要だ。それはあまりに悠長な行程だった。
「セキヤ」
 とつぜん歌うたいが言った。
「走って行って『お役人さん、お役人さん』って叫ぶから、茂みの奥から『どうしたんだ』って怒鳴って」
「ええ? でも、ばれたらこっちまでやばいんだぜ。向こうは乱暴そうな男二人だしな。オイラの目玉は一瞬でたくさんの人間にいうこと利かせられるほどのもんじゃない」
 歌うたいはすでに走り出していた。
「バカッ、戻ってこい!」
 うろたえて叫んだが、もう遅い。こちらのいいわけは全く聞かれなかった。あとを追いながら
「待て、待て」
 と何度も呼ぶ。
「こうなったらしょうがねえや。いいか、ただ『お役人さん』というんじゃなく、バカのふりして『お姫様がいた』って怒鳴ってみろ。イチかバチかだ」
 分かったのか分からなかったのか、返事がない。一瞬ひやっとしたが、歌うたいはまっすぐそばまで駆けつけると
「お役人さん、お役人さん!」
 とわめいた。
「こっちだよ、早く! お姫様がさらわれちゃうよ!」
 さすがに歌をなりわいとするだけあって、凄まじいまでによく通る声だ。なにかしら聞く者をドキリとさせる響きがある。セキヤは張り綱をくぐって茂みの奥へ飛びこんだ。
「すぐ行くから待ってろ!」
 言うなり空へ向かって高く口笛を吹いた。緊急事態で仲間を呼ぶとき、役人はふつう呼び子を使う。口笛を吹いたのでは、いたずらに真似されて大変なことになるだろう。曲者がそこに気づいてからくりを見抜くか、焦るあまりそんなこともあるのだろうと思いこむか。頼みの綱は、この口笛が簡単には真似のできない特有の音色をもっていることだけだ。西の砂漠商隊で使われるもので、異様に響く。遠くの仲間を呼ぶための合図だということは、初めて聞く者にも分かるだろう。賭ではあった。
 禿げた方の男が飛びかかろうとすると、歌うたいは更に声をあげて「お姫様、お姫様」を連発した。
「お姫様がいるよ! お姫様がいるよ! みんな来てよ!」
 なぜそんな気になったのだろう? セキヤはふと、今にも茂みや道の向こうからたくさんの野次馬が詰めかけてくるような気がした。すぐそばの田舎家で農夫達が談笑をしていて、騒ぎを聞きつけるのをとうぜん知っているかのように。つい釣り込まれて
「オーイ、みんな、こっちだ!」
 と叫んだ。一瞬ではあったが、本気で誰かが自分に続いていると信じた。
 男達も同じことを感じたのだろうか。娘を離すと、すっ飛んで逃げていった。
 乱暴者の姿が完全に消えたのを確認して、セキヤは茂みから姿を現した。娘は地面に倒れてぐったりとしている。歌うたいがしきりに顔をのぞき込み、呼びかけていた。
「まさかやられちまったんじゃないよな?」
 言いながら確かめると、息はあるものの首に赤黒く指のあとがついている。セキヤは首をかしげた。
「殺すのが目的だとすると、今の連中、刃物をもってなかったんだな」
 あるいは狼藉ろうぜきをはたらくために気絶させたか。仕方がないので民家の方まで抱えていくことにした。
 しばらく行くと、ようやく水に浸されなかったわら小屋がみえてきた。
「ちょっとここに置いといて、誰か呼んでこよう」
 話しかけると歌うたいがこっくりした。小屋の中は泥と藁と動物の臭いがする。娘を横たえると、うめき声をあげて薄く目を開いた。
「気がついた」
「アー、見かけによらず頑丈な姉さんだな。大丈夫のか」
「助けてください」
 娘はかすれた声で言った。
「だから二回も助けてやったじゃないか。送ってくって言ったのに、マジリの親切を袖にしたバチが当たったんだ」
 こちらへ顔を向けると、娘の目には涙がたまっていた。
「マジリだから断ったわけじゃないの。わたし、誰にも見られてはいけないんです」
「そりゃまたなんで」
「服が……」
「服?」
「こんなに立派で」
「ああ」
「もとの貧乏人の服が欲しい」
 セキヤは唸った。
「最初に会ったときも思ったんだが、お姫様に似て見られることに随分こだわってるようだねえ」
 娘は黙って目をそらした。
「こだわっているというよりも、恐れているみたいだなあ」
 さいなむように続けると娘はわっと泣いてとりすがってきた。
「お願いだから見逃してください! わたし、何も知らなかったんです。自分がお姫様に似ているなんて、考えたこともなくて」
 首を絞められたのと興奮しているのとで変に赤黒い顔ではあったが、間近にするとみめ良い少女だ。苦しみを長引かせるために、
「ああ」
 とだけ言ってみた。
「ただ、あの人たちが綺麗な服を着せてくれるから夢中になってお嬢様ごっこをしていたら、姫が生きているという評判がパッと立ってしまったんです」
「うわさのかたりはあんたかい」
「かたってなんかいません! アデライテ姫だと名乗ったことは一度もないわ。ただ、いつの間にかだったんです、信じてください」
「おいおい、ちょっと待てよ。それじゃあ」
 さっきの男達も一味だったのだ。お尋ね者になってしまったので、口封じに娘を殺そうとしたのだろう。
「勘弁してくれよ。ご領主がらみの問題に首を突っ込むなんて、ごめんだぜ。へたすりゃこっちまで悪者にされちまう」
「そう思ったら見なかったことにしてください」
「うん」
 と、セキヤは言った。
「する。見なかったことに、する」
 歌うたいが異議を唱えるかと思って目をやったが、黙ったままだ。
「あの、それで……」
 娘は腕輪をはずして渡してよこした。次に首飾りもはずした。
「これを粗末な服と換えてきて欲しいの。腕輪か首飾りか、どちらか好きな方を二人にあげるから」
 下手をすると足がつきそうだ。少なくともこの領地内で売ったり交換したりすることは危険に思えた。横合いから歌うたいが腕を伸ばして首飾りをつかみとった。
「待ってて」
「あ、おい!」
「だいじょうぶ」
「そんな目立つものを交換に出したら怪しまれっちまうよ、戻ってきな! ことによったらまた髪切りが盗みを働いたなんて言われるぜ」
「ウーン」
 と、歌うたいは言った。セキヤはふところから相応の銅貨を出して与えた。町につくまえに稼いだ金だ。
「これで買ってきな。あいつらが戻ってくるといけねえから、なるたけ急いで」
「うん」
 歌うたいが駆けだしていくと、セキヤは娘の方を振り返った。
「姉さん、念のために聞いておくけど、あんたホントにただのお金持ちごっこだよな? 領内の後継者争いと関係したりしてねえよな?」
 娘は答えず青い顔をしている。
「そういうことに利用されたなんて言わねえよな?」
 唇のあいだから、ようやくかすれた答えが漏れた。
「違うと思います」
「断言できるか」
「難しいことは、わたし」
「違うと思う理由があるだろう」
「だって、わたしたちは都の方へは行ったことがないんです。田舎の町ばかり回って。偽物のお姫様をでっちあげるなら、もっと……たとえば……。なんだかうまく言えないわ」
「ああそうか」
 仮に城が噴火で壊滅したとしても、姫の顔を知った者がどこかに一人くらいはいるはずだ。あまりに馬鹿げた茶番ではある。やはりケチなかたりに利用されただけなのだろう。考えているととつぜん娘は、それに、と付け加えた。
「あの人たちはお姫様のお供のふりなんかしなくても、たくさんお金を持っていました。いい宿に泊まってお金もちゃんと払っていたし、献上品を受け取るどころか施しまでしていたんです」
「なんだそりゃあ! 初めから話せよ」
 
 娘の本名はリュースという。旅の途中で土砂崩れに襲われて生き残った、芸人一座のひとりだった。仲間を亡くして命からがら近くの町にたどり着いたときには、生きる手だては売娼しか残されていないと思ったという。
「それでもその町には、旅芸人や行商人のギルドがありました。もしどこかの座長がわたしを雇うと言ってくれたら、少しはましなことになります」
 リュースはギルドへ出向き、芸を披露した。軽業もひととおりはこなすが、あまり上手な方ではない。得意なのは滑稽口上こっけいこうじょうだ。貴族の令嬢に扮して出し物の口上を述べるのだが、立ち居振る舞いの品の良さには自信があった。もちろん滑稽口上というからには、見物人を笑わせなければならないのだが。
「小さいころからお姫様ごっこが好きだったの。話し方も身振りも、どうすればそれらしく見えるか一生懸命かんがえて練習したのよ。こうして話していても、大道芸人ふぜいには見えないと思うでしょう?」
 セキヤが素直にうなずくと、リュースはやっと笑った。
「日常生活でも、わたし、あまり下品にならないようにずっと気を配っていたわ。みんなは悪口をいったり意地悪をしてきたけれど。そうしていれば、いつか」
 言葉がとぎれた。よく見るとうつむいて唇をかんでいる。
「いつか?」
「ほんとうにどこかのお城から迎えが来るって。もちろん本気じゃないのよ。けれど、貧乏娘ってそんな空想が好きでしょう?」
 セキヤは眉根をよせた。
(空想の世界がひとつっきりの逃げ場だったわけか)
 おそらくは死んだ仲間というのも、優しい連中ではなかったのだ。
「そんなわけで得意の口上を一生懸命やったけれど、ギルドの親方はそんなものここではウケないよって。そのときわたしを拾ってくれたのがあの人たちだったんです」
「あんたを襲ってたあいつらかい? 旅のあいだじゅう令嬢を演じてくれって? まともに考えりゃ、そんなの妙じゃねえか」
「いえ、そうじゃないのよ」
 リュースは座り直して頬に残っていた涙のあとをぬぐった。
「ロバインさんの養女になって欲しいって言われたの」
「なに、養女だあ?」
 思わず大声を出した。
「ロバインってのはあいつらのうちの一人だな。ハゲか大男か」
「あのう、年輩のかたです」
「ハゲの方だな。で?」
「もう一人のボリットさんは護衛役で、わたしがロバインさんの亡くなった奥様にそっくりだからって。だけどその場で養女になれたわけじゃないんです。なんだか国へ帰って色々難しい手続が必要だとかって。国王様のお許しをいただくまでは正式な養女じゃないから、当分はお嬢様ごっこでいいかい、って言われました」
「んなバカな話があっかい」
「バカでしょうか?」
「バカじゃねえか!」
「バカでいいんです。そのときわたしは幸せでした」
「いいから続けなよ」
「ロバインさんは旅の途中で、新しく娘になったわたしにいろんな土地を見せてくれるって言いました。誓ってわたしは姫のかたりじゃないわ。だけど」
 小屋の外をぶち猫が一匹、音もたてずに通っていくのが見えた。リュースはうつむいた。
「なんだかよく分からないけれど、最近になって身の危険を感じるようになりました……。どうしてって聞かれても、うまく言えないのよ。何か虫が知らせたというのかしら。ゆうべ夜中に目を覚ましたら、急にハッとわたしは殺されるという考えが浮かんできて、それでボリットさんの剣を盗んで池に捨ててしまったの」
「それで奴らは、まだるっこしくあんたを絞めたわけだ」
 リュースはうなずいた。
「あんた自身はアデライテと名乗ったことはない。男達は何もしなくても金持ち。それでどうして、あんなことになったんだい」
「分かりません」
「じゃあ聞くけど、あんたはお嬢様ごっこのあいだ、なんて名乗ってたんだい?」
「ロバインさんが新しい名前をつけてくれたの。アデー嬢って」
「バカッ、そりゃ姫の愛称だ!」
「あの、似てるから素敵だと思って」
 セキヤは口の中でチェッと言った。
「歌うたいのやろう、とんでもねえもん拾いやがった」
 帰ってきたら、少しいじめよう。そう思っていると、歌うたいが戸口からひょっと顔を覗かせた。
「服を持ってきた」
 二人の様子をじっとうかがっている。
「どうした、入って来いよ」
「うん」
 ひとつきりの光源が細い体に遮られた。湿った藁小屋が隅までかげる。とても昼間とは思えない暗さだ。ざらしの木綿服をかかえて入ってくると、歌うたいは片腕を伸ばしてさっきくれてやった銅貨をすべて返してよこした。
「おいおい、どうしたんだよ」
「服、もらった」
「ただでかい」
「溺れた女の人の服が必要って言ったら、ただでいいって」
「溺れたことにしたのか?」
「この辺はたまに河があふれるから、そのときはお互いさま」
「ああ、なるほど」
 セキヤは目をしばたたいた。
「パンももらってきた。お姉さんに」
「ありがとう、チビちゃん」
 リュースは大麦のパンを受け取ると、深く息をついて長いこと見つめていた。
「お姉さん、体だいじょうぶ」
「ええ、なんとか」
「服、かえられる? 早く逃げた方がいい」
 矢継ぎ早に言って、歌うたいはセキヤをじっと見た。着替えるなら外へ出ようと言うのだろう。
「分かったわ」
 リュースが応じたので、二人は外へ出た。
 戸口を見張ることができる位置に落ち着くと、セキヤは相棒をめつけた。
「余計なことしやがって」
 歌うたいは困ったような顔をした。
「とんだやっかいごとに関わったって言ってるんだよ」
「ゴメン……」
「ゴメンで済みゃあいいけどよ」
「うん……」
 歌うたいはうつむいた。切られた髪が両の頬へ落ちてゆき、痩せた首があらわになる。
「なんだかよく分かんねえけど、こっちの身が危うくなりそうなややこしさなんだ」
「だけど」
「だけどじゃねえや!」
 セキヤは叫んで相手の顎をつかみあげた。歌うたいは目蓋をぴくぴくさせて、苦しそうにう、と言った。
「どうしてくれる」
 小さな肩がせわしなく呼吸をつむぐ。顎をつかまれながらもじっとして、次の展開に備えているようだ。目蓋を閉じているのは瑠璃の目を避けるために違いない。
(こいつ、相手の出方を待ってやがる)
 しばらく沈黙が続いたあとで、歌うたいはもういちど
「だけどセキヤ」
 と言った。
「セキヤはお姉さんを役人につきだせば、報奨金が手にはいると思う」
 セキヤは乱暴に息をつき、手を離した。
「それを言うかい」
 歌うたいはうつむいて咽をなでた。
「とにかく脱いだ服を処分したら、あの姉ちゃんとはおさらばだ」
「それならいっこだけいい考えがある」
「なんでえ言ってみろよ」
「向こうの茂み、河べりの木に溺れ死んだ女の人がひっかかってた」
「おう」
「あの立派な服を着せる」
「なに?」
「顔とか、水でふやけてよく分からなかった。もらった腕輪と首飾りをつけておく」
「いい考えだと言ってやりたいが、さっきまで生きてたもんがいきなりふやけた死体で出てくるかい」
「きょう見つからなければいい。何日もたってから見つかる。下流で」
「おいおい」
「ダメ?」
 思わず相手の顔をまじまじと見た。不幸な身の上を思えば、物盗りくらいはしたことがあるだろうと思っていた。しかし今のような考えは、あまりにも年齢に似合わない。牢死した親というのは、かなり年季の入った悪智恵だったのではないだろうか。
「その方法にゃ、ひとつだけ問題がある」
「どんな?」
 黒い瞳がきょんとした。この顔からさっきのような発想が出てくるのかと、セキヤは思った。
「手間ひまかけたからって、あの男どもに溺死した女のうわさが聞こえるとは限らない」
「ウン……」
 小さな頭がふたたび垂れる。
「なあ歌うたい、お前の目にはさっきのこと、どう見えたよ」
「にせの姫たち。でも仲間割れした」
 セキヤは少しのあいだ考えた。
「よく分からねえのが、最初に見つけたときなんで気絶してたのかだよな。あの連中、殺そうと思や、殺せたんだ」
 さきほどの妙な告白といい、これ以上かかわらない方がいいのは目に見えている。男達の正体や目的が知りたくはあるが、好奇心は禁物だ。
「悪漢に襲われた令嬢を助けて、泥だらけになった服をとり替えてさしあげた。それだけで済ませた方がいいよな」
「さっきの人がまたお姉さんを捕まえて、洋服をどこで替えたのか聞き出したら? 口封じにこっちまで殺しに来たりしない?」
「嫌なことを言うなよ」
 とは言ったものの、にわかに不安になった。あの男達がただのチンピラであるならとっくに逃げているだろう。しかし、リュースの言い分によればかなりの金持ちらしいのだ。庶民などの想像も及ばない陰謀があるかも知れない。状況が逼迫ひっぱくしている以上、見た者関わった者すべての口をふさぐ方向に流れたとしても、不自然ではなかった。そうなるとマジリと髪切りの組み合わせは確かに目立ちすぎる。渡し船に乗ったりすれば、行き先は旅人なぞ滅多に来ない辺鄙へんぴな土地だし、すぐに見つかってしまうだろう。
(確かに一番いいのは役人に知らせることなんだ)
 触れ書きの姫にそっくりな娘を見かけました。暴漢に襲われていたので助けたら、ひどく怪しげなようすじゃあありませんか。念のため知らせておいた方がいいかと思いましてね、と。
(そしたらあの女のもの凄い悲鳴だとか怖がってる顔だとか、けっこう楽しめるかなあ)
 見たい気持ちと可哀想だという気持ちが、背骨の中でぐるぐる回る。あまりに激しいせめぎ合いなので、ときどき息が詰まる。セキヤは頭を振った。
(それはだめだ)
 霊山の魔女は大の男嫌い。女をいじめた者の願いは聞かれない。どんなに誤魔化しても猫のような金色の目で見つめられれば、全ての過去を見透かされてしまうという。
(霊山の魔女に会うまでは死ねない)
 小細工をして余計な危険にさらされるか、なにも起こりようがないとたかをくくるか。決めかねていると小屋からリュースが出てきた。まだ少し苦しそうにしている。
「どうもありがとう」
 農民服を身につけた姿は、そのへんの娘と少しも変わらない。
(少しのあいだだけかくまうか)
 いつまで? 河一本向こうに挟んだキシエに行くまで? 行ったあとこの娘が捕まって、歌うたいの言うとおりのことが起こったら? 魔物の血のおかげで体力的にはかなり恵まれているが、立ち回りが専門なわけではない。太った禿げ男だけならともかく、あの頑丈そうな大男と二人がかりは問題だ。痩せっぽっちの案内人も足手まといになる。さんざん迷ったあげく、セキヤは歌うたいの顔を見た。
「お前の考えを採用しようじゃないか」