戦争に行きたかった男

*作中の人物経歴・事件状況などは、個人情報に関する部分に改変が加えられています。


 話は昔にさかのぼる。
 そのころある病院に、どうみても九十歳としか思えない患者が入ってきた。急激な免疫機能の低下が見られ、HIV(エイズ)の疑いがあるので検査をして欲しいと紹介状がついている。ものを聞いてもまともな返事は期待できず、衰弱もかなり激しい。紹介状を送ってきた医者やようすを見た医療スタッフは口をそろえて
「なんにも分からないボケ老人」
 と彼を評する。
「ナースコールで呼ばれて行っても、ものも言わずにじっとこっちを見てるだけ。自分が何をして欲しいのかも分からないに違いないわよ。忙しいときに限って!」
 担当看護婦は送られてきた患者の表情をじっと見た。今にも死にそうな九十歳の男と見えるが、カルテによればまだ六十代であるらしい。
「目の動き方が違う。ボケているとは思えない」
 それが第一印象だった。

「その人ったら、こぉんな風にものを見るのよね」
 言いながら彼女――その看護婦はわたしの友人だった――が再現した目の動きは、意地が悪く、ひとを盗み見て値踏みするかのようだ。しかしそれは同時に観察力と批判精神の現れでもあった。
 仕事の性格上、患者の心の問題も扱わなければいけないので、看護婦たちはしばしば非常に発達した情報網をもっている。その精度は人にも職場の方針にもよるだろうが、生育歴・職歴・結婚歴のたぐいは貴重なデータとして熱心に収集されるらしい。調べてみるとくだんの患者はほんの二、三ヶ月前までトラックの運転手だったことが判明した。長距離運転はとうに離れ、決まり切った往復に徹してはいたが、営業センスが抜群だったらしい。モノにした得意先の数は老いてなおトップクラスだったという。
 会社はもちろん営業マンとして彼を使っていたのだ。しかし本人自身は「六十代現役トラック野郎」と呼ばれることが無類の誇りだった。定年後の引き留めがかかったとき、
「ごくわずかな距離でいい。トラックに乗せてもらえれば」
 と条件をつけたという。
 このとき彼女の胸にひらめいたのは、老人施設で働くむかしの同僚の話だった。
「ボケた男の人たちに、名刺を持たせてみたのね。そしたらどうなったと思う? それまでどうやっても口を利かなかったお爺ちゃんたちが、とつぜん名刺交換をはじめたと思ったら、あっちもこっちもお喋りよ!」
 
「あなた、ちょっと前までトラックの運転手だったんだって?」
 血圧計を当てながら、彼女は話しかけた。痴呆ではないという確信があったのだろう。子供に話しかけるような口振りではなく、世間ばなしの体裁《ていさい》をとおした。
「個人タクシーならともかく、トラック野郎で六十代は珍しいわねえ。凄いじゃないの」
 それまで何を言ってもまともに反応しなかった患者が、不意にニヤリと笑って見せた。
「おう、この界隈《かいわい》じゃあ俺だけだよ」
 


 この発言は彼を重度痴呆と思いこんでいたスタッフに衝撃を与えた。それならというのでさっそく対応を変えてみたが、彼は自分を見抜いた看護婦しか認めない。ほかの人間に対しては終始「なんにも分からないよぼよぼの老人」を演じ続ける。
「なんで他の人にはきちんと話してくれないの? しゃっきりしているくせに、どうしようもないボケのふりをして!」
 このとき彼女は、ちょっと怒っていた。患者は口を曲げた。
「だって、トシをとったらすぐには言葉が出てこないんだよ。頭がしっかりしてたって。すぐには言葉が出てこなくて、すごく時間がかかるだけなんだ」
「そりゃまあ、年をとった人には珍しくないことよね。この仕事をしていると、よく分かるわ」
 頷いてやると少し黙って、再び勢いよく口を開いた。
「なあ、看護婦さん。ここにはおかしな看護婦がいるよなあ。やっとの思いで『氷……』って言いかけたら、最後まで話さないうちに『氷が欲しいのね』ってバンとそこに置いて出ていく。氷をどうして欲しいのかって、聞いてくれもしない。それが用事を頼まれる人間の態度なのかい? 俺は氷まくらを作って欲しかったのにさ」
 その口調には、接客業者に特有の批判的なニュアンスが込められていた。
「こないだなんか何も言わないうちから『ああ、タオルね』なんて勝手に決めつけてだね……。こっちはタオルなんか眼中にないよ。用事を頼まれるつもりで来ておきながら用事を聞かないなんて、不思議な人間がいるもんだ」
 特定の人物を批判しているのではない。ボケ老人に対する世間一般の態度をやりこめているのだ。看護婦までが世間なみでいいのか? プロのくせに、とも。

 話をしながら、彼女はわたしを見た。
「看護婦なんてぜんぶ見られてる。その患者さんだけじゃないわよ。どうせなんにも分からない人だなんてたかをくくっていたら、いつもじっと見られているんだから。怖いもんだわよ」
 その手の怖さに直面することは難しい。足元の床が軋《きし》んで崩れるように感じるものだ。学生時代に社会福祉をやったはしくれとして、わたし自身もそう思う。お可哀想な人だなんて侮《あなど》ると、知らないうちに心の裏からバックグラウンドまで読みつくされる。

 彼はどうしても他の人間に心を開かなかった。治療に必要な話をする役目はすべて彼女が負うことになった。
 検査結果が出るまでにはいくらかの時間がかかる。HIVの他にも考えられる病気はいくつかあったが、待ち時間中に患者の性的な接触についてリサーチをいれる必要が生じていた。彼には血液製剤を使うような理由が見あたらなかったのだ。せんにはボケたふりをして、その質問には答えなかったらしい。
 当時の日本で感染経路といえば、九割方が血液製剤だった。性的接触による感染者は少なく、患者自体があまりなかった。HIVの発祥地が日本でない以上、血液製剤の線が消えれば次に疑うべきは外国人とのセックス。そんな時代だった。
「なんでそんなこと聞くんだ?」
 彼はにらんだ。
「なんか関係あるのか?」
「関係があるから聞いているんです」
「ひょっとして、そういう病気なのか」
「まだ分かりません。他の病気かも知れないわ。でも、原因がはっきりしない以上はあらゆる可能性を考えなければならないから……」
 彼は一人暮らしで、肉親の有無についてははっきりしない。退職したことでもあるし、いくら気の毒でも本人に変わって厳しい現状説明を受け止めてくれる家族や上司がない。彼女は切り込んだ。
「外国の人と、そういう関係をもったことがある?」
「まえの病院でも金髪とヤッたことあるかと聞かれたけどな、フン」
 彼が「フン」と言うときには特別な意味がある。彼女は流し目を送った。
「その『フン』はなんなの?」
 彼は笑った。うまくツボを突いたご褒美でもあっただろうか。
「金髪だろうがなんだろうが、よりどりみどりだったよ」
「あらまあ?」
 微笑み返すと、ちょっとのあいだ対話が途切れた。
 彼は何かを考えていたようだったが、視線を返すと突然に言った。
「戦争だよ」
「え――?」
 さすがのベテラン看護婦も目を丸くした。六十代は徴兵世代ではない。敗戦の影響で、物心ついたときにはひもじい思いをしていたはずだ。ヒッピーになって反戦歌をうたった世代よりは上だが、組合運動で「安保反対!」などとやっていたクチではないのだろうか? この展開は予測していなかった。
「若いころ、俺はどうしても戦争に行ってみたくてなあ。一度でいい、やりたくてやりたくて、もうどうしようもなかった。結婚して子供もいたのに、全部ぶんなげてアメリカに渡って、軍隊に入ったのよ。ベトナムへ行ったかな」
 噂に聞いたことはある。戦争に行きたいからという理由で傭兵に志願したり、徴兵制を持つ国の市民になったりする人はあるそうだ。しかし実際にそうした人間に出会って話を聞くことは滅多にない。彼女が驚いたのも無理はなかった。
 黙っていると彼は続けた。
「目の前で戦友が何人やられようが、どんなに人を殺そうがなんとも思わなかったよ。敵兵が惨殺されるのもこの目で見たけど、自分が死ぬとか自分が人を殺しているとか、そんなことはぜんぜん考えもしなかったなあ。正直なはなし、人を殺してみたい、それを楽しみたいという気持ちがあったと思うね」
 彼女は頷き、先をうながした。
「だけどただの戦友じゃなく『親友』が死ぬのを見たとき、急に怖くなってなあ……。
 それまでは人が死んでいると思わなかったのに、人が死んでいたんだと分かったわけよ。自分が死ぬとは思わなかったのに自分が死ぬかも知れないと分かった。人間を殺しているんだと思わないできたのに、実は自分が人殺しなんだと分かった。
 その瞬間からもの凄い怖心にとり憑かれて、一日も耐えられなくなってね。敵前逃亡したわけよ。とうぜん軍隊にはいられない。日本に帰っても親兄弟にも子供たちにも顔向けができないし、身内には一生あわないと決心して今日までやってきたんだ」
「一生だれにも会わないと決めたのね。それは心残りにならないの? 年をとったら独りで死ぬことになると考えたことはなかったの?」
 彼は照れくさそうに笑った。
「職場にゃあ、俺のほかにもワケありの独り者が何人かいたんだよ。退職したあと、そいつらと一緒に小さい寮でも借りて、年金を持ち寄って共同生活しようと言ってたんだ。まさか病気で倒れて連中と切れるとは思わなかったねえ。自分がひとりぼっちだとは気がつかなかったな」
 

 話がこの部分にさしかかったとき、一緒に聞いていた一人が
「それがそのひとの人生パターンなのかねえ」
 と言った。
「親友が死んで初めて人が死ぬんだと気がついたり、自分が死にそうになって初めて淋しい人生なんだと気がついたり」
 彼女は天井に向かって目を細めた。
「人生の最後としては、淋しいと気がついて良かったのかも知れないわよ。耐えきれなくなって自分から妹に連絡をとって、とうとう親にも子供にも会ったんだからね」
 偶然ではあるが、そのとき集まっていたメンバーは、わたし以外みな看護婦だった。「人殺しを楽しみたかった」という男が、ついに批判されなかったのもそのためだ。
 大げさに聞こえるかも知れないが、彼女たち(少なくともそのとき集まっていたメンバー)は、こういう場面で看護婦に求められるのはナイチンゲールの思想だと考えている。──ケガをした兵士がいたら、敵であっても手当てを施さなければならない──。
 子供のころは、「看護婦は中立」という言葉を聞いて、かっこいい女の正義と単純に思ったものだ。ヒューマニズムはそうあらねばならない、などと。しかし今、ざわついた国際情勢の中で、
「自分が生きているうちに、この国は戦争に巻き込まれるかも知れない」
 という不安がリアリティを持つと、不意に
「それはさわやかな正義でも甘い慈愛でもない」
 という実感が鎌首をもたげるのだ。こうして拙いエッセイを書きながらも、わたしは誰かが
「そんな恥知らずな男に批判のひとこともなく、優秀な看護婦に大事にされる話など書いて、けしからん」
 と言いだすのを恐れる。ましてや戦場のど真ん中で
「看護婦は中立。敵であっても助ける」
 と公言し実行すれば、自分だけではなく家族や友人までも激しい非難にさらすかも知れない。国の事情よっては犯罪人あつかいだ。
 中立と言ったって、目の前の患者は民間人から略奪の限りをつくしたかも知れない。女子供を虐殺したかも知れない。彼が負傷しておらず、彼女が看護婦でなかったら、もちろん彼は強姦して殺したかも知れないのだ。それでもなお
「うちらは看護婦、やるときはやる!」
 と言うのなら、看護婦稼業は清らかな天使というより、清濁あわせのむ度胸商売であるかも知れない。
 彼女をはじめとするベテランが
「最近の若い看護婦は、もうナイチンゲールなんか目標にしないのかねえ。もっと患者さんの人生に関わらないとダメなのに」
 と唸るのを聞くと、不思議な気分に飲まれていった。おおかたナイチンゲール思想なんて、どこの業界にもある建前なんだろう。看護婦だって人間だ。素朴にそう考えていたから。
 みんなの顔を見くらべながらわたしは尋ねた。
「それで……?」
 
 彼はHIVではなかった。通常は他の異常から発見されるはずなのに、免疫力の低下からガンが発見されたのだ。
 告知を受けると彼は言った。
「なんだい、ただのガンなのかい? ソッチの病気だったら勲章になったんだけどねえ」
 このとき少し笑ったという。
「末期なのかい、看護婦さん」
「初期でこんなに激しい症状が出ると思う?」
「だろうなあ」
 こんなことがストレートに言えたというのは、よほどの信頼関係に違いない。
 念入りなインフォームド・コンセントの結果、彼は延命措置をしない方を選んだ。
「一生あきらめなきゃと思っていたのに、家族全員に会えたからよ。思い残すことは何もないから」
「治療をしないのなら、もうここにはいられないわよ。うちは治すための病院だから……。転院しなければならないけれど、それでいいですか?」
 もちろんそれは、ゆいいつ心を許せると信じた看護婦との別れを意味する。どこか分からない病院に行ってしまったら、また初《はな》っから自分を痴呆扱いにするスタッフばかりであるかも知れない。
 彼は答えた。
「転院に同意します」
 

 新しい病院で彼がどんな人間関係を作ったか、それは分からない。老人の常で、
「もってあと数ヶ月」
 などと言われながらも、いくらか長い時を生きたという。

(壁紙:猫の小手先・フリー画像集 猫屋敷さん)

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2003.4.19