◇◇ 幼少時代 ◇◇
「人も馬も立ち凍る」と言われた吹雪の町で3才までを過ごす。
帰宅途上で道をうしない、凍死する酔っぱらいがあとを絶たなかった。飲んでる最中に吹雪きはじめると、その日は家に帰らなくてよいという了解が住民のあいだにはあったらしい。
そんなわけで、幼いころお客さんのまえで、
「『アンタは吹雪をめがけて飲みに行く』ってナーニ?」
と質問をかまし、親がお茶を吹いた。
(注)
風呂敷が大好きで、頭からかぶって尼さんごっこをやっていた。白と紫の竹模様が入ったよそいき風呂敷が大好きだったが、くだんの品は母親の手により、届かない引き出しに避難させられた。しかたがないので唐草模様の風呂敷を首に巻いて走りまわり、パーマンごっこ。
「お宅の娘がウチの子にロクでもない遊びをしこんだ」
と言って、近所の主婦がどなりこんでくる。
母は、
「まあ、すみません」
と謝った。わたし、なにか悪いことしたんだろうか。
おそるおそるご近所さんの去っていく姿をうかがっていると、母は急にタンスの中からよそいき風呂敷を出してきた。
「おまえ、今日はパーマンごっこをしないのかい?」
あああああ! 夢にまで見たとは言わないが、竹の風呂敷っ!
喜んだわたしは足をのばし、4丁先までパーマンごっこを広めてきたと親は証言する。
(注)
うちの父親は酒飲みではない。中学生になってから不思議に思って聞いたところ、こういう争いをしていたのは隣の住人だそうだ。
「ウーン、あすこのおじさん、飲み屋の女の人と仲良くなっちゃってねえ」
と漏らしたあと、母は急に目をむいた。
「あんた3才だったくせに、なんでそんなこと覚えてるの?」
甘いよママン。3才だったからこそさ。
◇◇ 小学校時代 ◇◇
ディズニー映画全盛時代。お姫さまものが好きだったが、ことあるごとに妖精や王子さまに助けてもらうのが気にくわない。そこで水森亜土のお絵かき帳に、お姫さまが魔女を殴りたおして改心させるという、ほほえましい処女作を執筆。8才にして創作に目覚める。
そのほか学校の先生が、
「この辺の川は、ぜんぶ大雪山から流れてくるんだ」
と発言したのを真に受け、登山家をめざして近所のドブ川をさかのぼるなどの大ボケをかました。
大雪連峰には導かれなかったがなぜか病みつきになって、以後、徒歩や自転車でつまらない川をさかのぼり続けた。
◇◇ 中学時代 ◇◇
むちゃくちゃおもしろい学校に入学したのもつかのま、ガンにかかって長期入院。危うく命を落としかけたが拾って帰ってきた。
その後もろくに学校へ行けず、2年生を2度やった。
うっぷん晴らしに240ページほどのしょうもない小説を書く。家庭内暴力が世間を騒がす以前のことで、そんな言葉すらなかったはずなのに、このとき書いたものを読み返すと家庭内暴力が書いてあるんだなあ。
ガキのころのほうが先見性があったと思うと、ちょっとくやしい。
◇◇ 高校時代 ◇◇
席だけおいて全く学校に通わなかった時代の、幻のクラスメイトと出会う。意気投合して文芸部を作った。
部員のなけなしの小遣いを集めて処女同人誌を作ろうとしたら、会計係が印刷代を化粧品類にかえて着服、自主退学までしてしまった。しかたがないので思い切って生徒会にすりより、ガリ版(!)を貸してもらって出版する。
いかにも貧乏部員な味わいが皆クセになったとみえて、積み立てが潤沢になったあともすべての同人誌をガリ版にしてしまった。
◇◇ 大学時代 ◇◇
漫研にはいって怪奇漫画を130ページほど描き、「女楳図かずお」「あなたの知らない世界」などと呼ばれる。
◇◇ 社会人〜現在 ◇◇
最初の職場を退職し、2度目の就職試験にチャレンジ。面接で、
「特技は?」
と聞かれ、
「大学時代に怪奇漫画を100ページ以上書きました」
なんぞと口走ったにもかかわらず、受かった。
給料計算をやるかたわら、イラストレーターを雇うおカネのない職場のためにパンフの挿し絵描き。怪奇じゃない絵もできるようになった。
たかが総務の給料係とあなどっていたら、従業員が行方をくらましたり殺されたり、差し押さえをくらって債権者が乗り込んできたり、
「お前んとこのボスが俺を毒殺しようとしている」
と主張する人物の訪問を受けたりと、なかなか変化に富んだ毎日だった。
現在はもっとおとなしい部門に回されているのでこんなことはないけれど、今でも時折り、
「総務だなんて、因果な商売やってるよなぁ」
と思うことがある。