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月花散るとき 番外編
《なぎ》の花・1
 ずいぶんと昔のはなしになるが、この町に忌み手使いが来たことがあったよ。
 おまえさんは魔法使いを見たことがあるかい? おや、あるのかい。で、どんなだった? まじないで病気を治したり、占いで失せ物を探していたって? そりゃあ普通の魔法使いだなあ。
 どうしたんだい、そんなに笑って。
 ははあ。忌み手使いってのはただのおとぎ話だろうって、そう思ってるんだな。魔物に姿を変えたり、雨雲を呼んだり、そこまでのもんはインチキに違いないって。だいいち忌み手として禁じられるような、そんなおっかない魔法を使う奴が現れたら、こんなちっぽけな町はとっくの昔に焼き払われるか、疫病で滅びていたに違いない、ってね。
 言いたいことは分かるよ。俺だって昔はそう思っていたからなあ。
 だけどまあ、考えてみろよ。やろうと思えばひどいことができるからって、そんな律儀にひどいことをしなくちゃならないもんかね? ちょっと足もと見てみなよ。いま、俺とおまえさんのあいだには、ずいぶん大きな石が落ちているなあ。おまえさんがこいつを拾って手に入れるとしよう。その気になればジジイになりかけた俺の頭をかち割って、殺せるはずだ。
 なんだい、また笑って。こんなしょぼくれた男なんぞ殺しても、なんの得にもなりゃしない。殴ったって疲れるだけだし、あとあと面倒だって? ふふう!
 忌み手使いだって同じことさ。こんなちっぽけな町に悪さなんかしても、なんの得にもなりゃしない。疲れるうえにあとの始末が面倒なだけだろう。

 まだ子供だったころ、ひとつとんでとなりの家に、そりゃ可哀想な姉《あね》さまが住んでたことがあった。細面《ほそおもて》の顔にほつれた前髪をこう垂《た》らして、いつも泣いていた。
 なんで泣いてたかって? 親爺が酒飲みだったのさ。お袋さんが生きてるときはまだましだったのかも知れんがねえ。その家からは、毎晩のように怒鳴り声やら女の悲鳴やら子供の泣き声やらがして、そりゃそりゃ大変なもんだった。お袋さんはよく顔を腫らしていたよ。お袋さんが死んだら、こんどはその姉さまさ。
 酒の飲み代は、縫い物やら洗濯やらでお袋さまと姉さまが稼いでいたらしい。そこの家には、子供がたくさんいてね。まいにち親爺の顔色をうかがって、ビクビクしながら暮らしていた。いちばん上の姉さまと、ほかの子供はずいぶん歳が離れていると思ったら、お袋さんが後添《のちぞ》いだったとさ。だからといって、酒飲み親爺が子供を差別したとも思えんがね。連れ子も実の子も、いじめどおしだったから。
 お袋さんはよく働いたよ。俺のお袋の話ではな、
「よく働いて酒代を稼がにゃ、娘を売りとばされる」
 って、そればっかり心配していたらしい。姉さまは、たいしたべっぴんだったからね。
 おお、俺がその姉さまに惚れとったかと聞くんだねえ? そりゃ、惚れとったさ。優しい女だったもんなあ。

 あのころ、俺のお袋はどういうわけか長患いにやられてなあ。なにをやっても治らんかった。あんたの言うような、まじないの魔法使いにも診てもらったよ。だけどどうにもいけないんだね。
 別に死んだわけではねえぞ。うつる病気でもなかったぞ。けど、ガキってのはいい加減で残酷なもんさ。手前《てめえ》の食ってるもんはお袋が作ったもんだが、うちで食ってるもんは俺が作ったもんだ。手前《てめえ》の袖口を縫ってくれるのはお袋だが、こっちは窓のそばに立って、自分でちまちま針を動かしてる。たったそれだけのことで、さんざんバカにするんだよ。うちには姉さまがいなかったし、妹はまだ四つだったからなあ? どう考えたって、お袋の代わりは俺だろう。外に出て仕事をするといっても、使い走りがせいぜいだからな。
 ほれ、さっきおまえさんが戸口で立ち話をしていた、白目のでっかいハゲ男がいただろう? あいつなんぞは、とんだ性悪ガキだったよ。
 弟の奴がなあ、俺が苦労して縫いつけてやった肘のつぎあてを、こうしていじくってたわけよ。俺は縫い物なんか慣れとらんから、ひどく不格好なつぎあてでな、つい気になってさわってたんだろう。それをさんざんからかったあげく、むしっちまった。
 俺が怒ってつっかかっていくと、ごめんごめんとしおらしくしてな、
「悪いことをしたから、うちのおっ母あに頼んで縫ってやる。そんならいいだろう」
 と言うんだ。お袋が病気になるまではそんな意地悪なんかなくて、お互い仲良くしていた相手だったから、コロリとだまされた。
 奴はほころびたところをみんな直してやるからと言って、俺らきょうだいの上半分をぜんぶ脱がせてな。
「ちょっと待ってれ」
 って外に立たせておいて、近所のガキどもを呼んできた。半分裸のまんま、俺らきょうだいは見せ物にされてはやし立てられたんだ。秋口の風の強い日だったな。陽の光はあったんだが、上着をとられたのは辛かった。
 それだけじゃねえ。返ってきた上着を見たら、ひとつ残らず袖がちぎられていたんだよ。それを見ても、親爺はなにも言わなかった。あいつの親爺に使われる身分だったし、なによりも……いやいや、そっちの話は関係ねえや。とにかく色々と弱みがあってな。
 いつも針を握っている女ならともかく、ついこのあいだまで匙《さじ》しか持ったことのねえ十二、三の男ガキにとっちゃあ、ちぎれた袖をもと通りにするっていうのは、気の遠くなるような仕事だった。俺ぁ、お袋を悲しませたくなくてね。頼めば苦しい体を起こして直してくれたかも知れねえが、弟たちに口止めをして、自分でなんとかしようとしたのさ。
 で、縫ってみたんだが、あれは袖じゃねえな。ぐさぐさに崩れた糸にぶらさがった、ただのボロきれよ。大きくあいたすきまから秋風があたって、寒いなんてもんじゃねえ。切れちまったかと思うくらいに、肩が痛かったよ。それでもお袋に見つからないようにと思って、だれも来ない崖下の木に隠れて、半泣きしながら弟の袖をつくろってた。
 問題の姉さまが通りかかったのは、そのときだったんだ。どうやら酒を買いにやらされたらしい。額のところを真っ黒に腫らしてな。酒瓶が冷たいらしくて、ときどき立ち止まって肘にはさんでは、両手をこすりこすりしてよ。背中を丸めながらも、小走りだった。一刻も早く酒を持っていかねえと、どんな目にあわされるか分からんかったから。
 俺も半分泣いていたけど、姉さまも泣いていた。それなのに俺に気づくと、パタッと立ち止まったんだ。
 俺は照れくさくてむこうを向いた。早く行ってくれと思ったな。それで上着を丸めて針を隠して、チラチラ振り返っていたら、なにを思ったんだかツツツ、と寄ってくるじゃねえか。で、そっと肩をたたいて言うわけよ。
「そんな小さい手で袖なんか縫って、大変でしょう」
 って。自分だって、たいした大きい手じゃないのになあ?
 そいでもって、
「ほら、わたしに貸してごらん。こんなのすぐに仕上げてあげるんだから」
 って袖のちぎれた服をとりあげていった。
 俺は聞いたよ。
「早く行かないと、また殴られるんだろう?」
 そしたらほっぺたに流れた涙も乾かないうちから、こう、ニコッとして……。
「早く行ってもたたかれるんだもの、おんなじだわ」
 俺が姉さまに惚れたのは、そのときよ。

 いくら縫い物になれてるって言っても、やっぱり三人分つくろうのはそれなりに時間だよ。案の定、その日のせっかんはひどかった。今にも死ぬかと思うような悲鳴がガンガンあたりに響いてな、俺はこらえ切れなくなって、こっそり親爺に話した。親爺は黙って出て行ったかと思うと、酔っぱらい野郎にちびっと酒代を握らせて、黙らせたみたいだ。酒を飲むと暴れる奴なんだから、よく考えると変なんだが。
 それでも俺は、姉さまに感謝された。
「どうもありがとう」
 って、青い顔して救いの神みたいにこっちを見てな。俺のせいでよけい殴られたってえのに、あの目の痛かったこと。
 それからあとも、姉さまは酒飲み野郎にいじめられどおしだった。

 たった一度だけ、俺もあの野郎に酒代をくれてやったことがある。忘れもしねえ、どうにかいっちょうまえに働き出して、親方から初めての給金をもらったときだ。こう見えても俺、指先が器用でね。細工職人に弟子入りしたわけ。なんてこたあねえ、姉さまにきれいな髪飾りのひとつもくれてやりたかったのさ。家にはそんな金なかったから、なら自分で作ってやろうかいって、いま考えりゃあバカな魂胆だった。それが今じゃあ弟子とりなんかしているわけだから、世の中わからんわな。
 酒飲み親爺の奴、
「これでかんべんして、殴らないでくれ」
 って小遣いを握らせてやったら、腹立たしいほどペコペコしたっけなあ。
「これで好いた女を助けてやれる」
 って、少うし有頂天になった。
 そんとき俺を怒ったのは、お袋だった。
「あんた、そんなことしてごらん。あのろくでなしは金が欲しくなると娘を殴るようになるよ。あんたに悲鳴を聞かせるように殴るよ」
 ろくでなしはどこまで行ってもろくでなしさ、とね。
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