病棟内はなぜ揺れる

 ガンにかかっていたころ、もののはずみで冒険を試みた。閉鎖病棟の探検だ。
 その建物が特殊なものだということは、ひとめ見れば誰にでも分かる。六階建ての院内にひとつだけ離れのような平屋の一角があり、すでに腐っているのではないかと思わせる板きれ造りの隔離病棟になっている。鉄筋コンクリートの腹から曲がりくねった木造廊下がにょっきり伸びて、かなり異様な風景だった。
 その先っちょにある部分だけが二重の高い柵に囲われて、半分落ちかけた看板がいかにも風雨にさらされましたという風情で引っかかっていたりしたら。看板の文字が「危険! 立入禁止」と赤く書かれてあったりしたら。
 普通じゃないと思うな、という方が無理というものだ。

 当初わたしは何かの実験室ではないかと考えたが、それは間違いだとすぐに知れた。病室から窓の中が少しだけ見えたからだ。
 不思議な病棟だった。窓枠からはベッドが三分の一だけ覗いていて、患者の脚が見える。それだけだったらなんでもないことなのだが、問題は中にいる人物が動いているのを一度も見たことがないという事実だった。入院患者はヒマなものだ。怖いもの見たさも手伝って、日がな一日その病棟を観察し続けたが、全員蝋人形のように動かない。本当に生きた人間のいる場所かと疑うほどだった。
 一体どのような病にかかったらああなってしまうのか? 他の患者は空調の利いた近代設備の中にいるのに、なぜ彼らはすきま風のはいりそうなボロ屋を鉄柵で囲った中に収容されているのか?
 数日の観察ののち、わたしは尋ねた。
「あれはなに?」
「ああ、あれね」
 看護婦はゆったりと答えた。
「放射線病棟」
 
 彼らが自分達と同じ施設にいるのならともかく、あきらかに格差のある場所にいるのを見ると、まともな人間──特にガン告知を受けた患者など──は、いやでも暗い気分になる。今でこそ「ガンは治る病気のうち」で告知を受けることも珍しくはなくなったが、二十数年前の日本はそうではなかった。
 よもや自分にだけは関係あるまいと思っていた病気にかかってしまった。あの病棟だけは自分に関係ないと、どうして言える?
 もちろん、親兄弟はあまりにもひどいところに家族を送り込むのを良しとはしないはずだ。けれどずっと世話をしてくれた医者が、
「この人はもう放射線病棟に入るしかありません。あなたたちに他の入院施設の心当たりがあるのでしたら出ていってもかまいませんが……。ご存じのように、国内でもそう多くはない専門病院への紹介状でもなければ、有効な治療は期待できませんよ」
 ……などと言ったら、そこにいれる以外のなにがあるというのだろう。
 わたしたちは、ガンの中でも特に難治とされるぶるいにかかっていた。

 害のない幽霊話ならばいくらでするが、人間ほんとうに怖いものには言及しないものだ。カーテンを開ければはっきりと視界の中に入ってくる異様な建物を、わたしたちは見ないかのように扱っていた。話題になるのは最初に発する
「あの建物、なに?」
 のセリフだけ。答えを聞くと皆あいまいな表情でああそうと言い、あとは全くコメントしない。
 この怖さをなんとか壊したい。正体を見極めて単なる事実にしてしまいたい。ガン病棟の子供達──探検に参加したのは全部で三人だった。──が、そう思ったとしてもおかしくはない。たまたま偶然カギが開けられ、監視役も通行人も全くいない入り口の前を通りかかったとき、誘惑に負けたのだ。

 回廊に足を踏み入れたとき、わたしはすぐに後悔した。中学二年にもなって年下の子を連れてこんなところへ入るなんて。閉鎖されているのには必ずわけがあるはずなのだ。それを考えていなかった。
(もちろん放射能に決まってる!)
 日本人だったら誰でも一度は聞かされる広島・長崎の恐怖と放射線障害の恐怖は、切っても切れない仲にある。X線をあてるさい、医者は必ず女の患者に
「妊娠の可能性があるなら教えてください。お腹の中で赤ちゃんが“ひばく”しますよ」
 と確認をとる。爆撃されていないにもかかわらず……と思ってしまうのも、日本人のゆえだろう。(放射線を浴びることそれ自体を“被曝”といい、爆撃を受ける“被爆”とは違うのだと、最近友人が教えてくれた)
 まずいぞこれは。
 一緒にいたうちの一人が、
「ねえ、この病棟の柵の中にお化けタンポポが咲いていたって、大人が話してたよ」
 と言った。わたしは一応理屈をこねて強がって見せた。
「一回だけここを歩いたからって、ガンになったりしないんじゃないの? 看護婦さんは入ってるんだし」
 普段はもの凄く無口で、滅多に話しかけてこないもう一人の小学生が口を開いた。
「ガンだったらもうかかってる」
 この子は全盛期のゴクミとだってすっぴんでタメをはれるぐらいの美少女で、なおかつ凡人が口をあんぐりしてしまうくらいに頭が良かったので、突然こんな呟き方をすることがあった。

 わたしたちは冷たくなって笑った。
(それでもドアの前までは行ってやる)
 中の人が冷房もないようなところでイモみたいに寝かされてたら、言いふらしてやるんだ。誰も聞いちゃくれないだろうけれど。
 別に正義感や患者の福祉のためにこんなことを思ったわけではない。強がりでもしないことには、杖を握る手に汗はかくし、マジに震えてくるしで。
 松葉杖を両手に持って使う場合、足ではなく腕に全体重のかかる瞬間がある。手がビビって震えだしたら、歩行は不能になるのだ。恐怖や緊張のあまり腰をぬかしたりするのはよほどのことで、体の防衛機能が働くから、こういうとき足腰はいっぱい血液を流してもらうことになっているらしい。手も実は、外敵を攻撃したり防御したりするために優遇されているのだが、体の根幹を支え、最後の手段──逃走に使う足ほどには強くない。震えはいつも膝より先にやってくる。
 誰が最初に逃げ出すかで肝だめしのようになってしまったとき、妙な感覚に気がついた。
 病棟が揺れている。
(地震かな?)
 最初はそう思った。事実そのような揺れ方だったのだ。しかし冷静に壁や天井を見ていると、絶対に物理的に揺れているのではないことが分かった。
 血圧が下がると目が回る。ぐるぐる回って見えるが、目の前にあるコップはいつ見ても目の前にあって、頭の後ろに移動したりはしないものだ。それなのになぜ回って見えるのかと聞かれても、説明することはできない。ちょうどそれと同じ感覚だった。
 答えははっきりしている。
(体の異常だ! 十メートルも歩いてないのに)
 数分もかからないうちに。放射能の三文字が頭をよぎった。
 けれど待てよ。
(自己暗示ってことはないかな?)
 小学生の時に見た原爆ビデオや生々しい手記、『はだしのゲン』という漫画。我ながらとてもナーバスになっていることが分かったし、おまけに女子中学生ときている。
 はっきり言って「少女のヒス」扱いされるのはまっぴらごめんだなと思った。緊張して壁や天井をじっと睨みながら歩いていると、他の二人も同じように変な顔をしてキョロキョロしているのに気づいた。  三人の目が同時に合った。
「……地震かな?」
 おしゃべりな方の女の子が言った。誰も答えない。思わずピタリと立ち止まる。
 あとは幽霊を見た人間のように先を争って逃げた。
 手も足も本当にえらい。幻の恐怖にそこそこいじめられていたときには力が入らなかったのに、やらなきゃならないときにはやってくれるのだ。

 怒られると思いながらも、わたしたちは看護婦に話さずにはいられなかった。怒った人間の怖さなんて、妄想で勝手にふくらんだりしない分、正体が知れている。
「ダメじゃないの!」
 と叱られることでほっとしたかった。
 が、看護婦は怒りはしなかった。世間話のように、
「あらあ、入っちゃったの? ダメだよぉ。きつい放射線をしょっちゅうかけてる人ばかりなんだから。一度放射線治療を受けたら、そのとき治療室に持ち込んだものは下着だって眼鏡だって髪をしばるゴムだって、ぜんぶ特別廃棄処分だからねぇ」
 とコメントしただけだ。
 おそるおそる聞いてみた。
「あの……。放射線病棟って、どうして体がぐらぐら揺れるの?」
「え?」
 他の子も言葉を添える。
「地震みたいだったよ」
 看護婦はなんの話か分からないといったようすをした。
「気のせいじゃない?」
 少し考えてから答えが返った。
「そんなはなし、病棟の看護婦さんからは聞いたことないしねえ……」
「どうして三人同時にそう感じたの? だって、わたしが地震かなって思ったとき、さきに“地震かな”って言った人がいたんだよ」
 わたしが地震だと口にしたから他の二人が暗示を受けたのでも、他の誰かが地震だと言ったあとでわたしがそう感じたのでもない。明らかに全員同時だったとしつこく食い下がったが、看護婦は目を丸くしていただけだった。
 あれが集団ヒステリーというやつか? いやだなあと思い始めたころ、わたしは大人になっていた。