尋ね人
足を早めながら、マジリは口の中で繰り返していた。
「キシエ、オルル、それから……」
あとはすべて探し終わったところだ。
湿気を帯びた冷たい空気が顔に吹きつける。前髪が躍ると瞳の中に細く暗い影がなんども通りすぎた。年の割には小柄な体が、しなやかに人混みをぬけてゆく。そのさまはどことなく軽業師を思わせた。角を曲がって目のまえに丸く低い山が見えはじめると、マジリは立ち止まった。
「どっちを先に探そうか?」
国境へ入って、もう随分になる。忌み手使いの魔女が住む霊山というのは、どこにあるのか? さんざん探し回ってたどりついた結論は、誰も知らないというのは本当らしいということだけだった。
「ムリもねえわな」
マジリはひとりごちて近くの井戸端にしゃがみこみ、地図を広げた。
「オルルはここか」
言いながら指でなぞる。地図にはいくつものバツ印がついていた。古くから霊山と呼ばれる山、最近になって学者が本物の霊山だと騒ぎだした山、あとはなにやらそれらしい伝説や昔話の残っている山だ。マジリは頭にかむった布をとって、髪をかきあげた。大きくとがった耳の先があらわになる。水くみをしていた女が逃げていった。それを見ながらふんと言う。
(悪だくみに力を貸して欲しいときにゃあ、目をギラつかせてすり寄ってくるくせしやがって)
それをうっとおしいと思いつつも、つい可愛くなってしまうのが魔性の血だ。ときどき目のまえにいる老若男女すべての人間を食べたくなって困った。と言っても、マジリにはそれを実行にうつすことはできない。負の感情を吸いとって糧 にする力を、親からほとんど継いでいないためだ。人の暗い目や苦しむさまを見るとぞくぞくと嬉しいけれども、魔力をもたないいじけた人間と同程度の楽しみでしかない。心身に栄養をとりいれるには、やはり口から飲食物をとるしかないのだった。
「なんだ? キシエの村には山がないのか?」
ひしゃくですくって水を口に運びながら、マジリは呟いた。山のかわりにあるのは大きな窪地 で、求めているものとは反対だ。
「ウーン、こいつあ」
「おい兄ちゃん、どいちゃくれんかね」
だみ声が響く。見あげると、太った役人がぶっとふくれてつっ立っているのが目に入った。マジリはしゃがんだまま大人しく道をあけてやった。
「なあおっちゃん」
「なんだ?」
「キシエの窪地ってのは、捨て子の場所なのかい?」
「キシエの窪地?」
「くぼんでるくせに、霊山だってうわさがあるってねえ」
「そんなたわけた話は聞いたことがないな」
「だから病人老人子供の捨て場所かと思ってさ」
「ああ」
役人はあいまいに答えた。
「たしかにこの国で霊山とか呼ばれているのは、みいんなそういう所だからなあ。くぼんでいようとでっぱっていようと、人捨ての場所ならここが霊山だと言いはるかも知れねえや。しかし兄ちゃん、あんた見たとこ魔界の血をひいているようだが、魔界の入り口を探そうてんなら、そいつあムリだぜ。んなことがマジリにできんなら、とうの昔に魔界の入り口とやらが開いているはずだからね」
マジリは笑った。
「おっちゃん伝説を信じちゃいないね?」
「ああ、信じてないね。ここにゃ、やたらとマジリが多い。それというのも貧乏だからさ。貧乏人は神様にすがるのが嫌んなっちまって、魔の者と契約したがるんだ。あしたのパンとスープのためによ。ついでにちょっとやっちまうってワケだ。で、結果マジリのガキがわんさか現れて、それを見たよその連中は『あのけしからん国にゃ、魔界の入り口がある』とかなんとか。おっと……、こいつあ言い過ぎだ。兄ちゃん悪かったね」
マジリはしばらく何も言わなかった。
「なあアンタ。貧乏人はパンごときのついでに、魔物とちょっとやっちまうって、いま言ったよなあ?」
男は慌ててとびのいた。
「そこまで言ってねえよ」
「言ったよ。だけどそういう切ない貧乏ってもんを、アンタはどんだけ分かってるんだい?」
「こいつは悪かった」
役人は水を飲み終わったひしゃくを大きく振ると、もとへ戻した。
「俺はマジリのことがそんなに嫌いじゃない。袖のしたが大好きな木っ端役人だからな」
「なんだ、アンタも貧乏なのか」
「…………」
マジリは立ちあがった。
「魔界の入り口に興味なんかないんだ。オイラが探しているのはその番人、霊山の女あるじだよ」
「霊山の魔女に会いたいのか」
役人は口をあいて考えていたが、やがて尋ねた。
「魔法が使えるはずのマジリでも、魔女に願いをかなえてもらいたいもんかい?」
「そういうことだってある」
「どんな願い」
「女だよ」
「ははあ」
役人はいったん笑いかけてから、眉根を寄せて考えこむようすになった。
「霊山のナントカなんてもんが本当にいるのか知らんがよう。いたとしても、よしたがいいと思うな。きっとロクなことにならんだろう。ありゃ、ふつうの魔法使いじゃないって話だ」
「忌み手を使うってんだろ。ふつうじゃないから探すのさ」
あたりまえの話をしただけなのだが、マジリの口調はぶっきらぼうになっている。役人は一瞬おやという顔をしたが、軽い調子に戻ってあとを続けた。
「おうよ、つまり見返りはアレだろ。魂とかそんなもんを取られちまったりするんだろう? 女くらいふつうの方法で振り向かせたらいいじゃあねえか、男だろうがよ」
「ふつうの方法なんてありゃあしないよ。……オイラのあのコに限ってはね」
「おいおい! 霊山の魔女は人の願い事を食い物にするって、聞いたことねえのか? 願い事ってのはほれ、希望のことだぜ兄ちゃん。なにも女ひとりのために」
マジリはつとまぶたを伏せ、立ちあがって井戸から離れようとした。役人はおしゃべりを中断し、ぱくんと口を開けたまま見送ろうとしたが、急になにかを思いついたらしい。慌てて腕をのばすと、引きとめにかかってきた。
「待ちな兄ちゃん。キシエについては、ひとつだけ聞いたことがある」
「なに?」
「問題の窪地は毒ガスが噴きあげるんで、カラスも寄りつかないって話をさ。だからいらなくなった人間を捨てるにはちょうどいい。でだ、ええと」
目の薄くなったらしい老婆がよろよろと近づいてくるのが見えた。男は話のさきを急いだ。
「たしかあすこのうわさ話じゃ、毒ガスの窪地に捨てられて死なずに帰ってきた娘が、霊山の魔女に迎え入れられたはずだ」
マジリは軽く手をあげて、
「どうもありがと」
と言った。
(オルルの山の方が、ここからはずっと近い。だけど)
次に行くのはキシエにしよう。麻布をかぶり直して、マジリの少年はそう決めた。
「キシエ、オルル、それから……」
あとはすべて探し終わったところだ。
湿気を帯びた冷たい空気が顔に吹きつける。前髪が躍ると瞳の中に細く暗い影がなんども通りすぎた。年の割には小柄な体が、しなやかに人混みをぬけてゆく。そのさまはどことなく軽業師を思わせた。角を曲がって目のまえに丸く低い山が見えはじめると、マジリは立ち止まった。
「どっちを先に探そうか?」
国境へ入って、もう随分になる。忌み手使いの魔女が住む霊山というのは、どこにあるのか? さんざん探し回ってたどりついた結論は、誰も知らないというのは本当らしいということだけだった。
「ムリもねえわな」
マジリはひとりごちて近くの井戸端にしゃがみこみ、地図を広げた。
「オルルはここか」
言いながら指でなぞる。地図にはいくつものバツ印がついていた。古くから霊山と呼ばれる山、最近になって学者が本物の霊山だと騒ぎだした山、あとはなにやらそれらしい伝説や昔話の残っている山だ。マジリは頭にかむった布をとって、髪をかきあげた。大きくとがった耳の先があらわになる。水くみをしていた女が逃げていった。それを見ながらふんと言う。
(悪だくみに力を貸して欲しいときにゃあ、目をギラつかせてすり寄ってくるくせしやがって)
それをうっとおしいと思いつつも、つい可愛くなってしまうのが魔性の血だ。ときどき目のまえにいる老若男女すべての人間を食べたくなって困った。と言っても、マジリにはそれを実行にうつすことはできない。負の感情を吸いとって
「なんだ? キシエの村には山がないのか?」
ひしゃくですくって水を口に運びながら、マジリは呟いた。山のかわりにあるのは大きな
「ウーン、こいつあ」
「おい兄ちゃん、どいちゃくれんかね」
だみ声が響く。見あげると、太った役人がぶっとふくれてつっ立っているのが目に入った。マジリはしゃがんだまま大人しく道をあけてやった。
「なあおっちゃん」
「なんだ?」
「キシエの窪地ってのは、捨て子の場所なのかい?」
「キシエの窪地?」
「くぼんでるくせに、霊山だってうわさがあるってねえ」
「そんなたわけた話は聞いたことがないな」
「だから病人老人子供の捨て場所かと思ってさ」
「ああ」
役人はあいまいに答えた。
「たしかにこの国で霊山とか呼ばれているのは、みいんなそういう所だからなあ。くぼんでいようとでっぱっていようと、人捨ての場所ならここが霊山だと言いはるかも知れねえや。しかし兄ちゃん、あんた見たとこ魔界の血をひいているようだが、魔界の入り口を探そうてんなら、そいつあムリだぜ。んなことがマジリにできんなら、とうの昔に魔界の入り口とやらが開いているはずだからね」
マジリは笑った。
「おっちゃん伝説を信じちゃいないね?」
「ああ、信じてないね。ここにゃ、やたらとマジリが多い。それというのも貧乏だからさ。貧乏人は神様にすがるのが嫌んなっちまって、魔の者と契約したがるんだ。あしたのパンとスープのためによ。ついでにちょっとやっちまうってワケだ。で、結果マジリのガキがわんさか現れて、それを見たよその連中は『あのけしからん国にゃ、魔界の入り口がある』とかなんとか。おっと……、こいつあ言い過ぎだ。兄ちゃん悪かったね」
マジリはしばらく何も言わなかった。
「なあアンタ。貧乏人はパンごときのついでに、魔物とちょっとやっちまうって、いま言ったよなあ?」
男は慌ててとびのいた。
「そこまで言ってねえよ」
「言ったよ。だけどそういう切ない貧乏ってもんを、アンタはどんだけ分かってるんだい?」
「こいつは悪かった」
役人は水を飲み終わったひしゃくを大きく振ると、もとへ戻した。
「俺はマジリのことがそんなに嫌いじゃない。袖のしたが大好きな木っ端役人だからな」
「なんだ、アンタも貧乏なのか」
「…………」
マジリは立ちあがった。
「魔界の入り口に興味なんかないんだ。オイラが探しているのはその番人、霊山の女あるじだよ」
「霊山の魔女に会いたいのか」
役人は口をあいて考えていたが、やがて尋ねた。
「魔法が使えるはずのマジリでも、魔女に願いをかなえてもらいたいもんかい?」
「そういうことだってある」
「どんな願い」
「女だよ」
「ははあ」
役人はいったん笑いかけてから、眉根を寄せて考えこむようすになった。
「霊山のナントカなんてもんが本当にいるのか知らんがよう。いたとしても、よしたがいいと思うな。きっとロクなことにならんだろう。ありゃ、ふつうの魔法使いじゃないって話だ」
「忌み手を使うってんだろ。ふつうじゃないから探すのさ」
あたりまえの話をしただけなのだが、マジリの口調はぶっきらぼうになっている。役人は一瞬おやという顔をしたが、軽い調子に戻ってあとを続けた。
「おうよ、つまり見返りはアレだろ。魂とかそんなもんを取られちまったりするんだろう? 女くらいふつうの方法で振り向かせたらいいじゃあねえか、男だろうがよ」
「ふつうの方法なんてありゃあしないよ。……オイラのあのコに限ってはね」
「おいおい! 霊山の魔女は人の願い事を食い物にするって、聞いたことねえのか? 願い事ってのはほれ、希望のことだぜ兄ちゃん。なにも女ひとりのために」
マジリはつとまぶたを伏せ、立ちあがって井戸から離れようとした。役人はおしゃべりを中断し、ぱくんと口を開けたまま見送ろうとしたが、急になにかを思いついたらしい。慌てて腕をのばすと、引きとめにかかってきた。
「待ちな兄ちゃん。キシエについては、ひとつだけ聞いたことがある」
「なに?」
「問題の窪地は毒ガスが噴きあげるんで、カラスも寄りつかないって話をさ。だからいらなくなった人間を捨てるにはちょうどいい。でだ、ええと」
目の薄くなったらしい老婆がよろよろと近づいてくるのが見えた。男は話のさきを急いだ。
「たしかあすこのうわさ話じゃ、毒ガスの窪地に捨てられて死なずに帰ってきた娘が、霊山の魔女に迎え入れられたはずだ」
マジリは軽く手をあげて、
「どうもありがと」
と言った。
(オルルの山の方が、ここからはずっと近い。だけど)
次に行くのはキシエにしよう。麻布をかぶり直して、マジリの少年はそう決めた。