| 叩く音・本編 || サイトトップ || 小説目次 | エッセイ目次 | ブログ目次 |
作品裏話

 お化け屋敷に住むということ

【ほんのちょっぴりの実話】
『叩く音』という作品、クライマックスからラストにかけての展開は、もちろん大嘘と思ってもらいたい。
 しかしわたしは、実際に「何かがとり憑いている」と噂される部屋に十年ほど住んでいたことがある。発想のもとはそのときの体験だ。
「出る」と言わず、「何かが憑く」と表現されるところがミソである。幽霊を見た人は誰もいない。
 ただ、そこに住む人々が不幸になるというジンクスはあったらしい。
 引っ越してきたときには根拠なく、
「奥さんに逃げられた男が子供を連れてやって来る」
 と噂され、出ていくときには、
「今度も家族がバラバラになったのかと思った」
 と言われた。面と向かって、
「あんたのウチ、出るんだって?」
 と言われるよりもむっとしたものだ。
 お化け屋敷と呼ばれる家に住む人は、近所づきあいでいわれのない疎外を押しつけられることがある。そこが実話なのだ。ラスト一行、
『あの家にどんなお化けが住んでいたのか、わたしは知らない。』
というのは実感である。作中で幽霊の履歴を語らなかったのは、そのためだ。

 せっかくだから、怪談めいた話もつけ加えておく。噂にまでなるような部屋というのは、幽霊目撃談がないまでも、わきをかためるエピソードが細やかなものだ。

【陰気な部屋だった】
 ただそれだけだ。
 しかし、生活の場が陰の気にまみれているというのは、それだけでも異様な重圧感があるものだ。辛気くさい家になどずーっと住んでいると、ふだんは、
「人生楽ありゃ苦もあるさ」
 と言える場面で、
「どうしてこうなっちゃうのよ、もう嫌よ! この家に来てから何もかも滅茶苦茶よ!」
 という気分になるときがある。
 うっかりこれを愚痴ると、たまに、
「知り合いに霊能者がいるから、お払いしなさい」
 などというような輩がすり寄ってくる。

【叩く音】
 本編では「扉を」叩くような音ということになっているが、実際には金属を打ち合わせてエコーをかけたような音が毎夜響いた。仮にあれが霊の仕業だとすると、騒霊(ポルターガイストのこと)とはよく言ったものである。恐怖の情緒などはかけらもない。ただひたすらにやかましい。
 順応性が高いとすぐ慣れる。なんだかよく分からないけれど、音がする以上どこかに音源があるんだろう、といった調子だった。安眠妨害に本気で怒っていたのはわたしだけのようだ。
 ちなみに「寝つきが良すぎて」母が十年間騒音に気がつかなかった、というのは本当の話だったりする。恐るべし母親族。幽霊も出る幕がない。

【……開けて……開けて……】
 問題の家に住んで間もなく、夢の中で幽霊が窓の外にやって来てこういうことを言った。
 同情して窓ごしに話しかけたりはしたが、
「祟りどころは他にあるだろう」
 と思ったので、開けてやらなかった。

【書かなかったエピソード】
 妹がよく金縛りにあっていたらしい。少しくらい同情すればいいのに、
「金縛りなんて寝てりゃ治る」
 とか言って、相手にしなかった。
「からだ動かないならムリに動かなさなきゃいいじゃん。罰金とられるわけじゃなし」
 あんなビビってたのに、いま考えると可哀想なことした……。

【人魂】
 テレビなどでは大きな燃える火の玉が飛んでいるが、伯父の話によるとそうではないらしい。暗闇で空気がキラキラ光るのだそうだ。
 昔の農村(話によると、昭和二十年代に当たる)などは、月や星がないと本当に何も見えない深い闇になった。空気がチラッと光る程度の明かりでも、隣の山から見えたというから凄い。このときは燐光目撃談が相次ぎ、現場付近から行方不明者の遺体が見つかったという。
 骨に含まれる燐が風に巻きあげられて発光するのだからあんな大きな火の玉になるわけがなく、「空気が光る」「光る粉が舞う」と表現するのが正解だという。蛍の光が死者の魂にたとえられるのもうなずけると思った。
 余談になるが、自然葬をすすめる会というのがある。骨を海に沈めたり、焼き場の灰を山にまいたりする、あれだ。
「死んだら骨を砕いて土にまいて欲しい」
 という会員のために資金を出し合って土地を買いあげ、散骨をしたところ、付近住民から
「人魂が飛ぶ!」
 と苦情がきたそうな。

【本当に怖かったこと】
 この文章を読んで、「於來見沙キは人一倍恐がりだ」と感じる人はいないと思う。
 しかしわたしは、見せ物小屋のちゃちなお化け屋敷にさえ一歩も足を踏み入れられないくらい恐がりだ。そうでなくては怪奇物なんか書けない。何も怖いものがない人に「怖いもの見たさ」の心理が分かるだろうか。
 人間は本当に怖いものを見ないようにできていると、わたしはつねづね思う。何かが憑くなどと言われる家に住んで平気だった理由は、たぶん怖かったからだ。

 実際そのころ、家にはあまりいいことが起こらなかった。幽霊なんか信じなかったが、みんな陰気な部屋を出たいと思っていた。そのとき母が、
「引っ越し代金なんてどこにあるのよ」
 と言い放ったのが、実は一番怖かったのだ。
「馬鹿ねえ、幽霊なんているわけないでしょ」
 とは、言ってくれなかったから。
 祟りを信じないから引っ越さないというならともかく、お金がないからというのは見方と状況によっては凄い。

 もしもここが本当にお化け屋敷だったとする。
 越してくる前は、家族はみんな元気で仲良しだった。メンバーも誰ひとり欠けてはいなかった。
 なのにいつの間にか精神病で一人減り、失踪して一人減り、自殺で一人減って、最後の一人はいま、末期ガンの宣告を受けている。
 隣の住人が気の毒そうに、ここの家は何かあるよ。前に住んでた太田さんも、その前の久保さんも、家族は全員まともに命を終えなかったんだよ。出た方がいいよ。と言う。
 そのとき死期の迫った最後の一人が
「それでも引っ越すお金がないんです……」
 と呟いて、すっかり広くなってしまった家の真ん中に、ぽつんと座り続けていたら。

 わたしはその方が怖いと思う。

叩く音・本編 || サイトトップ || 小説目次 | エッセイ目次 | ブログ目次
© Copyright 2001 Misato Oki