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風土記系競作 「祝」
花降り巫女
 晴れたことなど一度でもあるものかと言いたげな曇天の真下に四、五人の女と火傷だらけの体を晒した男が一人、立っていた。視線の先には果てまで広がる草深い痩せ地があり、山がポツンと見えるばかりだ。
 二年と半年もの間、若い男をキの戦に取られ、力仕事に頼みのない小さな村はただでさえ疲弊に漂っていた。原野の奥に佇む一ツ山が前触れなく炎をあげて村を襲ったのはそんな折で、さほど若くはないという理由で戦に取られずにいた男達も、命はあったが酷い怪我だ。

 村人は一様にねずみ色の襤褸ぼろいだ服をまとい、一人は子を連れている。
 芯まで冷えた腕を母の肘に巻きつけて子は口を開いた。
「母ちゃん、腹減ったよ」
 一杯に見開かれた瞳は涙ぐんでいたが、
「我慢しな」
 見向きもせずに応じた母の声はり削った石のようだ。こもった風のがあとを追うようにして通り過ぎると、一同の視線は自然とそちらの方―― 一ツ山へと集まった。
 乾いて黒ずんだ顔の女が心細げに口を開く。
「御一ツ山は村を飢え死にさせないよね?」
 ――と、それまで腕組みをしていた若い女がハッと笑いを吐き捨てた。
「言っても無駄だよ。三百年前に汚いキの奴らが村を分捕ぶんどった時だって、御山おやまは知らんふりだった」
 その途端、空気に食いつかれでもしたかのように村人達がピリッと動きを止めた。
 薄くなりかけた目をしょぼしょぼ擦って老婆が呟く。
「ナリュ、お前みたいなもんがいるから御一ツ山が怒って火を噴いたのかねえ? 守って欲しけりゃ贈りもんをせんとな」
 ねっとり横目をやって意味ありげに続けた。
「お前が用意すると言うなら結構だがね」
 ナリュは黙った。

 草の波に洗われながら一ツ山は静かだ。髪一筋の煙もない。
 火を噴く前夜もそうだった。たった二日の怒りのあと、月が十四回の満ち欠けを繰り返す間も、今と変わらぬ姿なのだ。

 自らの手の冷たさを頬に押しつけて子供は空を仰いだ。
「御一ツ様が食べ物降らしてくんないかなあ。一口食べたら腹一杯になる花って、いつ降るの?」
 それを聞くといかにも頭の悪そうな小娘が水汲み桶を手にしたまま、そっとかがみ込んでいった。
「ねえウルウ、あたいも同じこと聞いたけどさ……御一ツ山の花施しは新しい祭り巫女が選ばれた時だけなんだって」
「なんで? イーシェ」
「知らないのか、小僧」
 不意によく通る男の声が響いた。
 村の者がぎょっと振り向くと、日に焼けた顔に白い歯を見せ、異国風の趣を漂わせた都人が、荷車牛と従者をあとにして近づいてくるところだった。見事な剛弓つよゆみを携え、矢筒は金属の美しさを放っている。
「特別な祝いの贈り物だからだ」
「黙れ!」
 村男が怒鳴った。足を引きずりながら大きく肩を揺らし、必死のさまで詰め寄っていく。
「何しに来やがった? これ以上てめえらにくれてやる食いもんなんぞごみ一つありゃしねえ!」
「奪いに来たのではない。私は奉仕に遣わされたのだ」
 大袈裟に両の掌を挙げて見せ、男は従者達へ顎をしゃくった。厚く積もった灰の上で半ば空回りを続ける幌掛かりの荷車を押し、牛と共に進んでいるのは、剣をいた二人の屈強な男だ。
「空腹を味あわせてすまなかったな。お前達、名は何という?」
「あのねあのね、あたいはイーシェっていうんだよ!」
「ウルウだけど……」
 はしゃいだ小娘とは対照的に子供は戸惑いがちだ。優しげな笑みを浮かべて男は腰に下げた袋から深緑の丸い菓子を取り出し、ゆっくり鼻先へ差し出していった。
 むせるような甘い香りが漂う。ウルウは飛びつき、指ごと食う勢いで飲み下した。
「そんなもん貰うんじゃないよ!」
「だって甘いよ母ちゃん! ほらイーシェも食べなって」
 娘の喉がゴッと鳴ると、よろめく勢いを利用した容赦ない体当たりが村男から繰り出された。袋ごと弾き飛ばされた菓子が、ぼとぼと灰へめり込んでゆく。
「食うな、うすのろ娘!」
「ひどいよ、あたいも食べたかったのに」
 カエルのように跳ねて掘り起こそうとすると凄まじい勢いでナリュが走り込み、伸ばしたその手を思い切り踏みつける。
「痛い、何すんのよう!」
「こうするんだよ! 誰のせいで腹ぺこなのか分かってんのかい、うすのろ。こいつらが戦をやらかしたせいで若い男は全部持ってかれた。そのあと御一ツ山が爆発してどうなった? 都の連中は、怪我した男なんざ戦えないから村を守ってやるんだとさ。その代わり食い物寄こせ、飢え死にしても知らんとさ」
 言いざまに菓子を蹴り上げると流石の都人もたじろいだようだ。前髪から覗く整った眉を静かにひそめ、
今巫女いまみこ様に挨拶をしたいのだが」
 と老婆へ救いを求めた。
「あたい達腹減ってるんだよう、ばば様。いいじゃないか」
「イーシェ、物はやたらに貰うと泥を食うより酷いことになるもんだ。ところで」
 たった今存在に気づいたと言わんばかりの様子でようやく老婆は都人へ顔を向けた。
「お前さんは今巫女に会いたいと言ったようだが生憎あいにくでな。何年か前にうなってしまったよ」
「まさか」
 汗だくになっている従者と牛に視線を送りながら男は急に厳しい顔つきになる。
「この村が巫女なしに成らないことは承知の上だ。あの贈り物を」
 言いながら荷車を顔で示すと従者達がしゃんと立ち直した。
「ぜひに受けて頂けないか? 村総領殿」
「何が村総領殿だ。この婆あはそんな小難しいもん食ったことない。いないもんに取り次げる程器用に生まれついた覚えもないわ」
 手を撫でさすっていたイーシェが突然頭から割って入った。
「ねえねえお兄さん。お兄さん都で人気者でしょ?」
「聞いたことはあるか? 剛弓つよゆみのハーミ・ビム・マリヤップ・ルグハイだ」
 変な名前、と笑いがあがった。
「都人のは長たらしいわい」
 突然ガチッと音がした。憤りをあらわにした従者達が、剣の柄に手をかけて打ち鳴らしたのだ。
 男は軽く制しながら村人をめつけた。
「この村だけが拒むのか。隣村もその隣も全て受け取ったぞ。ウルウにイーシェといったな? 奴らはお前達に見せびらかしながら食うだろう」
 わらいながら火傷だらけの男を指さす。
「そんな体でまともに働けない者が、これから働ける男子を飢えさせるか」
 村男は声を失った。赤黒く血の気を帯びた顔の中でまなじりを開き白目を剥いて、ふらつきながら背を向ける。拳を握り激しく振って、ナリュが怒鳴った。
「おめでたいおつむだね! こんなもんを放って、空腹にさせてすまなかっただって? 本気でそう思ってんなら、ここから盗ってったもんをみんな戻しやがれってんだ!」
 震える手で灰ごと丸菓子を掴むと、号泣と共に投げつけた。
「あたしのいい人返せ! 無理やり兵隊に取りやがって畜生っ」
 村男が慌てて肘を引いた。
「そこまでだ。仕返しされるぞ」
 その一言で正気づいたのか、互いに庇い合いながら皆は一斉いっせいに逃げ出した。
 どのようにして奪われてきたか、今更ながらに思い出したからだ。

「追いますか」
 従者の問いに腕組みをしてルグハイは首を振り、荷車の幌へ向かって不機嫌に言い放った。
「あんな口達者ぞろいとは聞いていなかったぞ、ヒド」
 少し遅れて恰幅かっぷくの良いっ歯の男がごそごそと出てきた。
「猿みたいに山をあがめてるってことは確かでさ。てめえらの信心の本質も知らないくせに頑固だけは並み以上で」
「下らん言い訳だ。情報屋を引き受けたのはお前だろう」
 それを聞くとヒドはつまずいた素振りで荷車に手を突き、思い切り作った嫌悪の表情で、
「あんたの交渉が下手くそ過ぎるんだよ、お貴族様が」
 広袖の中へ小声で吐き捨て、雇い主へ向き直ると瞬時に追従顔ついしょうがおへ戻った。
「あいすみません」
「分かっている。兵にいて拷問しても誰一人として今巫女の匿い所を吐かなかったのだからな。ことを秘密裏に進めたい以上、大勢で虱潰しらみつぶしとはいかない。だからこそのお前だったはずだが?」
 ヒドは飛び退すさってひざまずいた。
「旦那、やっぱり奴らは本当のことを言ってる、ってことにはならないんですかい? 散々嗅ぎ回って命を取られそうになったからこそ、思うんで」
 ルグハイは今にもえりを掴みあげるかの勢いで迫った。
「嗅ぎ回った結果、あれこれと知ったのだろう。素晴らしい手柄だった!」
「そうおっしゃって頂ければ」
「だからこそ今巫女は存在すると断言できる。分かるな?」
 その勢いは急に削がれた。ヒドの唇がアッと動き、従者も背後を示したからだ。
 見れば二つの人影が地面を見ながら小走りに近づいてくるところだった。

「早く早く!」
 せかしているのはウルウのほうで、イーシェの足取りは汗と埃で絡まったその髪と同様、酷くもつれておぼつかない。
 男達は視線で打ち合わせて、村人に顔を知られたヒドを荷車に押し込んだ。
 何も知らない二人は虫のように地面を跳ねて嬉しそうに丸菓子を摘まむと、大きく開けた口へ灰ごと放り込む。
「ね、イーシェ。甘いだろ?」
「ほんと! 空の国の食べ物だよ!」
 たたえられた笑顔は汚れを蓄えながらも無邪気そのものだ。
「すごいねウルウ。きっと施しの花と同じぐらいおいしい!」
 弾ける言葉へ重ねるように、ルグハイは柔らかく声を絞っていった。
「わざわざ取りに来てくれたということは、気に入ってくれたのか?」
 二人は同時に顔をあげ、赤くなってもじもじ動いた。
「内緒だよ? あたい達が食べに帰ったってこと」
「もちろんだとも」
 大きく腰を落とし、しゃがみ込んで囁く。
 荷車の幌を小さくめくり、旅の荒風で乾いた唇を舐めてヒドは呟いた。
「とうとう旦那も本気かね。猿並みの下々しもじもと目の高さ合わせるなんて、教えてやっても死ぬまでやらんだろうと思ったんだがねえ」
 作り込んだ柔和さでルグハイはなおも説きつけた。
「なあウルウ。巫女様がいないのなら、せめてあの贈り物を御一ツ山へ捧げさせて貰えないか?」
 つられるように娘と子供は、その名の通り寂しげな佇まいの一ツ山を見遣る。
「贈り物をしないから怒って火を噴いたのだろう?」
「ええと」
 言い淀んでウルウは助けを求めるように年上の娘を見たが、ほうけて菓子をほじくり返すばかりだ。
おきてだからだめ。よそ者は御一ツ様に会わせるなって」
「それならあれをお前達にやろう。村の者が捧げれば怒りもしずまって皆は安心だ。お前のお陰でだぞ、ウルウ」
 腰へ鈴なりにぶら下げた菓子の袋を猫なで声に包んで、狡猾な都人はそれぞれの掌へ乗せてやった。
「無理だよう。あんなでっかいの、遠くまで持ってけないもん」
 途端に頓狂とんきょうな声が娘の口から飛び出した。
「ばかだねえ、そんなの手伝ってもらったらいいのに!」
 菓子袋を胸に抱いてくるくる回っている。無口を貫いていた従者達もそろって進み出ると鷹揚な頷きを見せた。
「あたい御一ツ山にちゃんと言ってあげるんだ。この人達の贈りもんだって。でないとあたい達だけのお手柄になっちゃうもん。そういうのズルなんだって」
「そうなの?」
 ウルウがきょんと聞き返すと男達は一様に満足の笑みを零した。
「良い子、良い娘に巡り会いましたな。ルグハイ様」
「全くだ。特にイーシェはよく分かっている」
 それを聞くとふっと娘は目を伏せた。髪のき方も知らないと見えて、頭のてっぺんによじれた枯れ草を引っかけている。
「そんな、あたい……うすのろだから……」
 針のような声音には積もった悲しみが宿っていた。こうして間近に相対すると、その睫毛まつげは思いの外に長い。
「何を言う、イーシェ。お前は本当に賢いぞ」
「賢い? あたいが?」
「そうとも」
 力強く請け合うと小娘はのぼせた頬に手を当て、空を仰いでそのまま後ろ向きにばたりと倒れてしまった。
「生まれて初めて言われた! 母ちゃん、あたい……母ちゃんが死んじゃってから……」
「大人も分からなかったことをお前は分かったのだ。どうしてうすのろと呼ばれているのか、それこそさっぱり分からんな」
 ぴょんと跳ねあがって娘は涙を拭った。
「そうだ! 道案内するからあたい達のあとを着いてきて。絶対先に行っちゃだめだよ。落とし穴とか毒蛇の巣とか、よそ者なんかイチコロなんだから!」
 ウルウも小さく頷く。
「なんだって?」
 殊更ことさらに声を張りあげながら男達は目配せし合った。
「それなら大人しく着いて行くとしよう」

 愚かな案内人を先へやって、ルグハイは素早く荷車へ近づいた。
「分かるか、ヒド。御一ツと御一ツは別物だ。御一ツ様は会わせるものだと小僧は言ったぞ」
 くぐもった声が独りちるようにお見それしやした、と答えた。
「てっきり神山だから様づけしてるのかと」



 一ツ山を見ながら村外れへ出ると眼前の景色はがらりと変わった。
 あれ程牛と男達を唸らせた火山灰が忽然と消えて、車輪は空回りをやめた。草丈は高いが踏み固められた土は道を作ってうねっている。注意深く着いて行けば無数の分かれ道や不自然な曲線の上を、延々と歩かされていることに気づくだろう。
 長い行軍の末、一同は柵に囲まれた祭り広場へ出た。色づけられた木の実で飾られた柵には、この地に特有の艶やかな細葉の蔓が丹念に結わえられて、複雑な文様を力強く表している。磨かれた実の丸さは理屈抜きに恵みを思わせた。柵の周りをぐるりと通れば一ツ山の裾だ。
「こっちこっち」
 ウルウは道を逸れて東へ案内しようとした。
「待て小僧」
 急に従者の一人が声を張りあげ、ずかずか進んで前へ立ち塞がった。
「捧げ物のために何度も行き来してるなら自然と道ができているはずだ。外れて行くのはおかしいだろう」
 ウルウはびくりとすくんだ。
 わずかな怯えを瞳に湛えてイーシェが言葉を絞る。
「でも今はこっちが本当なんだよう。今巫女がいなくて、継巫女つぎみこはまだなんだから」
 従者は眉根を寄せたあるじを見詰め、さっと目で荷車を指し示した。
「そろそろか。よし、出て来い」
 幌が開くより先にもう一人の従者が駆けつけた。ルグハイも一歩出て位置を取り、素早く二人を取り囲む。積み荷が毒蛾のさなぎのようにうごめいてヒドを排すると、ウルウは甲高く叫んだ。
「野良犬野郎! 婆様に言いつけて罰食わせたのに!」
 ヒドは乱杭らんぐいの反っ歯を剥いて石のように丸菓子を投げつけた。
「こんな物のために大事な御一ツ様を売り飛ばすなんて、野良犬はどっちだいねえ?」
 嘲りながら黒い憎悪を露にして袖をめくりあげ、二の腕を高く晒す。
 現れたのは皮膚に食らいつき、悶えるように縮れた焼き印の痕だった。
「くそガキ! こいつの礼をしてやろうかい」
「こそこそ嗅ぎ回ったから悪いんだ! みんな呼んで今度こそはりつけにしてやるんだから!」
 息巻いた途端、従者の固い拳が容赦なくそのみぞおちを直撃した。あまりに手慣れて俊敏な動きの前には寂れた村の女子供などいないも同然だ。イーシェも声をたてる間もなく土に倒れ伏している。
 ヒドが嬉しそうに走り寄って、子供の体を物のように持ち上げながら雇い主に声をかけた。
「ここまで案内させれば充分でさ。道なりに西へ回れば禁足地に入るはずです」
 ルグハイは均整のとれた背筋を伸ばし、空へ向かって破顔した。
「いよいよか。死んだふりの今巫女に奴らの命乞いを聞かせてやるのも一興だろう」

 娘と子供は縛りあげられ、一ツ山の裏口へ担がれていった。
 進むにつれて道の両端の木々は高くなり、鬱蒼うっそうと生い茂って侵入者の姿を隠す。少しずつ顔を出した岩が切り立ち始め、ついには崖に挟まれた。森の天蓋は雲より厚く、辺りは真の闇にも近い。
「これなら明かりも隠れる。松明たいまつを」
 あるじが許可したので男達はようやく自らの進む先を見ることになった。
「なんだこれは」
 女の髪を思わせる乱れ葉を生やした木の枝が前後左右へ不規則に傾きながら、墓標のように地面へ刺さっている。黒い長葉は風もない中で脈動して、思い思いに獲物の品定めをしているかのようだ。
 明かりを掲げて更に確かめれば、奥の突き当たりに獣の巣を思わせる深い洞穴が、全てを呑むように口を開けていた。
「巫女の住処を守る結界だ。触れると腐って死ぬぞ」
 言いながらルグハイが合図を送ると人質は頭のほうから地面へ叩きつけられた。
「お楽しみだぞ、ヒド。存分に小僧を切り刻め。巫女に悲鳴が聞こえるようにな」
「あたしゃ切るより焼くのがいいねえ。せっかく村から焼きごてを失敬してきたんだから」
「子供相手に執念深いな」
 呆れた様子で「あれを出せ」と短く伝えると、荷車に積み込まれていた彩りの菓子や錦が無造作に投げ出された。幌を外して従者達が手斧でその床を叩き割れば、念入りに隠された二重底が姿を現す。
 そこには鏝灼きの道具や燃料と共に、一抱えもある太い杭が横たわっていた。丹念に磨き込まれた磔柱で、時に荒々しく時に繊細な彫刻が様々に施されている。何を表したとも判じ難いが中央の意匠は稲光と見えた。
 おこされた火の中に鏝が突き入れられるのを横目に見ながらルグハイは、
「そこに刺せ」
 と命じた。従者達は言われた通りにしようとしたが、土が浅く柔らかすぎるようだ。ぐらぐらと揺れるばかりで柱は一向に立つ気配がない。
 男は異国のふるく耳障りなまじないを唱えた。たちまち柱は意志があるかのように空へ向かって真っ直ぐに立ち、見る間に地深くへ刺さってゆく。
 心得顔の追従者もこれには恐れて後退あとずさりをし、息を呑んで眺めるばかりだ。顔を振るだけの合図が送られると慌てて娘を柱に縛りつけ、子供に活を入れた。


 下卑た愉悦に満ちた顔と赤く灼けた印が眼前に近づくのを見ると、ウルウはぼんやりしていた頭をのけぞらせて、
「ヒッ」
 とうめいた。
「お目覚めかい?」
 ヒドは言うなりおびえた子供の背を踏んで、太った体の重みを鏝にかける。
「ようく焼かないとねえ」
 凍りついた子供の叫びが響き渡り、嫌な音と共に生き肉の焦げる臭いが漂った。
「聞いているか、今巫女! すぐに出て来い取引だ!」
「助けて、許して!」
 凄じい泣き声が辺りの空気をつんざくとざんばら髪を振ってイーシェが唸り、三度目の叫喚に頬を張られたようにハッと顔をあげて、
「ウルウ!」
 と呼んだ。
「やめて! お願いだからあたいの友達いじめないで!」
「ガキが死ぬぞ、見殺しか? 売女以下だな巫女様よ」
 男達の罵りが重なり、飛び出しそうな白目をぎらつかせてヒドが四度目の刻印を押しつけた。
「やだあ! もう言いつけないから許しっ」
 言い終わらぬうちに懇願は絶叫へと変わり、
「母ちゃん……」
 その言葉を最後に可哀想な子供は気を失った。

「うすのろ。今巫女は動けないわけでもあるのか?」
 涙ぐんで震えている娘へ目をやってルグハイは問い詰めた。
「死んじゃったの……いじめないで、お願い……」
「こんな馬鹿まで口が固い。猿並みの信心とはよく言ったものですな」
 自らのももを激しく打ち、従者の言葉を黙殺して男は続けた。
「施しの花を荷車一杯に積んで帰れば、都で何が手に入るか分かるか? お前達は食べたいのだろう? なのになぜ一ツ山は施しをしない」
「あの、それは……新しい巫女が選ばれた時だけ」
「ならば巫女を新しいのとすげ替えたらどうだ」
「う?」
 娘の顔が一瞬うつけた。
「ええと巫女様は死んじゃって、継巫女はまだで」
「巫女が生きている証拠はある」
 背負った筒から矢を取り出してゆるりと持ち上げる。
「だてに情報屋を雇ったのではない。お前達が知らないことも手の内にあるのだ」
 言いながら明かりに照らすと、細い矢柄にまで隙なく複雑な文様が彫りつけてあるのが見て取れた。驚愕の表情が娘に宿った。
「あたい達の祭り矢……なんで?」
 男は答えず、柱を中心にした儀式の紋をやじりで描き始めた。
 柔らかな葉が幾重にも弧を並べ、中心の花を守るように抱いている。数十の繊細な花びらは陽の光そのものだった。
 乾きのあとの雫を思わせる七連珠が表されると、その上へ一本ずつの祭り矢が突き立てられた。
「巫女とのやり合い方は知っているが、まだ心許ないからな。引きずり出して得意の戦法といきたかった」
 娘は口を開け放したまま疑念の正体を探ろうとしたが、答えが出ないようだ。
「やり合い方……知ってる?」
 恐怖をど忘れしたように、震えていた唇が動きを止めた。
「まだ分からないか? 継巫女は私だ。一ツ山の秘密を掴んだ者こそが選ばれる」
「男が巫女?」
「男ではおかしいか? ならば選ばれた証拠を見せてやろう」
 言うが早いかルグハイは弓を構えゆっくり引いて、慎重に体の位置と型とを整えていった。
「お前をにえにしてこの結界を破る」
「や、やめて!」
 娘は激しく身を捩ったがきつく戒められた体はびくとも動かない。
 残忍な唇が低く何事かを呟く。恐れ慌てた男達は水面に落とされた一滴の油のように、瞬時に輪となって飛び退いた。
 花の円陣が微かな光を帯びて、禍々まがまがしく闖入者ちんにゅうしゃを拒んでいた枝の墓標へと襲いかかった。両側にそびえた岩から岩へ、激しい風が吹きつける。得体の知れない植物達が長葉を振り乱してうねり出し、苦しみながら異様な姿で踊り始めた。
「見ろ、これが力の証だ。教えてやろう、継巫女が決まったのに花が降らないわけをな」
 泣き続ける娘の眼が見開かれたまま、ちらつく明かりを映し出した。
「それは古い巫女が居座っているからだ!」
 そのまま男は慣れた動作で獲物の心臓を貫いた。
 犬のような悲鳴がキャンとこだまして長い呻きに変わってゆく。ガチリと磔柱にまで達した矢が激しい閃光を放ち、呼応するように儀式紋に突き立てられたものも輝き出したかと思うと、娘の喉から断末魔の叫びが走り、岩壁の間で反響を繰り返したあと七本矢へ移って蛇のように互いの間を行き来した。
 天から叩き落とされるかのような激しい振動に襲われ、荷車牛と男達との咆哮が反響する。
 次の瞬間、眩しい風が洞穴へ向かって吹き抜けた。

 痛みに耐えてようようルグハイは半身を起こし、「やったか」と呟いた。
 しかし太陽を模した花びらの光の中では、引き連れてきた者全てが絶命していた。地に崖にと打ちつけられてねじ曲がった首が三つ、恨めしそうにこちらを向いたまま睨んでいる。
 それらのごみを除けば、洞穴までの道は今や暖かな安らぎに満ちていた。
 腹の底から男は笑った。ゲラゲラ言うのをどうしても止められなかった。
「あとは贄の血だ。今巫女とやり合うためにな」
 花と稲光の紋を抱いた杯を荷から取り出し、襤褸ぼろのように柱に掛けられた娘の体に近づいて一息に矢を引き抜く。矢柄は急激に輝きを失った。神力が宿った術具は生け贄からおびただしい血液をしぼり出し、ボタボタとひっきりなしに滴り落ちる音がする。
 男は思わずの舌打ちを漏らした。
「土に吸われては叶わん」
 急ぎ身を寄せて血を杯に受けようとした時、不意に頭上から吐息と共に声が降った。
「あんたほんとにいい男だねえ。強いし、賢いし、なんて言ってもきれいだし」

 にわかに頭が石のように重くなった。反応が遅れたと気づいたが、いつものように動くことができない。得体の知れない力が全身にのしかかってくるような感覚がさいなんだ。
 いうことを聞かない首をようやくの思いで持ちあげると、紫色に沈んだ顔の中から尾を引くようなきらめきを帯びた眼が瞬きもせずに直視していた。
「まさか。まさか、お前が」
 うすのろ娘の唇が笑った形になる。打って変わったしわがれ声が、舐めるように告げた。
「よくやった。我が巫女むすめを目覚めさせたこと、まことそなたの誉れと思え」
 その言葉が終わると同時に、眼球めがけて胸からの血飛沫が襲い来た。
 顔を拭うことも叶わなかった。
 弓を引かせればこの男と謳われた隆々としなやかな腕は急激に萎んで力を失い、鳥が舞うように大地を蹴ると嘆じられた脚は膝からくずおれ、感触を手放した。
 バラバラと縄が落ちる音が響き、柱に括りつけられていた気配が地に降り立つ。
 長いとも短いともつかない間のあと、ぼんやり声がぽつんと言った。
「あ。あたい……ほんとに生きてるんだね御山様」
 生温かい気配が近づいた。
 長く伸びた爪が開かなくなった瞼をチクチクと刺す。
「もらうね。これが儀式なの」
 粘り着く声が低く耳元で呪詛を紡ぎ、やがて瞳がこじ開けられた。
 目をえぐられたのだと気づいた時、ルグハイはこれまでの人生でただの一度も知らなかったおめきが自分の喉からほとばしるのを聞いた。
「畜生、うすのろ! 騙したな!」
「ちゃんと、イーシェって呼びなさい」
 舌足らずの言葉に怒りが宿った。
「あんなに教えてもわからないなんて、どうしてそんなにばかなのよ。だましてないし、嘘もついてないの。今巫女は死んで、継巫女はまだだったの」
 頬をぬるりと手が撫でる。
「あんた達がいい男を取るからいい贄がなくってさ……しかたなかったんだよう」
「男が……贄……?」
「男じゃおかしいかい?」
 吐く息が耳朶じだへ寄って、最後の囁きを吹きかけた。
「御一ツ山があんたをだましてたのかなあ」
 から闇の中、ルグハイは全身に凝視を受けていることを覚った。



 晴れたことなど一度でもあるものかと言いたげな曇天が明けて、祝いの光が注がれる。
 その日、祭り広場に太陽の形をした花が降った。
 舌に乗せれば飢えを退け、治らぬはずの痛みを癒やすという花が。
 愚鈍ぐどんな娘が死んだ子供の傷を舐め取り、奇跡を起こしさえしたと村人は伝えるが、誰もが一笑に付すだろう。
 戦にくこともできない男達は、引きれた体を振り回してよくもという程陽気に笑いながら、今日もせわしく働いているが。

―― 完
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