同道者

 芸人の中でも歌を主とする者を、この地方では口ずさみという。セキヤはまだ聞いたことはないが、他国の領主が用事のついでにお忍びで聞きにくるほどみごとな歌いっぷりらしい。助けた子供はその口ずさみだというので、セキヤは金のかわりに歌をうたえと言った。いくら芸がうまくても、あからさまに親兄弟が罪人ですというなりをして、稼ぎがあるとは思えなかったのだ。しかし少年は強情だった。プイと飛びだしていったかと思うと、すっかり陽が落ちたあとで銅貨を一枚持ってきた。稼いだというよりは、ほとんど物乞いであったかも知れない。
「うけとれねえよ、バカ」
 とセキヤは言った。
「うけとって欲しい」
「ダメ。これ持ってとっとと帰れ」
「帰る場所がないからムリ」
「なに言ってやんでえ!」
 怒鳴って思わず口を抑えた。少年はなにを思ったかニッとした。
「マジリは優しい。マジリは宝」
 不覚にもセキヤは赤面した。しまったと思ったときにはもう遅い。耳の先まで熱くなっているのが分かった。
「優しくねえよ、ふざけんな!」
 大人げなく銅貨をひったくったあとで、今度は首が熱く感じられる。芸人の子は眉根をよせてこちらを見つめている。
「おまえ、名前なんてんだよ」
「歌うたい」
「ふざけんな」
「それが名前」
「あのなあ」
「本当にそういう名前だから」
「あ、そう」
 言ってしまったあとに起こった軽い沈黙が、心をかきたてる。
(まずいぞ、これは)
 どうやら惚れてしまったらしい。薄められた魔物の血が、暗い者、虐げられた者に惹きつけられてしまうことは、ままある。マジリが意外なほど惚れっぽいのもそのためだ。もっとも人間の言うような“惚れる”とは少し違い、老若男女いずれにも感じてしまう。相手の苦しそうなようすを間近に見たいという欲望から起こるのだ。そのくせ人間の方の血に振り回されて親切にしてしまったりもするから、ときどき自分でもわけが分からなくなる。気がつくと
「おまえ寝る場所あんのかよ」
 と口走っていた。
「昼のうちにみっけた場所がある」
「どんな」
「軒下」
「寒いだろ!」
 セキヤは怒鳴った。
「いいからちょっとうえへあがって寝な。あんまりいい部屋じゃないが、オイラがちょっと目くばせいれりゃあ、ベッドだってスープだってなんだって持ってきてもらえんだい。……というのはまあ、嘘だけどな。あんまりあれこれ言うこと聞かせようとすると、そのうちこの目も利かなくなってくる。だけど新しい藁束わらたばとスープくらいならなんとかなるよ」
 言って片目をつむり右の瑠璃色を見せると、歌うたいは声をたてて笑った。
「ありがとう。あんた名前は」
「セキヤ」
 答えると歌うたいは美しい芸人風のおじぎをした。
(こいつなんだか品があるな)
 思いのほか複雑な事情で下層階級に転落したのかも知れない。繊細そうな顔立ちだし、辛い身の上話のひとつでもさせれば、泣き顔くらい拝ませてくれそうだ。慰めるふりをして抱きしめるところを想像するのは楽しかった。相手が驚いて逃れようとしたところで問題はない。瞳の瑠璃を見せればすむことだ。
(あーあ、そこで負の感情を食うことができればなあ)
 しみじみ思う。それができたらどんなに楽しいだろう?
 目の力を使って身の上話をさせたのでは、ぼんやりした表情しか拝めない。あれこれ策を練るのは面白くももどかしくもある。段取りをあれこれ考えていると、足音が階段をあがってきて、扉が開いた。
「セキヤ、役人がしたに来てる」
 夢を覚まされたような気がしたが、相手が当の歌うたいでは仕方がない。
「役人? なんで?」
「人探しだって」
「まさかおメェがお尋ね者ってんじゃねえだろうな」
「違う。それは親。髪を切られて罰は終わった」
「アー、そうか……」
 セキヤはのろのろと戸口へ近寄っていった。
「盗みかな? ケンカかな? まさか殺しじゃねえよな」
「誘拐だって」
「へえー、誘拐!」
 素直に驚いた。色恋や金がもとのいざこざは想像できても、このような田舎町で知能犯とは意外なことだ。興味を覚えて外へ出ようとすると、役人達の重い靴音が階段を昇ってきた。どうやらうえの部屋から順に調べるつもりらしい。後ろから帳場の男がおずおずと顔を覗かせている。
「屋根裏にいるのは、この二人に間違いないか」
 役人は顎でしゃくって尋ねた。
「はい、それに違いありません」
「マジリとアル族か。よし、お前たちはいい。全部の調べがすむまで部屋にじっとして、出るんじゃないぞ」
 男達は体の割に軽い身のこなしできびすを返そうとした。セキヤは慌てて呼びとめた。
「あ、お役人さん」
「なんだ」
「ほら、泊まり客の顔を拝むだけじゃなく、これこれの人相のやつを見かけなかったかとか、聞かないのかい?」
「ああ」
 役人は笑った。
「こんな町に紛れこんだらかなり目立っちまうから、いるわけもないと思うんだが、いちおう役目なんでな。行方不明のアデライテ姫とその付き人を探している」
「なんだ、誘拐じゃなかったのか」
 呟いたとき、気のせいか歌うたいの背中がビクリと動いたように思えた。役人はついでのように触れ書きを取り出すと、芝居がかった手つきで広げて見せた。
「アデライテ姫は御年十六歳、アノイ領主バルシュタイン公の一人娘である」
「へえ」
 セキヤは軽く唸ると
「アノイ領てえのは、雨で氾濫した河の向こうっ側だったかい?」
 と尋ね返して歌うたいのようすを見た。これから行こうとしているキシエ村が、ちょうどアノイ領にあたるのだ。ひょっとすると歌うたいはそちらからやって来たのかもしれない。キシエの奇妙なうわさ話について、詳しく知っているかも知れなかった。役人は答えるかわりに咳払いを聞かせた。
「国王の遠戚で白い肌に薄茶の巻き毛。瞳の色も同じであるが、ときに緑がかって見えることもあるそうだ」
 触れ書きは続いた。簡単に言えば『一昨年の噴火のおり、二人の付き人が姫君を避難させようとして城から連れ出し、そのまま行方不明になった』ということらしい。
「おととしの話なのかい?」
 セキヤは思わず聞き返した。
「他国から来たんじゃ知らないのも無理はないが、この辺では有名な話だ。姫は公ともども亡くなられたものと思っていたんだが、半年前にそれらしき方々を見かけたといううわさが相次いでな」
「他人のそら似か、かたりじゃないの? お姫様のふりをするとちやほやされるからとかさ」
「まあそうだろうな」
 役人は笑った。
「しかし偽物という証拠がない以上は、頭からかたりと決めつけるわけにもいくまい。こうして大騒ぎをしてやれば小心者はおそれおののいて、くだらんお姫様ごっこはやめるだろうさ」
 セキヤは大笑いをした。さすがは田舎の知能犯と役人だと思ったのだ。
 役人達が満足気に触れ書きをしまいこみ、階下へ足を運んでいくと、再び呟かずにはいられなかった。
「どうもここは調子が狂う」
 マジリと罪人の子などという取り合わせでは、何もしなくとも嫌がらせを受けるに違いないと思ったのだが。
 扉のそばで、歌うたいが物思いに耽ったようにぼんやりと階段の方を見ている。
「寒くないのか。入れよ」
 声をかけるとひと呼吸おくれて
「うん」
 と言った。部屋に入ってくる背中をさり気なく押す。とがった肩胛骨がてのひらに当たった。セキヤは覗きこんで尋ねた。
「なあお前、なんか暗くなってないか?」
「うん……」
 自分でも気がつかないうちに、舌が勝手に唇を湿らせていた。
「今の話で、なんかあったのか?」
 歌うたいはしばらく考えていたが、やがてポツンと
「アデライテ姫は美人だった」
 と答えた。
「え、なんで知ってるの?」
「歌を聴かせたことがある。祭りの日には芸人はみんな集まって芸を売る。領主様はいつも広場の観覧席で御覧になる。おととしは姫も一緒だった。そのとき見かけた」
「へえ。それじゃあ、そのときはまだ公の御前で歌えるくらいだから、お前の親も牢屋には入れられてなかったんだな」
 歌うたいは黙って見あげた。硬い表情が、心の暗い部分を揺さぶった。
「親は死んだ」
 期待以上だ。誰がなんと言っても楽しい。同情を装って尋ねてみる。
「死罪になったのか?」
「火山の爆発で死んだ」
「ああ……。牢屋の中じゃあ、逃げられないもんな」
 不意に歌うたいは声をたてて笑った。セキヤは意表を突かれて黙りこんだ。
「ねえセキヤ。あの爆発では、ほんとうにみんな死んだよ。牢屋にいてもいなくても、お城に住んでいてもいなくても。領主様だって死んだんだからね。いま、役人が姫のかたりを探していると言っていたけれど、本物が見つかったりしたら大変なことになるよ」
「なんで? めでたいんじゃないの?」
「かたりだったら首をはねて終わればいい。でも本物は困る。せっかく決まりかけたアノイ領の統治権が、姫に移ってしまうから」
(ああ、そうか)
 この国では女が直接拝領地を治めることはできないが、次の統治者を決める権利はあるはずだ。姫が婿をとったり、お気に入りの伯父や従兄弟を指名したりして、政治が動くことはあるだろう。納得しながらも、セキヤはつい口走っていた。
「お前、頭いいな。ちょっと興醒めだぜ」
「なんの興?」
「気にするな。それじゃお前は、本物だろうと偽物だろうとお構いなしに、あの役人達がお姫様ご一行を殺そうとしていると思うんだな?」
「ううん」
 歌うたいの眉が煙った。
「そこまでは分からない。難しすぎる」
「だろうな」
 新しく運んでもらった毛布をパタパタいわせて、セキヤは言った。
「ガキの頭で国の行く末なんか心配したって、しかたがないぜ。そんなことよりお前がアノイを知っているなら聞きたいことがあるんだ。キシエ村の変なうわさを知らないか?」
「変ってどの変?」
「色んな変だよ」
「よく分からない。あの村には変が多すぎる」
「たとえば山がないのに霊山だと言われているとかさ」
「それは変」
「いや、まあそうなんだけれども。あと何か、毒の窪地から生きて帰った娘が霊山の魔女に会ったとかなんとか。そういう話を聞きたいんだ」
「そんな話だれに聞いたの」
「ちょいと向こうっかわの、太ったお役人が言っていたよ」
「変な役人だねえ」
「なんかお前、身も蓋もないぜその言い方は。あの村にたくさん変なことがあるって言ったよな? お前の知っている変な話を、残らず教えちゃあくれないか」
「てっきりあそこに住んでいた魔物の話かと思ったんだけれど、違うの」
「ええと、魔物まで住んでるのか? なんだかややこしい所なんだな。霊山の魔女に関係ありそうか?」
「オレインは変な魔物だったってことしか知らない」
「どんな魔物なんだ」
「オレインがいなくなると山が爆発するっていう話があった」
「へえ! そりゃ確かに変わってるわな。まさか二年前にその魔物がいなくなったから噴火が起こったなんていうんじゃないよな?」
「二年前に領主様がオレインを殺したから、霊山が怒ったって」
「え、え? ちょっと待てよ。霊山が怒ったっていうのは、噴火したのは霊山だったって意味か?」
 歌うたいは首をふった。
「それは分からない」
 しばらく考えてからセキヤは言った。
「噴火したのは何山なんだ」
「イガルド山」
 イガルドというのは明らかに侵略者──国王側の言葉だろう。
「お前たちの言葉でなんて呼ばれてた?」
「イェネポ山」
 セキヤはすぐに地図を出して広げた。切り立った崖に阻まれて、実際に行こうとすればずいぶん回り道をしなければならないが、イェネポ山はキシエの窪地のほとんど隣りにあるようなものだ。ついでに言うと領主の城がある都からも、さほど遠くはない。噴火の規模がどの程度だったのか想像もつかないが、これが火を噴けば都もただでは済まなかったろう。
「どうしてこんな火山の近くなんかに、城を構えたんだろうなあ」
 と、セキヤは呟いた。
「あの山は火山じゃなかった」
「え?」
「あのときまでは誰も火山だなんて思わなかった。オレインが死んだら火の山になった」
「…………」
 考え込んでいると、歌うたいが
「ね、変でしょう?」
 と尋ねかけてニコリとした。

 なんとなく身の上話の機会を逸したまま夜が明けると、味気ない気分に襲われた。歌うたいは洗いざらしの毛布にくるまって、藁束のうえにちょんと眠っている。
(イモ虫みてえだな)
 そう思ったとたん、本当に虫のようにもぞもぞと動いた。頭のうえまでかぶった毛布の中から、痩せた腕が伸びる。しばらく枕元をまさぐって、やがてずるずると引っ込んでいった。
「おい、おい」
 セキヤは言った。
「おまえ寝坊だな。そろそろ起きろよ。オイラ腹へってんだ」
 歌うたいは毛布にもぐったまま、
「朝ゴハン?」
 と眠そうに答えた。
「食べさせてもらえるかな?」
「食わせてもらえるだろうさ」
「お金は?」
「払ってやるよ。ただしお前がキシエの窪地に連れてってくれるならな」
「案内料ってこと?」
「まあそうだな。売れるかどうか分からない歌うたって稼ぐよりも、割に合うだろ。食いっぱぐれがないし」
「セキヤは何をして稼ぐ人?」
「うん?」
「せっかくくっついて行っても、セキヤが食いっぱぐれたんじゃあ仕方ないし」
 それまで毛布の中でしゃべっていた歌うたいが、急にバサッと顔を出してこちらを見つめた。
「かっぱらいの手伝いをさせられるのも困る。髪切りが盗みなんかやると、罰が厳しくなるから」
「髪切りってお前みたいののこと? 咎人の家族ってこと?」
「ここではそう言う」
「そんなんじゃねえよ。まあどちらかってえとヤクザの部類になるのかも知れねえけど、商隊の先見をやったりしてさ。分かる?」
「荷物の番人?」
「荷物というより、オイラこっちの目が」
 セキヤは片目をつむって瑠璃色の方だけ見せてやった。
「他より見えるんだ。山賊や、普通なら見えない魔物が潜んでいるのが分かるんだな。だからまあ、用心棒の使い走りみたいなもんでさ。隊列の先を走るんだ、斥候みたいに。しくじったら真っ先にやられるけど」
「ふうん」
 歌うたいはそれ以上きかなかった。窓からスズメの声が入ってくる。セキヤは尋ねた。
「お前は?」
「うん?」
「お前の親ってなにやってた?」
「仕事? それとも悪事?」
 思わず咳払いをする。その合間に次のセリフを考えなければならない。
「両方だよ」
「仕事は山の森の番人。悪事はやってない」
「エ?」
「無実の罪だった」
 つい唾を飲みこんだ。
「あの、なんの濡れ衣で?」
 歌うたいは沈黙した。半分ふせた目蓋のしたで、瞳の色がかげっている。
「それは教えない。知らなくてもキシエには着ける」
「ああ……、うん」
 楽しんでいるのを気取られないようにしながらセキヤは促した。
「メシ食いに行こうや」
 歌うたいはこっくりした。
(なにがなんでも、身の上を吐かせてやるんだ)