番外編競作 禁じられた言葉 参加作品 / 注意事項なし

月花散るとき 番外編

死者の石

written by 於來 見沙キ
 子供だったころ、死んだ兄を探して村の霊山に登ったことがある。お山には魔界の入り口があって、それを守護する魔女がいると言われていた。彼女に頼めば扉を開いてくれると思ったのだ。
 兄を探し出して連れ戻そう。死者の数が足りないと言われたら、自分が魔界に残ればよい。
 当時のわたしは、死者の世界と魔界の違いを知らなかった。


 はっきりした場所は分からないが、霊山には禁足地があるはずだった。祭り神官と長老しか入ることの許されない場所で、よそ者には存在すら知らせてはいけないことになっている。
 おそらくはそこに魔界の扉がある。霊山の魔女がいて、扉に近づく者を見張っているのだ。
 行き方については、いくらか見当がついていた。山ブドウを取ろうとして獣道へ入ったところ、向かいから神官が走って来て死ぬほど怒鳴ったことがある。わたしの冒険が空腹のためだと知ると、急に猫なで声になった。
「アーナン、向こうはスズメバチの巣があるからいけないよ。体中を刺されて転げ回って、苦しみながら死んでしまうよ。顔なんか真っ黒になってブクブクにふくれて、この世の者とは思えない。そんな死に方をしたいのかね?」
 そのあと神殿へ寄ってイモの煮たのを分けてもらったのだが、ピンとくるものがあった。ハチの巣ではなく、秘密があるのだと。

 息を切らして登っていくと、森の梢《こずえ》を突くようにして、大きな石の柱が二本、のっと突っ立っているのが見えてきた。鬱蒼《うっそう》とおおい繁った草木に飲まれて、すぐそばまで行かないと見つけることができない。これが禁足地の入り口なのだろう。
 石の門は二重三重に侵入者を拒んでいた。そこへ通じる道は細くくねり、頭のてっぺんからつま先までを厚い布で覆わなければ、漆《うるし》かぶれで転げるはめになる。わたしがなんの装備もせずにのこのこやって来られたのは、特別な体質のせいだ。どういうわけかは知らないが、漆の汁を手にとってこすりつけても、肌の色ひとつ変わらなかった。
 門柱は樹木と一緒にぐるぐる巻きにして、鎖でふさいであった。クモ糸のように張り巡らされた草蔓《くさづる》と鎖につかまって、柱をよじ登っていると、不意にどこからか声が響いた。
「こんなところに入ろうなんて、勇気のあるお嬢ちゃんだねえ」
 わたしはびっくりして、落ちそうになった。
「危ない危ない。べつに怒りやしないから、落ち着いて帰りなよ」
 慌ててあたりを見回したが、姿は見えない。柱の向こうの繁みがゆらゆら揺れている。そこに誰かがひそんでいるらしい。
「だれっ!」
 わたしは叫んだ。相手の声に全く聞き覚えがなかったからだ。よそ者がこの場所を知っているというだけでも大変なことなのに、柱の向こうにいるというのは非常事態だ。自分も同じことをしようとしていたというのは、このさい別問題だった。
「霊山の魔物だよ。いいからお家へ帰りなよ。そうすりゃなんにもしないから」
 わたしは唇をかんで最後のひとふんばりをすると、鎖をまたいで地面へ飛び降りた。侵入者は呆れたように文句を言った。
「なんてこったい! 人間のくせに聖域を侵したね。どうなったって知らないよ」
「あんただれよ!」
 わたしは腰に手をあてて、精一杯に虚勢をはった。子供の怖い物知らずとはこのことだ。魔女の手下がいるに違いない。そういうものが出てきたからには、魔界の入り口が近いと、単純に思ったのだ。草むらの声には、しわがれた響きもずるそうな感触も、全く感じられなかった。おとぎ話に出てくる小人のような魔物で、知恵くらべをしたあと、えり首をつかんで魔女のいどころを白状させてやれる。そんなことを、本気で信じた。
「やれやれ、怖がってもくれないのかよ」
 暗い緑がざくざく動く。姿を現したのは、どう見ても人間だった。頭のてっぺんに麻布を巻きつけて、異国人ふうの身なりだ。黒く長い髪を編みもせず、無造作に後ろでたばねてあるのを見て、いかにも野蛮人と思った。黙って睨《にら》みつけてやると、よそ者はへらへら笑いながら近づいてきた。
「なにしに来たんだい、いけないなあ。子供はお家へ帰りなよ。でなきゃあ魔物に食べられちゃうよ」
 言うが早いか、彼はいきなり息がかかるほど顔を寄せてきた。遠くから眺めていたときには気づかなかったものが、ゆっくりと現れた。
 彼の右目は人間のものではなかった。翳《かげ》りの中で色は分からないが、艶が違う。不自然な輝きが宿っているのは、左目とくらべれば明らかだ。汚れた顔の中で、むき出しの歯だけが白く浮きあがって見える。ぞっとしたのはこのときだった。
「だれよあんた!」
 わたしはもういちど問いただした。恐怖の叫びになっていた。
「見てのとおりさ。オイラ、セキヤっていうんだ」
 彼はそう答えると、頭に巻きつけた布の下から耳の先っちょを引っ張り出してきて、ポリポリとかいた。細長くとがった耳が、生き物のように伸びている。それを見たとたん、息を飲んで硬直してしまった。
 セキヤは笑いながら手を振った。
「まあまあ、そんなに怖がらないで。魔物と言っても半分きりだ。残り半分はあんたと同じ人間だから、そうそうひどいことはしないよ。血が混じってるからマジリって言うんだ、知ってるかい?」
 わたしは激しくいやいやをした。人間が魔物と交じわるなど、考えられもしなかった。
「オイラはお嬢ちゃんに、ここは危ないから帰れと言っているだけだよ」
「あっちへ行ってよ!」
 恐ろしさのあまり、きつく目をつぶって答えた。
「もちろん出てってやるよ。どうやらここは、『霊山の魔女』のすみかじゃないらしいからね」
「え?」
 尋ね返した声が、かすれてうわずった。
「魔女がいない?」
 そんなバカな! 兄はどうなるのだ。わたしのせいで死んだ兄は。思わずパッと目を開けた。
「いないなんてウソよ! ここはずっと昔っから霊山なんだから。魔界の入り口があるんだから!」
「そんなこと言ったって、いないもんは仕方がねえや」
「どこかへ出かけているだけよ!」
 わめいているうちに、涙が出てきた。セキヤは真顔になった。
「何を泣いているんだい? ひょっとしてあんたも、魔女におねだりをしにきたのかい?」
 わたしは答えなかった。ただただ混乱して、泣きじゃくり続けた。
「しょうがねえなあ。いい子だから落ち着いて話してごらん。魔女がいないとどうして困るんだよ」
「ナバルが帰ってこない」
「ナバルって?」
「お兄ちゃん……。生き返らせてもらおうと思ったのに」
 顔を覆ったまま答えると、フームとうなるような声が聞こえた。
「兄ちゃん死んじまったのかい。そいつはかわいそうになあ」
 意外なセリフだ。わたしは顔から手をはなして相手の顔を見た。どうやらまじめらしい。からかっているような空気は感じられなかった。
 黙っていると、セキヤはわたしの腕をポンポンとたたいた。
「淋しいのは分かるけれど、そいつは我慢しなけりゃいけないなあ。どんな魔女だって、死んだもんを生き返らせることだけはできないって言うしね」
「でもわたし、ナバルだけは生き返らせないといけないの」
「なぜ」
 心臓を突くような問いだった。答えるのには勇気がいった。うつむいて握りしめた手の爪を眺めていると、彼はゆっくりとうながした。
「話してごらん。オイラこれでも、悲しい話を聞くのが得意なんだよ」
 奇妙に慣れた柔らかい調子だ。わたしは誘われて口を開いた。
「ナバルが死んだの、わたしのせいだから……」
「どうして?」
「死んじゃえって言ったから」
 それが血を分けた兄に対する、最後の言葉となった。
 気にくわなかったのだ。たまたま先に生まれたから、男の子だからというだけの理由で、いいだけ親からちやほやされて、「妹なんか子分だ」と言わんばかりに威張り散らし、食べ物だってなんだって力ずくで取っていってしまう。とくべつ仲が悪かったわけではないけれど、そのときだけは本気で言った。
「ナバルなんて大っ嫌い、もう遊んであげないよ。死んじゃえばいいんだから」
 叫んだとたん、父にたしなめられた。
「アーナン、なに言ってる! 兄弟に向かって死ねなんて、絶対に言うもんじゃないぞ。そんなこと言って、ほんとに死んでもいいのか。うん?」
「お父さんはいつもそうなんだから。いっつもナバルが正しくて、アーナンが悪いんだから!」
 ぷっとふくれて向こうを見ると、意地のわるい言葉が飛んだ。
「そんなこと言ったら、死に神がナバルを連れてっちゃうかも知れないぞ。それでいいのか?」
 父のうしろから兄が顔をのぞかせて、ざまをみろと言わんばかりに唇を突き出すのが見えた。怒りにまかせてわたしは叫んだ。
「いいんだもん、ナバルなんか死んじゃえバカッ!」
 泣きながら家を飛び出していくと、父の怒鳴り声が追いかけてきた。
「ナバルが死んだらお前のせいだぞ!」

 ひもじさに負けて家に帰ったのは、夕刻をとうに過ぎてからだった。辺りはすっかり暗くなり、星が姿を現している。こんな時間に帰ったのは初めてだ。おそるおそるのぞきこむと、青ざめた母の顔がこちらを向いた。
「アーナン、帰ってきたのかい? ああ、良かったよ!」
 母は叫んで飛んでくると、わたしを引き入れてからきょろきょろした。
「ナバルはどこ? 一緒じゃなかったの」
 わたしは首を振った。
「ううん、知らない」
「あんた一体どこへ行っていたの。あのあとしばらくして、ナバルが探しに行ったんだよ。謝りたいって言ってさ。どっかで会わなかったの?」
「会ってないよ」
「山へ行って遊んでたんじゃないの?」
 わたしはもういちど首を振った。陽の落ちた山の怖さは格別だ。こちらはなんにも見えないのに、なんでも見える獣たちが飛びかかってくるかも知れない。西のきわが朱色に染まると、すぐさま麓《ふもと》におりて、ワラ小屋にひそんでいたのだった。
 母は取り乱して肩をつかむと、強くゆすった。
「ナバルはあんたを探しに山へ登ったんだよ。ほんとに会わなかったの? 仲直りして二人で遊びほうけてたんじゃないのかい?」
「暗くなってから山になんか行かないもん!」
 思い切り胸を張って答えた。
 ナバルが死ぬなんて思わなかったのだ。
 あんないじわる兄貴、妹がクマの巣穴で泣いていても、あたたかい家の中でたらふく食べているに違いない。そう思っていた。

 暗くなるまで歩き回ったあげく、崖から足をすべらせたナバルのポケットには、わしづかみにできるほどのグースベリーが入っていたという。赤くてすっぱいその実をしゃぶるのが、わたしたちは大好きだった。
「かわいそうになあ。仲直りのしるしにお前にくれてやろうとしたんだろう」
 潰れたグースベリーで赤黒く染まった上着をかかげながら、長老が言った。閉じかけた棺のすきまから、ナバルの死に顔が見える。唇のうえに石を乗せていた。
 弔いをするとき、亡骸に『死者の石』と呼ばれる霊石をふくませるのが、村の習わしだった。魂が口から戻っていかないよう、ふさいでおくのだ。兄の遺体は発見されたとき、かちかちに固まっていた。あごを開くことができなかったので、唇に乗せてあったのだろう。わたしは奥歯をかみしめて、肩のあいだに頭を埋めこむようにした。
 ――と、おもてのほうがにわかに騒がしくなった。弔問客用の酒を盗みに入った者があったらしい。大人たちは捕り物のためにそっちへ行ってしまった。

 ひとり残されたわたしは、棺のすきまからナバルの顔をじっと見た。目を閉じて静かにしてはいるけれど、物語に出てくるような風情はない。『眠っているような』などという、美しい表現とはかけ離れた現実に、打ちのめされた。
 どんなに穏やかであっても、傷ひとつ見あたらなくても、死体は死体なのだ。命のないものは物体なのだ。あまりにも心ない感じ方かも知れないが、理屈ではない。
 唇のうえの石は兄と同じく冷たかったが、遺体よりはずっと美しかった。深い緑にミルクのような白が幾筋も糸をひき、つやつやと輝いている。体を近づけるとその面がふうっと曇り、得体の知れない影が蠢《うごめ》いた。息を凝らしてこちらを狙っているようだ。
 今にして思えば自分の姿が映っただけなのだろうが、確かにこの世のものではないと思った。こんな物に兄の蘇生を邪魔されては困る。石を取ってポケットにしまいこむと、わたしは急いで棺を閉じた。
 霊山の魔女に会うのだ。会ってわたしの命とひきかえに、ナバルをこの世に呼び戻すのだ。


 つま先を見ながらとぎれとぎれに語っていると、不意に耳元でつばを飲む音がした。わたしはびっくりして顔をあげた。
 すぐ鼻先に、異様に輝くマジリの眼《まなこ》がある。ぬめった石のような輝きだ。太陽のとどかない森の中で、左の瞳は暗く落ち着いているのに、右の瞳がねっとりと光を宿している。歯のあいだからナメクジのような舌がのぞいて、唇を湿した。
 逃げなければならない。助けを呼ばなければならない。けれど体が動かない。その声音があんまり柔らかいものだから、相づちがあんまり優しいものだから、油断をしたのだ。異様な雰囲気が染み出してきて、わたしの心と体を締めつけた。

「それで?」
 と、セキヤは尋ねた。
「お嬢ちゃんの不幸な話は、それで終わりかい?」
 声をあげようとして、咽がけいれんするのが分かった。長い腕がのびてきて、背中をなでた。
「いい話だねえ、兄弟おもいだねえ。人間の不幸な話は大好きだよ。ぞくぞくする。この山に魔女はいないけれど、楽しませてくれたお礼にオイラが願いをかなえてやろう。兄ちゃんの棺から取ってきた石を見せてごらん」
 ポケットが探られて、緑の石が取り出された。
「まずはお嬢ちゃんが死人にならなきゃあね。さあ、お口をあけて」
 嫌だと叫ぶひまもない。唇が勝手に開いて、差し出された石を口にふくんでいった。
 マジリは低く呪文を唱えた。曇った振動が、地を這《は》う虫のように耳の中を通ってくる。背中の骨がカチカチ震えて、抵抗する気力さえ潰れていった。


 ――あたりの風景が薄く見える。目のまえにいるマジリの姿も、生い繁る森の木々も、霧に映った幻のようだ。
 わたしは死んだのだ。
 語ろうとしても声がない。歩こうとしても足がない。感じようとしても心がない。悲しむことも苦しむこともない。どうにかして元の自分に戻ろうとしたが、後悔すら湧いてこなかった。

 長く深い眠りのあと、父の叫びを遠く聞いた。
 ――娘を返してくれ。
 応じているのはセキヤの声だ。
 ――だからそれはできないよ。分かるかい? 息子さんと交換なんだから。
 ――ふざけてるんじゃねえぞ、マジリ野郎。今すぐ村のもんを呼んできて、血祭りにあげてやるからな。
 芯のない笑い声が、ぐにゃぐにゃと響いた。
 ――どうしてだよ。娘くらい、いなくなったっていいじゃないか。なんたって跡取り息子が帰ってくるんだぜ?
 ――誰がそんなことをしろと言った!?
 ――あんた自身だろうさ。
 ――いつオレがそんなことを言った。
 号泣のような悲鳴を聞いたあと、ふっと辺りが明るくなった。それまで見えなかった父の姿が、色味を帯びて浮きあがってきたのだ。涙を流して取り乱し、うなり声をあげて獣のようだ。
 お父さん!
 しびれ切った心が震えて、無いはずの目から涙が出そうになった。

 次の瞬間、面白がるような口調が空気に満ちて耳を打った。
「あんたのお嬢ちゃんがそう言ったよ」
「そんなバカなことがあるか」
「バカなもんかい。あんたが言ったんだろうが。お嬢ちゃんは人殺しだってさ。自分の兄弟を殺ったんだって」
「言っ……」
 口を開いたなり、父は呆けたような顔になった。
「そんなことは、言って……」
「言ってない? いやいや、そうじゃないな。心当たりがあるはずだ」
「言ってない。そんなことは絶対に! あれはあの子に、言っちゃならないことがあると教えようとして」
 セキヤは笑った。
「そりゃ残念だったねえ。どうやらあんたの娘さんは、その言葉を額面どおりに受けとったようだ。兄ちゃんが死んだら自分の責任だってさ。言っちゃいけないことを子供に教えようとして、自分が言ってりゃ世話ないやね」
 父はマジリに躍りかかって地面に押し倒すと、めちゃくちゃに殴りつけようとした。
「言ってない! 言ってない!」
 魔物の血が混じっているだけあって、セキヤはひどくすばしこい。へらへらしながら首を左右に振って、父の拳をすべて避けた。
「アーナンを返せ、クソ野郎!」
「息子はいらないのかい?」
「薄汚いマジリ野郎に、娘を売りわたす筋合いはないっ」
「よしよし!」
 セキヤは叫ぶと、ひっくり返ったまま父の腹を蹴りあげて倒し、勢いをつけて起きあがった。
 とがった耳のついた顔が、くるりとこちらを向いた。
「聞いただろう、アーナン。もう生き返っていいよ!」
 その言葉を聞いたとたん、電気のような痛みが体を走り抜けた。わたしはギャッと叫んで前のめりに倒れ、両のひざをしたたか打った。うなり声をあげながら、ふたたび父が 挑みかかってゆく。セキヤはそれをかわして、ピシャリと頬を打った。
「どこを見てるんだい、お父ちゃん。娘が転んで泣いているじゃないか?」
 禁足地の森のなかで、わたしと父は互いを見た。

 父は大きく口をあけた。目を見開いたまま突っ立って、石になったようだった。
「アーナン!」
 次の瞬間、なにがなにやら分からないまま、わたしは父に抱かれていた。
「どこにいたんだ、どこにいたんだ、アーナン、お前は!」
 体についた土を払いながら、セキヤが笑った。
「どこにいたかもないもんだ。最初からずうっとここにいたさ。もっともあんたの心にイタズラをして、姿を見えなくしたのはオイラだけれどね」
「なんで何も言わなかったんだ、アーナン? ひとこと声を出してくれれば」
「そいつはムリだね。自分は死んだと思いこんでいたんだから。それにさ、仮にお嬢ちゃんが何か言ったとしても、あんたには聞こえなかったよ」
 取り乱した父になんどもゆすられながら、わたしは安堵していった。いつもの山、いつもの森のなかで、鳥たちが鳴いている。
 父の腕のすきまから見あげると、セキヤは緑色の霊石をかざし、魔物の目をつむってウインクをした。
「お嬢ちゃんからは不幸な身の上話を聞かせてもらったから、お父さんからはこれをもらっておこうかね」
 すぐには意味が分からない。とまどっていると、彼は告げた。
「なあお嬢ちゃん。世の中には、確かに言っちゃならないことがある。禁足地の奥にあるのは、魔界の扉じゃないよ。あんたたちが大事にしている、死者の石のかたまりさ。魔女がいるなんていう噂をふりまいたのは、それを守るためなんだな。
 このことは誰にも話しちゃダメだ。神さまが怒るからね」
 父は飛びあがってふり向き、彼が持っている物に気づいた。
「こらマジリ! それをどこから持ってきた!」
 慌ててとり戻そうとする手を逃れ、セキヤは繁みへ飛びこんだ。
「オイラもこのことは誰にもしゃべらないよ。さようなら」


 薄闇にゆれるかがり火のなかに、ナバルの亡骸は横たわっていた。祭り神官が祈りを唱えながら、新しい石を乗せてゆく。黙って見つめていると、母がわたしのうしろに立ってそっと体を抱きしめた。
「アーナン、心をこめてナバルを送ってあげようね。むりやり呼び戻したって、かわいそうなだけなんだよ。魂は生きているかもしれないけれど、体は冷たくなってるんだから。どんなに淋しくても、ナバルが新しい体をもらってこの世に生まれてくるのを、邪魔しちゃいけないよ」
 振り返って見あげると、母は涙をためていた。急にお婆さんのようになってしまったその顔を見るのは辛い。村の大人たちが花を手にして進み出る。つぶやくようにわたしは尋ねた。
「ナバルが生まれ変わったら、もういちど会える?」
 父が答えた。
「会えるだろうさ」
「会ったらナバルだって分かる?」
「それは分からん……。だけどお前がいつのまにか仲良くなっている相手がいたら、それがナバルかも知れんなあ」
 わたしはうつむいて、眠っているような亡骸を見た。花のようなかがり火の中で、陰影のゆらめきが語りかけてくるようだ。
「絶対また会おうね、ナバル」
 ナバルにだけ聞こえるよう、そっとつぶやいてみる。物になってしまった体に、命の名残りを感じたのだ。

*      *      *

 わたしたちが死者の石と呼んでいた物を、異国の者は孔雀石《くじゃくいし》と呼ぶらしい。高値で取り引きされる宝石だと知ったのは、町の商家に嫁《とつ》いでからだ。それは夫にも話すことのできない、村の秘密だった。
 ――世の中には確かに言ってはならないことがある。
 彼の言葉を胸のうちに呟くと、不思議な気持ちがわいてくる。
 迷信深い小さな村の山奥に宝があると知れたら、略奪にあうだろう。魔物の血を持った者にそのような心遣いを受けたことが、なんともいぶかしく思えるのだ。
 あのときセキヤが魔女を探していた理由、彼自身の願いを尋ねなかったことは、かえすがえすも心残りだった。
本編情報
作品名 月花散るとき
作者名
於來 見沙キ
掲載サイト 幻想は一夜だけ
注意事項 年齢制限なし / 性別制限なし / 表現制限なし / 連載中
紹介  犠牲と引きかえに願いごとをかなえてくれる、霊山の魔女。彼女を求めて旅に出た少年は、奇妙な事件に出会う。
 死んだ姫君の偽物が次々に現れるそのわけは?
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