旅芸人

 この国でなんとなく避けられつつも、これほどたくさんのマジリが暮らしていけるのにはわけがある。人口の七割近くを占める北方民族の土着信仰のためだ。霊山の魔女と呼ばれている者は、古くは聖女であった。
 言い伝えによれば聖女は山に捨てられた病人や老人をあわれみ、天の国で幸せになれるよう光の道を作ってくれるそうだ。魔界の入り口が開かないよう命がけで守ってもいたが、あるとき病に伏して入り口が開いてしまった。魔物たちは喜んで外へ出た。しかし山の霊力に閉じこめられて力を存分にふるうことができず、聖女と魔物は互いににらみ合って身動きがとれなくなったという。そのとき和解の策として出されたのが、人間と魔物を交わらせ、その子を里で大事に育てることだった。
 聖と魔を同時に祭ることで世界の均衡を保つ。かなり特殊な信仰といえる。しかし北の民族はこの世にマジリが機嫌よく生きている限り、魔界の入り口は二度と開かないと信じている。マジリは魔であると同時に、聖なる受難者だった。
 実際のところ、南西から今の国王の祖先が攻め入って支配を決めるまでのあいだ、マジリは祈祷師・占い師として大事にされてきた。奇妙な術を使って村中の娘や若者をとりこにしたり、小悪党に力を貸してつまらないいたずらをすることもあったが、子供じみた者が多い。ちやほやすると「魔界の力を見せてやる」という優越感から施しをしたり狼退治をしたりと、重宝だ。魔物の血をひきながら彼らがこのように人なつこい存在であるのは、ひとえに霊山の聖女さま──今は魔女と呼ばれているが──の加護のおかげ。それが悪名高い北方信仰の正体なのだった。

「だからあんた、オイラを大事にしなよ」
 マジリの少年が宿帳場の親爺に向かって言っていた。
「伝説じゃあ、オイラたちをいじめると魔界の扉が開くんだぜ」
 目を細めてあいまいな笑みを見せると、それまで眉間にたてじわを寄せて睨んでいた男の表情がぼうっとなる。
「ああ、いや……」
 力の抜けたような返事がかえった。
「部屋がないっていうのは本当なんだ。なにしろ大雨でこのさきの河が洪水になっててね……」
 説明しながら帳場の親爺は眠気覚ましのように何度も頭を振った。
「あさ出ていったお客さんが昼ころごっそり戻ってきたんだよ……。屋根裏……、ウン、そこしかあていないよ」
「そこでいいんだ。オイラは人なつこいマジリだからさ」
「うん、うん」
 こくこく頷くと親爺は宿帳を差し出した。
「字は書けるか」
「面倒だから書けないことにしとく」
「名前、なんていう?」
「セキヤ」
「それだけか?」
「マジリには苗字がないよ」
「可哀想になあ……」
 ぼんやり言って男はペンを動かした。幻惑術にかかった者がつけたしのように添える言葉は、えてして本音が多い。聞こえないように舌打ちをすると、セキヤは案内にしたがって屋根裏部屋へあがっていった。
 大雨があがってから間もなくのせいだろうか。ところどころ雨もりのあとがある。床だけではなくわらの寝床のうえにも、大きな染みがあり、全体がじっとりと冷たい。
「あのおっちゃん、見かけによらず正直だったぜ」
 セキヤは呟いた。
「てっきりオイラを邪魔にして門前ばらい食わそうとしてると思ったんだけどな」
 床の乾いた場所を探しあてると厚めの敷物を出す。せいぜい体を縮めて横になるほどの広さしかないのだが、特殊な魔力がこめられていて、雨にあたっても濡れず火に投げ込んでも燃えはしない。一枚あれば役に立つ。毛布はちょっと降りていって部屋係の女にうふんという顔をさせればすむことだ。
 小窓から鼻を突き出すようにして、セキヤは雨あがりの匂いをかいだ。木や土や石の体臭を含んで、空気は甘い。うっとりしていると、にわかに階下が騒がしくなった。
「なんだ?」
 部屋を出て階段のうえから首を伸ばすと、男達の怒声をかいくぐるようにして弱々しい声が、
「違います、違います」
 と言うのが聞こえた。他の客とあまり顔を合わせたくはなかったが、セキヤは思い切って階段を半分ほど降りていき、手すりから身を乗り出してのぞいてみた。
 やせ衰えた小さな体が、二人の男に両側から抑えつけられている。顔は見えないが、まだ子供なのだろう。これから斬首でもされるかのように頭を低くたれて、泣いているようだった。粗雑に切られた黒髪のしたから、細い首がのぞいている。薄暗い宿帳場の中でそこだけが光をはらんでいるような白さは、ひと目で焼きついた。セキヤはつばを飲んだ。のどの動く音が耳の奥に鈍く響く。
(どんな子供なんだろう?)
 あの折れそうな首のうえについている顔を見てみたい。
「おメェが盗んだんだよ」
「違う」
「出せ! 盗ったもんをここに出しなって言ってるんだよ!」
「違う、違う。盗んでません」
「強情なガキだよなあ、こいつ」
(なんでえ盗っ人か)
 つまらない展開だ。もっと面白いものを期待していたのだが。そう思いながらも、泣き顔を見たい誘惑にかられて、ゆっくりと階段を降りていった。髭面ひげづらの男がわめき散らした。
「別に嫌なら出させる必要はねえよ! 服を調べりゃ、どっかから出てくらあな」
 とたんにそれまで首をたれてめそめそ泣いていた子供が顔をあげて、凄まじい叫び声をあげた。ほとんど断末魔のようで、さすがに驚かずにはいられない。とりものはちょうど階段の昇り口で行われており、セキヤは盗っ人少年の顔を正面から見ることになった。
 うなだれていたときの印象とは対照的に、意志の強そうな顔立ちだ。眉間からこめかみへかけて乱れのない黒い眉が一直線にのびている。そのしたにのぞく眼は確かに濡れているが、見るものを刺すような気迫があった。
(キレイなのは嬉しいが、こいつあんがい常習犯なのかも知れねえ。泣きも演技で本物じゃないかも知れねえや)
 セキヤはがっかりした。演技の苦しみなど、見てもたいして面白くはない。それに思ったほどには幼くもないようだ。どう見ても十二、三か。ろくに食べられなかったために、小さく育ってしまったのだろう。
 あたりをビリビリさせるような叫び声は、まだ続いていた。
(なんだこいつの声……。背中に食いこみやがる)
 ぶるっと体を震わせると、セキヤは音をたてて二段ぬかしに階段を降りた。男達は盗っ人の上着をはごうとしているところだ。
「ちょっと待てよ」
 セキヤは言って正面に躍り出ると、少年の胸を強く突いた。
「調べるあいだじゅうこんな声でわめかれたんじゃあ、たまんねえや。おい、おまえ。ちょっとこっち見な」
 首に手をかけ、もう一方の手で顎をあげる。触れた首の感触はやっぱり細くて、ぞくぞくした。
「いい子だから……いい子だから……」
 声を低めてなでるように言う。右目に心を集中して瑠璃色をゆっくり光らせてやる。相手はうっとうなった。
「おまえ、こんなことしてちゃあダメだろう? 盗んだ物を出せよ、な?」
「う、う」
 少年は涙を流し、きつく目をつむって何度も頭を振っている。気丈な固さの中にも感じやすい繊細さが入り混じって、複雑な苦悶の表情だ。綺麗な人間はこれが楽しい。セキヤはかさねて言った。
「強情はったって、調べりゃすぐばれるんだからさ。よけいに痛い目みたかあないだろ? な?」
 できるだけ優しく言ったが、だめだった。目の前の小さな体は何度も体をよじり首を振ったかと思うと、やがて弱々しく、
「盗んでいません」
 と答えた。周囲の緊張がいっせいに引くのが分かった。セキヤの方が戸惑ったくらいだ。思わず顔をあげて見回すと、宿泊客たちはもう何が起こったか分かったというようすでいる。
「盗んでねえとさ」
「盗んでねえのか」
 とり抑え役をしていた男の一方は舌打ちをし、一方はため息をついて体をはなした。そのせいで少年が腰紐に小さな鈴や笛袋をゆわえつけているのがやっと分かった。どうやら大道芸人の子であるらしい。
 荷物を盗まれたらしい男が肩をつかんできた。
「おう、マジリの兄ちゃんよ。アンタその術で、ここにいる全員に誰が盗んだか聞いてみちゃくれねえか」
「エ、そんなこと言ってもさ」
 帳場の親爺があわてて止めにはいった。
「そんな、お客さん。ここにいる方々は、みんなうちのお客さんなんですから、泥棒の疑いをかけるのはごかんべんを」
 男は舌打ちをした。食事場の方へ行こうとして未練そうに振り返り、もう一度ねだるように言った。
「なあ、ちょちょっとやってもらえんもんかなあ?」
 セキヤは首をすくめた。

 人が散ると思わずつぶやかずにはいられなかった。
「どうもここは調子が狂うなあ」
 人間たちが好意的すぎる。生まれ故郷にはなかったことだ。さきほどの野次馬たちのなかには、セキヤが魔法を使ってもめ事をおさめたのでほっとした、という表情の者すら見受けられた。考え込んでいると、濡れ衣を着せられそうになった少年が袖をひっぱっている。セキヤは我にかえって相手の顔を改めて見た。
「どうもありがとう」
「ああ、うん」
「とても助かって」
「分かった分かった。もう行きな」
「お礼がしたい」
「ええ、お礼?」
 我ながら頓狂とんきょうな声をたてたものだと思う。
「マジリのオイラにお礼かい?」
「マジリは守り人。宝」
「ハ」
 言葉につまった。この地方に昔こうした信仰があったことは知っている。しかし今はすっかり侵略者に染められて、マジリを正面から聖なる客人あつかいする者はいないはずだ。黙っていると少年はすっと片腕を横に出し、この地方特有の芸人風の礼をしてみせた。
「ちょっと稼いでくる。少しだけどお金を払う」
「ああ、いいよいいよ、そんなのは。そんなことよりおまえ、仲間のところへでも帰んな。心配してるかも知れねえぞ」
 不意に芸人の子は頭をあげ、前を見すえて言い切った。
「仲間はいない」
「え」
「この国でこういう風に髪を切られるっていうことは」
 言いながら自分の髪をなでて見せると、少しだけ笑った。
「罪人の子ってことだから」